徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-118

2010-12-16 07:23:47 | 世界徒歩旅行記

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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-118

5)バングラデシュを歩くまで

日記から-8

2月10日 (金曜日) 晴れ

 コックスバザールに朝の10時に着く。今日はこの国にとって週末で何処のホテルも満員である。
少しだけ部屋が残っているホテルは宿泊代が高い。結局、4時間ぐらい歩き回る。
彼らの手口は10~11タカの宿泊料を2倍ぐらいに吊り上げているようだ。非常に汚い。
今日はとにかく、20タカで泊まることにする。

 夜、食事をしに食堂に入る。この食事が今日始めての食事である。何とか生き延びた。
それが終わり、他の店に入り2杯の紅茶と2つのお菓子を食べた。
さて、店を出ようとお金を払う時のことである。始めは2タカと言ったように思ったが、店の主人は6タカだと言うのである。
ここで一騒ぎあった。彼は完全に価格をごまかし2~3倍の価格を取ろうとしていると思った。
俺は周囲の客にも聞いたり、「警察を呼べ」とも言って1時間ぐらい粘ったが、ラチが明かない。
周囲の客に聞いたときは皆は6タカするのだと店の見方である。何と言うことだ。
仕方がなく、「警察に行く」と俺が言い、店を出てきた。その時は2タカだけ払ったのである。
その後、店にいた多くの客は俺について来て、その店の外では「2タカでいいのだ。よくやった。」と言うのだ。
どうなっているのだこの国は、、、

  そして、ゴムゾウリで歩いていたのだが、その鼻緒が切れてしまった。
この国ではゴムゾウリの鼻緒を雑貨屋で買うことが出来るのである。それで雑貨屋に入ってそれを求めた。
店ではその鼻緒が「3タカだ。」と言うのである。もう既に喧嘩し疲れていたので、その言われるまま3タカを出した。
そしたら、ついて来ていた先ほどの客が何やらこの雑貨店に話すのである。
不思議とこの店の人は1.5タカだけしか取らなかった。何ということだ!
この客達は「こいつは今喫茶店で喧嘩をして来たのだ、只者ではないぞ!」とでも話したのだろう。
この国の人々は打ち解けると大変正直で良いのかもしれない。
俺はまだ馴染めないがうまくこちらからフレンドリーに付き合うと相手もそうなるのであろう。

  この後、また紅茶を2杯飲んだが、それは2タカである。
この時は言い争う気になれなかったが、店を出るとき「2杯で1タカだろう。」という感じ
で言ったら、店の人は笑っていた。

 
                      食堂の中

出費 31.50タカ


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-117

2010-12-15 07:53:38 | 世界徒歩旅行記

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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-117

5)バングラデシュを歩くまで

日記から-7

2月9日 (木曜日) 晴れ

 昼にカシンプールで取れた野菜をダッカに持っていくトラックに一緒に乗り、カシンプールを出発。
ダッカでの売る場所は外国人が多く住んでいる高級住宅地である。もちろんそこは日本人も多く住んでいる。
この野菜はバングラデシュではしていないビニールパックをして、清潔感がある。
だから外国人は少し高くても買うのである。その販売の様子を少し見せてもらった。
その後、日本人の駐在員たちも集まり、昼食を食べると言い出した。
俺は貧乏旅行者で泊まろうとしたり、食事をたかろうとしていると思われるのが嫌でその場を出てきた。

  その後はダッカのバスターミナルまで歩いて行く。
夜の10時のコックスバザール行きのバスを予約する。とにかく、6時間待たなくてはいけない。
時間を潰すためにぶらぶら歩いたり、町の中心で座っていたりした。
そうすると人々が多く集ってくるのだが、今度はもう俺を日本人だとは思わないらしい。
だから、何処から来たのかお前は何人なのかとヒツコク聞く。無視するのだが非常に頭に来る。
彼らは俺がベンガル語を話さないことを良いことに、馬鹿にしているようだ。
皆は俺を見て笑うのである。
面白いことに俺が彼らに強くひどい態度に出ると彼らも同じような態度で対応するようだ。
人間は何処の国も同じなのでお互いに感じが分かるのだろう。
今日はこのバングラデシュをこの後どう歩いていこうかと不安になるのである。

 
      食堂での人々

 夜10時のバスはチタゴンに寄りコックスバザールへ

  出費 109.50タカ


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-116

2010-12-14 07:26:06 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-116

5)バングラデシュを歩くまで

日記から-6

2月8日 (水曜日) 曇り

  昨日、ダッカを離れて田舎に来て本当に良かったと思う。
それに昨日の夜はこの回教の国ではあるがヒンドゥー教の祭りがあった。
その祭りでは神であるいろいろな人形を見ることが出来ただけでなく、太鼓、踊りがありまた、楽しくなるような音楽まであった。

