徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-113

2010-12-11 07:55:09 | 世界徒歩旅行記

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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-113

5)バングラデシュを歩くまで

日記から-3

2月5日 (日曜日) 快晴

 今日は何処の大使館も開いているので、先ずはインド大使館へ行く予定である。
さて起きようとした時に昨日から親しくしているバングラデシュ人が言葉を教えてくれるとやってくる。
まだ、シャワーも浴びていないし、この部屋に来た人は使いの人で本人ではないので大変頭に来る。
使いに来た人には今日はすることがあるのでと断る。

 インドの大使館へ行った。
そこでは日本の海外青年協力隊の隊員に会う。バングラデシュについていろいろ教えてもらう。
それで、隊員がよく使うダッカのゲストハウスに泊まることにするが、今日はすでに昨日の所の宿泊代を払ったので、明日からそこに泊まることにする。

 海外青年協力隊の人とリキシャに乗る。俺は初めてこのリキシャに乗った。
自転車の後ろに客の乗る席が2人ほどあり、後輪が2輪ある3輪車になっている。
マレーシアなど東南アジアの物はお客を前に乗せる形であり、前方に2輪がある3輪車である点が非常に違う。
そのゲストハウスまでリキシャで行ったのだが、あまり価格が高くないようである。

 そのゲストハウスでは日本の本が多くあり、大変助かった。しばらくそれらに目を通す。
その後、夕方は現在、海外青年協力隊のダッカにて働いている駐在員の家に行く。
そこで、夕食をご馳走になる。
この家ではお手伝いさんを2~3人使っているようだ。その人たちに日本食を教えていたのであろう。
日本食を食べさせてもらった。
このお手伝いさんのことである。1ヶ月200~600タカで雇えるそうである。
俺は人を使うことが下手なので、お手伝いさんを雇えないし、贅沢な気がする。

 この国で面白いことは街の角とか店の前に縄がぶら下がっているのである。
その縄の先には火が点いている。何のためにあるのかと思ったら、タバコを吸う時の火である。
その縄はゆっくり燃えて、決して消えない。

 夜にホテルに帰って様子が変わっていた。あのまとわりつくような感じがなくなったのである。
少しよそよそしくなったのである。それは今朝バングラ語を教えてくれるのを断ったからかもしれない。
しかし、彼らが一方的にしてやると言ったのを断っただけで、約束したわけではないのにな。
それで夜遅く帰って来ても、こちらの落ち度はないと思う。
そういえば、隊員たちがバングラデシュ人はおせっかいだと言っていた。そのおせっかいに反したのである。
彼らにしてみたら「勝手にしろ。」とでも思っているのかもしれない。

出費 43タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-112

2010-12-10 05:45:22 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-112

5)バングラデシュを歩くまで

日記から-2

1984年2月4日 (土曜日) うす曇

 この国では土曜日は全面的に公営のものが休みである。だから今日は休みだ。
金曜日は半日休みの所と一日休みの所がある。即ち、金曜日が我々の土曜日と同じ感覚である。

 今日はホテルを替わろうと昨日泊まったホテルはチェックアウトする。
それでいろいろな所を当たる。YMCAは75タカと高い。隣のホテルは30タカだが、部屋にシャワーとトイレがある。
だから、今日は隣のホテルに泊まることに決める。

この他に今日した仕事はツーリストインフォメーションに行き、この国のいろいろな情報を聞いた。
それでも、まだまだ情報が不足している。何しろ、言葉が今までと違うので、また初めから言葉を覚えなければならないからである。
とにかく、新しいスタートである。

 ホテルの周りを歩いていると人々が俺の顔を知っている様に「日本人」という言葉を話しているのが分かる。
その他、この国の言葉で「ドンノウァ」というのが「ありがとう」という言葉が分かる程度である。
ガイドブックを持たない俺にとっては今が一番、何も分からないし、人種や環境が前と変わりキツイ時である。
例えば、この国の人は外見が見るからに信用が出来ないように思え、何時も物を買う時、騙されて余分に取られているような気がする。

早く、ネパール、インドのビザを取りこの国の首都であるこのダッカを出たい。
それは田舎であるならば何処の国も人々が純粋だと思うからである。

 この国の空港で俺が着いた時に会い、ヒツコクホテルの紹介をしていた男が、今日替わったそのホテルのロビーで見かける。
その男がまたやけに親切に俺に近づいて来て、田舎にも連れて行ってくれるし、言葉も教えてあげるというのである。
何処まで信用していいのだろうか?

