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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -371
13)イランを歩く
日記から-25
12月15日(土曜日) 快晴
レザールの夫人エスマとその娘さんアフサも朝アキパールの家に別れを言いに来てくれた。
アキパールは俺とアフサが結婚したら良いと思っているようだが、俺にはもったいない娘さんだ。
お世話になったレザール、エスマ夫婦と娘のアフサ(左)アキパール(右)
朝早く(7時ごろ)アキパールに一昨日俺を拾ってくれた所まで連れて行ってもらい出発。
そんな場所にこだわっているとは俺は本当に馬鹿みたいだ。彼には申し訳ないとも思う。
アキパール家族 夫人のアシュラク、子供のホーマそしてアキパール
Yazdの町を歩く。このYazdの町は入ってくる方は中心地に近かったので楽に来たが、町を出るには思った以上に長い時間がかかった。
結構この町は広いのである。
さて、今までと同じ様に歩くのだが、このところ腰が痛かっったが一日の休暇も何の効果もなかったようだ。
寒さは相変わらず寒い。
国道に戻って来てから何時ものような歩きにもどる。そこではトラックが挨拶をしてくれる。
彼らは俺が歩いていることを前に見て知っているのである。ありがたいし、親近感がある。
2日間、家の中で寝たが、また今日からテントでの生活である。
出費 130リアル