徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-123

2010-12-21 07:21:55 | 世界徒歩旅行記

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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-123

6)バングラデシュを歩く

日記から-3

2月15日 (水曜日) 曇り、雨

 コックスバザールから元のメイン道路に戻るのに6km間、昨日と同じ道を歩く。
この様な時は何時もこの6kmが何と長い距離なのだと思うのである。

 今日、歩いた距離が40kmを終えて、ゆっくり歩こうと思っていた時である。
それは小さな村を通り過ぎようとした時であった。
その時はちょうど学校が終わたのと仕事をしていた人も終わったのか、道路上には多くの人々がいたのである。
そこを俺が通り過ぎるのであるから大変なことになった。俺の後ろに100人ぐらいの人々が着いて来たのである。
この村に着く前にも数人が俺の後ろに着いて来たが、その時は追い払うようにしていた。
しかし、ここまで人が多くてはどうしようもない。
知らない人が見れば、何だかどこかのヤクザの親分が子分を連れているような感じである。
実際は俺に着いて来る彼ら100人の気持ちを俺が捕まえているのではないからおかしなものである。
彼らはただ「面白い奴がいる。着いて行こう。」というだけの話であろう。
俺が例えばガンジーのようにすばらしい人間であるから着いて行こうというのとは違うのである。

  Dulahazaraに着き、Rest Houseに泊まれるか聞いたが、許可が下りない。融通が利かない奴ラメ!
そこの人は1km先にボーディングハウスがあるからそこまで行けと言う。
さて、そこまで行ったら非常に汚い部屋が15タカだと言うので止めることにした。
だが、そこの前にはアメリカの助けで建てた病院があり、そこにゲストハウスがあると言うのである。
それは75タカ(750円)すると言う。今までそんなに高いところで泊まったことがない。
しかし、英語が分かる人に「泊まれる所を探している。」と言った手前と、アメリカ人が出てきて話したので、見栄もある。
アメリカ人にこの日本人は75タカもないのかと思われたくなかったこともあるのである。
だから「チョット、それは、、、」とは言えなかった。そんなことで泊まることにした。

この病院の後ろに入り口は小さいが奥が非常に大きく広い土地があり、それはバングラデシュとは思えないまるでアメリカにいるような建物が点在している。
その中の一つがゲストハウスである。その中は綺麗でダブルのベッドとお湯が出るので、アメリカのモーテルなら25ドル~35ドルはするだろう。
アメリカでも8~15ドルぐらいの所でしか泊まったことがない俺なのに、ここは良い所だ。考えてみると、この75タカをドルに直すと3ドルぐらいである。
かえって得したような気にもなる。しかし、ここはバングラデシュであることを心に戒めよう。

 ここでは1人のバングラデシュ人と多くのアメリカ人がいて、皆良い人である。
しかし、アメリカ人とか西洋人はどうして全ての環境を自分の様式に変えてしまうのであろうか?
ここには病院で働いている人、宗教で来ている人などがいて、彼らが敷地内の家々に住んでいる。
その家の中はまるでアメリカの家である。この敷地内にいる限り、絶対にバングラデシュにいるとは思えない。
一歩でもこの敷地を出れば、土で造った一間か、あっても二間の小さな家ばかりである。
それに比べれば、この敷地内は間取りが幾つもある大きな家ばかりであり、バルコニーまである。
そればかりではなく、そのバルコニーの隣には卓球の部屋、外にはバトミントンコート、おまけにプールまである。
これは一体どうなっているのだろう。?

 ここにはアメリカのクリスチャンがボランティアで来ているのだと言う。
結局、クリスチャンの教えに従いこの恵まれないバングラデシュに来て、働いていることになっている。
しかし、ボランティアと言ってもバングラデシュの人と接することなくアメリカの生活となんら変わりがない生活で良いのだろうか?
俺はこの様なボランティアはあまり好きではない。
これはあのオーストラリアのアバリジノ人の居留地での白人たちのことを思い出す。
いかにもアバリジノ人の為に良いことをしているように見えるが、それは自己満足のためであり、自分の型にはめようとするのである。
即ち、俺は彼らが偽善に見えるのである。それでも彼らはこの仕事を誇りに思って一生懸命やっている。
ここの人は近い内にアメリカに帰って、多くの援助金を集めて来るそうである。
アメリカに帰り、どんな活動の報告してお金が集るのであろうか?
貧しいこの国の状況だけ伝えてもお金が集るが、それは活動とは関係のないものである。
また、集ったお金はこの敷地内の高い経費に消えて行くだけであろう。

 話は変わるが、それにしても今日ここに来て俺は英語で話しが伝わり大変楽であった。
それと彼らクリスチャンは親切で良い感じである。
だから今日は俺の心が安らぎ、また、何時も盗難にあうか心配しているバックパックの荷物を気にしなくていい、大変良い日であった。