出費 52.50タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-111

2010-12-09 07:19:22 | 世界徒歩旅行記

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 12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-111

 5)バングラデシュを歩くまで

 日記から-1

 1984年2月3日

 

ダッカの町

 シンガポール、マレーシア、タイと歩き終わり、タイのバンコクに戻った俺は今日の
午前11時10分の飛行機に乗りダッカへと飛んだ。
これはたった2時間のフライトであった。ダッカは思ったより暑くない。
周りには何も高い建物がない殺風景な飛行場である。

  ところで、着いたのは良いが、旅行のガイドブックもないので、これから何処へ行ったらいいのか分からない。

   空港のロビーに出てみるとホテルを紹介するという人々に取り囲まれてうるさて仕様がない。
どの人の言っていることが信じられるか分からない。それはこのアーリア系の人の顔立ちが美男だがどこか軽く、お調子者様に見えるからである。
それでとりあえず、皆を振り切り、バス停まで行き市内までバスに乗る。
とにかく、ホテルを探そうと、タイのバンコクで聞いてきたホテルに行こうとするが、詳しく分からず、空港のホテル紹介人の中からもらった名刺の所を尋ねる。
その名刺のホテルの住所を警官や人に聞いた時に人々が集まる。
3回目に道を聞いた時には俺の周りに人垣が出来るほどであった。
彼らは「そのホテルはあっちだ。」「いやそのホテルはこっちだ。」と話しているようで、俺とはまるで関係ない事のように話し合われているのである。
その中の一人が「俺がそのホテルに連れて行ってやる。」と言い、「俺の家がそのホテルの後ろにある。」とも言っていた。
彼は俺を連れて行き、途中でお菓子のようなものまでおごってくれた。
やっと、そのホテルに着きホテルの宿泊料を聞いたところ、このバングラデシュでは高いのではないかと思われる30タカである。
高いとは思ったが、今日はここで泊まることに決める。

   その後はそこまで連れてきてくれた人とダッカの夜に出た。
彼と食事をしたり、彼の家へも行ったりした。

  今日、タイのバンコクからバングラデシュに着いたのだが、たった2時間の飛行がこうまで2つの国を変えてしまうのかと思うのである。
今までの東南アジアからはかけ離れた感じ、即ち、オーストラリアからシンガポールに着き日本に近づいたと思ったのに、また日本から離れてしまう感じである。
この文化、人間の違いを知るためにも、この2つの間の国ミヤンマーを本当に歩きたかった。

  この国、バングラデシュは本当に貧しい。
道路の横の溝はションベンとクソの臭いがすごい。
今、足の状態がよくないが、もしそこに落ちてしまえば、間違いなく化膿してしまうのではないかそう思ってしまうのである。
この国は自動車が少ない。その代わりにリキシャ(自転車の後ろにお客を乗せるタクシー)がすごく多い。

出費 45.50タカ


 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイを終えて)-109

2010-12-08 07:18:03 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイを終えて)-109

 

 

4)タイを終わりバングラディッシュまで

 

日記から-6

 

131日 (火曜日) どんよりした薄雲があるが、晴れ

 

 バンコクには朝830ぐらいに着く。

そういえば、列車の中では一回も立って歩くことなく座っていた。だから、お尻が痛い。

 

 バンコクに到着後、すぐに安いホステルであるScout Hostelに行き、宿泊の手続きをし、荷物を置いて出る。

先ずは、旅行会社に行き、ダッカまでの飛行機チケットを買う。それは141ドルと少し高いが買ってしまった。

この時、トラベラーズチェックを出したら、収入印紙を貼れと言う。トラベラーズチェックが7枚で21B1枚 3B)であった。

こんなことは初めてであり、このぐらいのことはサービスしてくれたら良いのに、、、

とにかく、23日の1100AMにバングラディッシュのダッカへ行くことになる。

 

