徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-673

2014-12-22 07:11:01 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-294

9)再びインドを歩く

日記から-76

9月21日(金曜日) 曇りのち晴れ

 今日はこのパンジャブ州の州都であるアマリッサル(Amaritar)に泊まらず、通り過ぎようと思う。
それはこの都市が今大変混乱しているかもしれないし、大きな都市を歩くのが俺は好きではないからである。
だから、今日は長く歩くことを覚悟し、朝は早起きをして、出発である。

 アマリッサルまで行く途中、警察の検問所があった。しかし、止められることもなく過ぎ去った。
次にアマリッサルを過ぎた所には軍隊の検問所があった。そこも何の問題もなく通り過ぎた。
このぶんではパキスタンの国境までは問題なく行けそうだ。
問題はそのパキスタンとの国境を通り、越えられるかである。

 アマリッサルでは有名なゴールデンテンプルを見ることもなく通り過ぎたのである。
ここでこの町を通り過ぎる時にあのチャンデガールのときの様にまた道を迷ってしまう。
もっと早く人々にしかも何回か聞けばよかった。

 アマリッサルを過ぎ5kmぐらいの所で人に止められ、少し話をしたが笑ってしまった。
それはどういうことかというとこうである。
田舎の道で2~3人の男に話しかけられ、今日は余裕があったので、止まりそこに行った。
彼らはチャーイを奢ってくれながら、「お前はどこから来たのか」とヒンドゥー語で話しかけるのである。
俺はまだヒンドゥー語は話せないが、これだけ長い間この国にいるので大体は何を言おうとしているのか分かるのである。
その他、彼らは「お前は世界の共通語のヒンドゥー語を話さないな。」とも言うのである。
俺は「日本から来た。」と英語で話をしたら、彼らは「その日本はネパールのどの辺にあるのだ。」と言うのである。
また、彼らは「お前は世界の共通語であるヒンドゥー語を知らないのか?」と言うのである。
彼らはまるっきり分かっていないと思い、俺は「ヒンドゥー語はインドの共通語で世界の共通語は英語だよ。」と言い。
それに俺は地面に地図を書き出した。「まずはインド、そしてネパールはここ。」という風にである。
彼らは今まで地図というのを見たことがなかったかの様に、一つ一つの国を説明するごとに驚きを表した。
「バングラデシュはここ。ミヤンマーはここ。」と話しをし「ここが東南アジアのタイ。」とまで行くと彼らはどれだけ分かっているのだろうか?
「日本はこんなに遠いところだ。」と書いて最後まで説明してあげたが、本当は分かっていないのではないかと思う。
それにしても楽しい時間をすごした。彼らはそれでか?チャーイを2杯奢ってくれた。

 今日は泊まる所を見つけるのに苦労をする。
結局、国境まで後6~7kmの所に水田があり、その一画に少し木々が生えている所があるのだが、そこでテントを張る。
その時が暗くなる少し前だったので人に見つかることなく、その場にテントを張ることが出来たようだ。
このインドではテントを張ることは久しぶりである。やはりテントの中は多くの人にうるさく話しかけられずにすみ、落ち着ける。

出費 17.15ルピー

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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

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