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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-113
5)バングラデシュを歩くまで
日記から-3
2月5日 (日曜日) 快晴
今日は何処の大使館も開いているので、先ずはインド大使館へ行く予定である。
さて起きようとした時に昨日から親しくしているバングラデシュ人が言葉を教えてくれるとやってくる。
まだ、シャワーも浴びていないし、この部屋に来た人は使いの人で本人ではないので大変頭に来る。
使いに来た人には今日はすることがあるのでと断る。
インドの大使館へ行った。
そこでは日本の海外青年協力隊の隊員に会う。バングラデシュについていろいろ教えてもらう。
それで、隊員がよく使うダッカのゲストハウスに泊まることにするが、今日はすでに昨日の所の宿泊代を払ったので、明日からそこに泊まることにする。
海外青年協力隊の人とリキシャに乗る。俺は初めてこのリキシャに乗った。
自転車の後ろに客の乗る席が2人ほどあり、後輪が2輪ある3輪車になっている。
マレーシアなど東南アジアの物はお客を前に乗せる形であり、前方に2輪がある3輪車である点が非常に違う。
そのゲストハウスまでリキシャで行ったのだが、あまり価格が高くないようである。
そのゲストハウスでは日本の本が多くあり、大変助かった。しばらくそれらに目を通す。
その後、夕方は現在、海外青年協力隊のダッカにて働いている駐在員の家に行く。
そこで、夕食をご馳走になる。
この家ではお手伝いさんを2~3人使っているようだ。その人たちに日本食を教えていたのであろう。
日本食を食べさせてもらった。
このお手伝いさんのことである。1ヶ月200~600タカで雇えるそうである。
俺は人を使うことが下手なので、お手伝いさんを雇えないし、贅沢な気がする。
この国で面白いことは街の角とか店の前に縄がぶら下がっているのである。
その縄の先には火が点いている。何のためにあるのかと思ったら、タバコを吸う時の火である。
その縄はゆっくり燃えて、決して消えない。
夜にホテルに帰って様子が変わっていた。あのまとわりつくような感じがなくなったのである。
少しよそよそしくなったのである。それは今朝バングラ語を教えてくれるのを断ったからかもしれない。
しかし、彼らが一方的にしてやると言ったのを断っただけで、約束したわけではないのにな。
それで夜遅く帰って来ても、こちらの落ち度はないと思う。
そういえば、隊員たちがバングラデシュ人はおせっかいだと言っていた。そのおせっかいに反したのである。
彼らにしてみたら「勝手にしろ。」とでも思っているのかもしれない。
出費 43タカ
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