 その次はタイのイミグレーションでビザの残りを報告しに行く。面倒くさい国である。

 

 その後はバングラディッシュの次の国であるインドの大使館に行こうとしたが、時間が遅くなり、インド大使館へは行けなかった。

インド大使館へは午前中に行かなくてはいけない。明日行こう。

 

出費60B

 

21日 (水曜日) どんよりした晴れ

 

 明日、22日は旧正月であるから、公共機関が明日はすべてが休みになるようで、今日はどうしてもインド大使館に行かなくてはならない。

大使館にはインドのビザ、インドの情報を得るためである。

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイを終えて)-108

2010-12-07 07:51:04 | 世界徒歩旅行記
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイを終えて)-108

4)タイを終わりバングラディッシュまで

日記から-5

1月29日 (日曜日) 快晴

 今日は大学の時の友人の結婚式であるが、電気もないタイの田舎なので電報を打てずにすまん。

 朝、我々3人はこのソイ俗のを出る。俺はチェンライに帰り、他の2人は他を回るようだ。

 ゲストハウスに帰り、ゆっくりする。
 出費157B

1月30日(月曜日) 快晴

 今日は次のバングラデシュに行くための移動日である。

朝、少し遅く起き、市場へ出かけ、朝食を食べ、昼食の分包んでもらう。
その後はチェンマイまでバスで行く。このバスはエアコンがない安いものであり、チェンマイまで47Bである。
このバスは安いので、庶民の人が多く乗っていて中にニワトリがいて、野菜などがころがり、人々でいっぱいである。
俺は昨日、酒を飲みすぎて、今日一日中頭がボートしている。
だからか、たまに警察がバスの中に入ってきて怪しい者がいないかチェックするのだが、必ず警察が俺に尋問する。
同じバスの中の白人の貧乏旅行者は俺に「お前は何か悪いことをしたのではないか。」と冗談を言うのである。

 そうこうしている内にバスが休憩所に入り15分間の休みである。
俺は外に出てボートしている頭ではあったが、ピーナッツを食べながら周りを眺めていた。
そしたら、エアコンバスに隠れていた我が安いバスは俺を乗せず、俺の荷物は積んだまま出発してしまったのである。
俺の頭はボートしていたが、嘘みたいなことなので、呆気にとられた。
ただ、助かったのは貴重品は持っていたことである。
それで俺は怒って安いバスの隣に止めてあったエアコンバスに行き、チェンマイまで乗せろと車掌に話をする。
車掌は金を出せと言うのだが、俺は安いバスが時間前に出て行ったから悪いのだと言い張る。
それでも車掌は了解しない。とにかくチェンマイまで行こうと俺は話す。運転手は呆れていたが許してくれた。
このエアコンバスは人があまりいないのと生活の臭いがしない。完全に安バスとは別のバスである。
バスに乗り遅れたおかげで、隣にも人がいなく3席をゆっくりと使い、しかも涼しくチェンマイまで行くことが出来た。
チェンマイに着き、さて、俺の荷物である。安バスはまだついて間もないのか、あの安バスに乗っていた白人の貧乏旅行者がいる。
彼は乗ってきた安バスに行けば、荷物はあると言う。助かった。
そして彼は「本当にお前は警察に連れて行かれたかと思った。」と冗談をまた言うのである。

 チェンマイでは大学に行きチェンライにいた時にいろいろ話を聞いたYan Yongという学生に会う。
この学生のドミトリーを探す時、可愛い女の学生が手伝ってくれた。
とにかくYan Yongに会い、小学校の英語教師の奥さんのMrs.ソングウイットが働いている学生の食堂に行く。
目的の2人に会えて本当に良かった。

 その後、夕方5:50発のバンコク行きの列車に乗る。
この列車では特別変わったことがないが、狭い所で同じ姿勢でいるのが、俺は嫌いだ。

 出費180B