  出費 105.50タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-122

2010-12-20 07:42:00 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-122

6)バングラデシュを歩く

日記から-2

2月14日 (火曜日) 曇り

 昨夜、この村の人々が俺の周りに来るのかと思ったが、学校の中に俺一人で入っていたので、外で彼らは長い間見ていられなかったようだ。
また、俺がベンガル語が出来なかったので、退屈したのであろう、わりと早く1人になれた。
一人になれたのは良いが、寝ようとしても蚊が多くて寝ることが出来なかった。
体を覆うために冬でも使える寝袋をかけるのであるが暑すぎた。
それでも蚊に刺されたくないので、我慢して寝袋をかけるようにしたら、朝は寝袋がしっとりと汗で濡れていた。
体は蚊にあまり刺されなかったが、顔は蚊に多く刺されて大変であった。結局よく寝れなかった。

 今日は空、全体を包み込むような曇りでたまに雨が降る。
歩くには暑くないので良いのだが、何時雨が降るか不安で嫌な気分である。
(雨が降っても歩くのだが、、、、、)

 歩いている途中オートバイに乗っている人に会い、彼が話しかけて来た。
彼は今日コックスバザールに泊まると言い、そこで会おうと言う。
今日の歩きはコックスバザールまでではなく、その前で終わりたかったが、約束したのでそこまで歩くことにした。
コックスバザールまで行けば今日は50km歩くことになる。
今日はその距離を歩こうとしていなかったのに、彼に会った後の最後の3時間がフルスピードである。
久しぶりに歩き始めて2日目にして体に無理をしている。

 とにかく、コックスバザールに着いた。
オートバイの男の言ったホテルの名は何と食堂であって泊まれる所ではなかった。どうなっているのだ。
彼とは会うことが出来ないし、他のホテルに泊まることにする。
せっかく、今日はホテルに泊まらないで節約しようと思っていたのに今となっては仕方ない。

 この国では自家用車が少なく、大衆が使うバスとかトラックをたまに見かける。
従って、歩いている時は車の数が少なく助かる。
このバングラデシュの端の田舎では俺が見かける一日の自家用車が2~3台程度である。
オートバイも少なく、一日に5~6台見るのが精一杯である。それらは本当に金持ちしか乗れないものであるようだ。

出費 54.50タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-121

2010-12-19 07:50:23 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-121

6)バングラデシュを歩く

 
バングラデッシュを歩いた道。東南から西へ歩いた。


日記から-1

2月13日 (月曜日) 曇り


  バングラデシュの国境の町Teknaf(テクナフ)の海岸を出発。

 今日は船に乗らず、国境である海岸まで歩き、そこから出発することにした。

朝、8:20の出発である。
タイとミヤンマーの国境まで歩き終わって、もう既に20日が過ぎている。
やっと歩き始めることが出来るのである。

 今日は靴が小さく気候が暑いこともあり素足で運動靴を履く。
それら全体の俺の姿はいかにもお金を持っていない貧乏旅人のようで、すれちがった人々は俺を見た後笑うのである。
それはただ笑うというのでなく、馬鹿にして笑っているようなのである。
また、すれちがった後聞こえてくる言葉に「ビルマ」ということがあるので、ビルマ人ではないかというのもあるのである。
彼らはお金がないのに旅行をしていると俺をみんなの慰めにしているのであろうか?
また、子供達の集団の中には俺に石を投げる奴らがいる。この心理はどういうところから来るのであろうか?
日本の暴走族と同じように集団で弱い者いじめをするような心理なのだろうか?
このバングラデシュの子供たちも一人一人見たら、悪い子では決してないが、何もしていない人に石を投げるのである。
たぶん自分達の気持ちを満足するために集団という形で悪いことをやれば、決して悪いことをやったという気持ちにはならないのだろう。
「皆がやったから。」と言うこれである。これから先、石を投げられて困るだろうな。

 しかし、人間は面白い。石を投げるにしても前からではなく、俺がその集団を通り過ぎて、後ろから投げるのである。
また、同じ方向に歩いていても俺が近づくと後ろに回り、後をついて来る。
これは、タイでの犬と同じである。犬も近くに寄ってくるが、俺の後ろに来て吠えたり、咬み付きに来たりする。

 今日の夕方、本当に小さな村に着いた時、食堂でご飯を食べさせてくれるか2~3軒聞いてみた。
その食堂にはご飯がないという。そうして困っていると1人のこの国では金持ちそうな男が聞き取りにくい英語で話しかけて来た。
聞き取りにくいが、その人は学校に泊まらせてくれるのとチェアマンの所で食事をさせてくれると言うのである。
バングラデシュを歩き始めて1日目にして夜泊まる所が見つかった。
俺は本当に運が憑いている男である。
今日の昼は石を投げられたりで、今後この国を歩けるのか不安であったが、どうにかなるかもしれない。

