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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -369
13)イランを歩く
日記から-23
12月13日(木曜日) 晴れのち曇りのち雨
食糧、水などを持たずに歩き、荷物が軽く非常に快適である。
ただ、右の腰のところでバックパックが当たり、腰が少し腫れている。そこが痛い。
バックパックの位置を少し高くセットをしてみたら何とか良い様だ。
バックパックもその後問題がないからか早く歩けた。
それでYazdという所に早く着く。その町の入り口でイランの親切な人が「家に来い」と言う。
それでも俺はYazdの中心まで歩きたいとわがままなことを言ってしまった。
それで町の中心に行ったら、彼は再び現れて俺を彼の嫁さんの親父さんの家に連れて行ってくれた。
彼の話ではそこに一泊、そして次の日は彼の家で泊めてくれると言うのである。
俺はとにかく、イランの家で泊まるのは初めてだし、文化も習慣も見ることが出来ると思い快く受け入れた。
そこでは皆が親切である。大学生のムスタファンが英語がよく分かり相手になってくれる。
お父さんがトラックのドライバーをしているのであるが、彼が親切で大変、澄んだ綺麗ないい目をしている。
彼の名前はレザールという。またその奥さんも良い顔をしている。みんなとても良い人達だ。
そして、良い食事まで食べさせてもらう。だから、みんなで写真を撮る。それを必ず送ることを約束する。
親切なイランの家の人々。右から3番目の人がレザール
この家でイランの人々の生活を垣間見ることが出来た。
食事はご飯が主でナンと一緒に肉を食べる。そのご飯の炊き方はジャガイモを下に敷き、炊くのである。
ご飯を炊く時に水がなくなり、出来上がると鍋を逆さにする。
そうすると下のジャガイモが一番上になる。そのジャガイモはパサパサして美味しい。
このジャガイモは別に一つに盛り付けして、みんなで食べ、ご飯は一人一人に出すのである。
とにかく、ナンとご飯はよく食べる。
この家でテレビを見たら日本の映画や漫画が多く放送されていた。勿論、言葉はイラン語に吹きかえられていた。
しかも、そのテレビは国営だからコマーシャルはなかった。そのコマーシャルがないのが残念であった。
何故ならば、コマーシャルはその国の文化が短い時間でよく表現されているものだからだ。
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