徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイを終えて)-107

2010-12-05 04:11:40 | 世界徒歩旅行記
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイを終えて)-107

4)タイを終わりバングラディッシュまで

日記から-4

1月28日 (土曜日) 快晴

 今日は一日にいて写真を撮ったり、人々の行動を見ていた。
そういえば、昨日の夕方、脱穀のための面白い物を見た。
大きな臼に殻がある米を入れ、シーソーの大きな物により臼側にある大きなを杵(きね)を持ち上げ臼を搗く(つく)のである。
人がシーソーの反対側にのるのであるが、杵が重たいので体重の軽い人は2人ぐらいで乗らないと杵が持ち上がらない。
石油缶(18ℓ)ぐらいの量の脱穀をするのにずいぶん時間がかかると言う。この作業は2回ずつやるのだそうだ。
だから、昨日は夜遅くまで脱穀の作業をしていた家が2~3軒あったし、今朝も暗いうちから脱穀作業をしていた。

こんな事からも、このは働き者が多いように思う。その中でも若い女の子は特に良く働くように思う。
彼女たちだけでなく、もう少し小さな子達は赤ちゃんを負んぶして、一日中赤ちゃんの御守をしている。
そこで、この様子を写真に撮ろうとするのだが、写真に女の子たちが撮られるのを嫌がる。
どちらかというとこのの人々すべてが写真に撮られるのが嫌いなのである。
それでも特に良く見ると女の人が写真に撮られるのを嫌がっているようである。
彼女達は魂が奪われてしまうと思っているようである。
だから、働き者のおばあさんの生活観がある良い顔を写真に撮りたいのだが、撮らしてくれないのである。
それでも、慣れてきて心を開いてくれたのか、隠し撮りがうまく行ったのか撮るチャンスはあった。
(写真は撮ったのだが、カメラが悪くまともに撮れていなかった。)

 昼飯にある家の人が招待してくれた。酒を出し、多くのおかずを出してくれた。
たぶん、何かの祭りか、この家の祝い事ではないかと思う。

その他、今日は日本人が少数民族や土地の人に接することについて考えさせられた。
それは一緒に行った2人の日本人のことである。
一人は民族の研究かであまり俺とは話さない。もう一人はこの様な「へき地」に来て写真を撮るカメラマンである。
このカメラマンとは良く話をするが、見るからに調子の良い奴であまり信用が出来ない。それだけではなく、彼はあまりにも人をよく使うのである。
例えば、「これをしてくれ!」「ついでに何々を持ってきてくれ!」という具合にである。
その後、彼は「ありがとう。」「コックンマ!」(タイ語で ありがとう。)「テリマカシ」(マレーシア語で ありがとう。)を絶対言わないのである。
それで、そのことを今日の夜少し注意したら、彼はインドで3ヶ月修行をしてきたらしく、彼に言わせるとものの価値観が違うと言うのである。
俺はインドには次の次に行く国である。まだ、行っていないので分からないが、果たして、そうなのだろうか?
何かをしてもらったら感謝の気持ちを言葉で伝えると言うのは世界共通ではないだろうか?
とにかく、彼に言わせると俺はまだ何も知らないというのである。インドに行って来いというのである?
だが、俺は人間と人間が触れ合う場合、特に少数民族を訪ねるような場合は言葉が通じないので、人間が感覚で分かると思うのである。
この日本人の2人は日本語でしょっちゅう話をして、ヒソヒソ話しているように見えて印象が良くない。
実際に2人の世界を作ってしまっているのであるから、他人の入る余地がない。
その事はこの様な少数民族を訪ねて何かを知ろうとするのに良いことではないだろう。
一つの壁を作ってはいけないと思うのである。

 同じソイ族の 泊。

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