出費 32.25タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-120

2010-12-18 05:55:08 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-120

5)バングラデシュを歩くまで

日記から-10

2月12日 (日曜日) 晴れのち曇り

 今日歩きを出発するため、朝早く起き、船に乗ろうと7時前から船を待っていた。
昨日はこちらの人は7時に船が出るとはっきり言っていたのに、今日は10時だという人もいる。
それで、食堂に行き、2時間以上時間を潰す。
再び、船着き場へ10時に行ったら、海水が満ちておらず船が動く状態ではないと言うではないか?どうなっているんだ。
この様に途方に呉れている中、バングラデシュ人で世界を旅し、ユネスコで働いているという男に会う。
結局、今日は歩くのは止めになる。

彼は今日俺にこの Teknaf(テクナフ)の村の案内をしてくれる。
いろいろな所に連れて行ってくれたのだが、印象的なのはこの回教の国で隠れて酒を飲んでいる所である。
そこは仏教信者の集る場所で、酒を飲む前には何か物を焚き煙で清めるのである。
この国にも裏には裏があるのである。
しかし、この男はいろいろ連れていてくれるが、何だか信じられなく、彼のペースで動くのが嫌で、彼が待たせた時に別行動を取る。
彼には60タカ貸したのだが、どうせ返してくれないと思ったので、惜しいが諦める。損をした。

 夜、宿所から村にまた出る。警官の下っ端の人と仲良くなり村を回る。
この警官も泊まっているボーディングハウスの使用人も「日本に連れて行け。」と言うのである。
そんなに簡単なものではないのになと思うのだが、、、、
彼らは俺をこの国の人に説明する時、「彼はエンジニアだ。」と誇っているように話している。
何処で、俺のことを知ったのか?それとも日本人は皆エンジニアなのか?
実際、俺はシビルエンジニア(土木工学科)を学んだ。

 今日も一日面白いことばかりであった。
昼のユネスコの男は自分の国の人々を教育がない奴らだと馬鹿にしていた。
本当にそれは実感することがある。それは彼らが話している内容が単純に思えるからだ。
また、隣の国がビルマ(ミヤンマー)その隣がタイであり、という風に地図を書くと彼らは感心している。
それからすると日本という国というととんでもない遠い国であり、想像もつかないのであろう。
それとも、夢でも見ているようで全然頭に入らないのかもしれない。
それにしても、ユネスコの男の様に自分の国の人を卑下して良いのか?
教育はなくても良い人は多くいる。下手に知識があると騙してやろうと悪いことをするのだが。

出費141タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-119

2010-12-17 07:15:39 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-119

5)バングラデシュを歩くまで

日記から-9

2月11日 (土曜日) 快晴

 バングラデシュでの歩きを出発する地点に行くためにTeknaf という所へバスで行く。ここは小さな村である。
ここは田舎だからか、町を歩いていると皆がじろじろ見る。
彼らは俺が何人(ナニジン)かということに関心があるようでそれが分かる。
彼らの話し振りからは「ビルマ人」ではないかというのが一番多いように思える。

 安いボーディングハウスを見つけ泊まることにする。
その値段が10タカで、コックスバザールからここまでのバスが14タカだからそれと比較してもあまり高くないようだ。

 髪の毛を散髪屋に入り切る。その料金が5タカである。
その価格だからか?櫛などは汚く、日本では衛生面で許可がでないだろう。しかし、5タカだから日本円にすると50円ぐらいと安いものだ。
この他この散髪屋ではこの料金の中にはヒゲを剃らない代わり、マッサージを軽くしてくれるのが入っている。

 明日は出来るだけここから南に下がり、なるべくミヤンマーに近い所から出発しようと思っている。
その為には船で朝早く出るしかない。そして海岸か川岸を歩いてまたこの Teknafに帰ってくることになる。

 今朝、コックスバザールを出発する前、昨夜入った喫茶店に顔を出したら、まだお金を6タカの内の4タカ出せと言うので、2タカだけ出してきた。
この国の人はあっさりしているので、次の日まで、とやかくは言わないと思っていたからであった。
しかし、ここ Teknafに来てチャー(紅茶)を飲んだのだが、一杯が1タカでお菓子が1~2タカである。
そうなると昨日の2杯の紅茶と2つのお菓子は6タカというのも、まんざら間違いではなかったのかもしれない。
となると、コックスバザールでは喫茶店で2タカを踏み倒してしまったことになる。
バングラデシュに来て悪いことをしてしまった。今後はもう少し、相手を信用しよう。

 この町の食堂でお茶を奢ってもらった。その人からはいろんな話も聞いた。
この様にまたタイの時のような人々との触れ合いが始まって行く。
今、俺はまたこのバングラデシュという国の中に入って行く。ダッカに着いた時の様に俺だけが浮いているようなことはなくなってきた。
さあ、明日からはまた歩きが出発するのである。

  出費 57タカ