 今日の午前中は隊員の仕事を見て、時間をゆっくり過ごす。
俺は土木系の学科だったので、特にその中の農業土木は興味が沸いて来た。

 午後からは隣の町のヒンドゥー教の祭りも見に行く。
いろいろな神々の人形があり、綺麗に作った物、カラフルに作った物と非常に興味深い。
この祭りに連れて行ってくれたのは香西さんで、彼はこの祭りが非常に好きである。
彼の趣味でこの祭りを見に来たようなものであるが、俺も嫌いではない。
この辺はガンジス川の河口に当たるので、土壌が土というより粘土に近い。この土を利用して作った人形である。
また、この辺の家々はこの粘土の土を使った家である。昼の暑い時間にその土の家に入ったのだが、中は涼しいのである。
そればかりでなく、その家は隙間がなく清潔であり、家具などもないからか、ゴミが溜まる所がないのである。
それに床は良いつやを出し光ってもいる。床を拭くには少し水を含ました布で拭くと新しく作った床のようになる。
屋根はもちろん藁葺きのもので、懐かしい感じの良い家である。

 隊員の家に来て一つ感じたことは必ずお手伝いさんがいるということである。
前は人が人を使うということはいいこととは思っていなかったが、考えてみると彼ら(彼女ら)はこの様に働かなかったら仕事がないのである。
ここのお手伝いさんはダッカの町で貧しく働いていた12歳の男の子を連れてきたそうである。
彼が学校に行きたいということでここに連れて来て、働きながら学校に通わせているのだそうだ。
その子はダッカで朝から晩まで働いて一ヶ月80タカで働いていたそうである。
とにかくここバングラデシュでは仕事がなく「何でもいいから働きたい」と食べるために必死である。

 それにしてもお手伝いさんは一緒に食事は出来ないばかりではなく、一緒に座れない。
これはこの国のルールであるようで何ともいえないが、時代の流れで変わって行くことであろう。
それを期待する。だから今はとやかくは言わない。

それにしても、何だかバングラデシュ人々がだんだん好きになって来たようだ。

出費 60タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-115

2010-12-13 07:15:55 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-115

5)バングラデシュを歩くまで

日記から-5

2月7日 (火曜日) 曇り

 昨日はパスポートがインド大使館にあったためネパールのビザを取りに行けなかった。
今日、早速ネパール大使館に出かける。その為にホテルは早めにチェックアウトする。
銀行にも途中寄り、換金をした。

朝ホテルのトイレにも行かず出てきてしまった。銀行でトイレを使おうとしたがそこにはなかった。
その銀行の隣の大きなホテルに行ったのだが、そこではトイレに鍵がかかっていた。何というホテルであろうか?
もう我慢が出来ない。それでもネパール大使館まで何とか辿り着き、何とかなった。

 このネパール大使館では海外青年協力隊の隊員達が来ていて、彼らは流暢にベンガル語を話していた。
そこでは日本人が好きだからとビザを取る期間が3日間だと思っていたが、着いた午前中、目の前でビザをくれた。
大いに助かったが、手数料が250タカと非常に高かった。後で考えると日本人だからということではなく、特別に金を出せば早くやってくれるのである。
この250タカはタイでビザを申請する手数料より高い。

 その後、青年協力隊の隊員が昨日ゲストハウスに泊まれなかったことに対して大いに恐縮していた。
それで彼は昼飯を奢ってくれる。その後はゲストハウスに戻り、風呂に入り夜のバスでチタゴンへ行こうと待っていた。
そこに別の隊員がダッカに何かの用でやって来た。その人が現場に来ないかというので、一緒に行くことにした。
そこはダッカから近い所らしい。まだ、歩き出すには情報が少なすぎると思ったので、丁度良い。

 この隊員は津村さんといい、これから行く所はカシンプールという所である。
そこには香西さん、滝口さんという人がいる。皆の仕事はそれそぞれ農業土木、ニワトリ、野菜などである。

 夜、彼らと一緒に食事をした。彼らはこの回教の国でも酒を飲むことが出来る。
それは特別なパスがあるので、酒を買うことが出来るからである。おまけに無税であるので非常に安く手に入るらしい。
今日は酒を飲めたが、今後はしばらく酒は飲めないことになるだろう。

出費 264タカ(この中には250タカのビザ代が入っている。)

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-114

2010-12-12 08:06:37 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-114

5)バングラデシュを歩くまで

日記から-4

2月6日 (月曜日) 晴れ

 朝、昨日見に行ったゲストハウス(JOCV)に荷物を運ぶ。
今日は夕方まで何もすることがない。何故なら、昨日申請したインドのビザが夕方に出るからである。
パスポートを預けているので、次に行くネパールのビザを申請しに行くことも出来ない。
結局、夕方までそのゲストハウスで日本の本を見ていた。

 夕方、ビザが出ているインド大使館へパスポートをもらいに行く。

  パスポートを受け取り、ゲストハウスに帰ってきたら、そこにいた初めて会う海外青年協力隊員が外部の人は泊まれないと言う。
取り合えず、荷物はそこに置いたまま、夜のダッカに出る。
さ迷って、やっとホテルを見つける。その時間が7時くらいである。
大きなバスターミナルの南側にホテルが集っている所がある。そこで25タカのホテルを見つけた。

出費 142.90タカ