徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-128

2010-12-26 06:18:55 | 世界徒歩旅行記

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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-128

6)バングラデシュを歩く

日記から-8

2月20日 (月曜日) 快晴

 今朝も朝食を食べさせてもらう。
それはルーテーという薄いパンのような物であるが、今までのルーテーとはチョット違い荒いボロボロしたものである。
それと蜂蜜のような木の汁をそのルーテーにつけて食べるのである。
この様にその国の人と深く付き合うとその国の本当の料理が食べられて大変嬉しい。

 昨夜から、このバングラデシュの家でお世話になっているが、ここでは奥さんとは顔を合わせることが出来なかった。
奥さんはカーテンの向こうでベンガル語を俺の隣にいる旦那さんに話しかけそれで会話をしていた。
また料理を出してくれるが、カーテンの向こうからお皿が出てきて奥さんの手だけを見たぐらいである。
これが敬虔な回教の家なのだろうか?マレーシアでは女性は外に出ていたし、頭にスカーフは被っていたが顔をは見れたのにな。
この国では女性はこの暑いのに溶接工のようなマスクの目の部分が付いた布を頭から被っている。
即ち、完全に女性の姿は見ることが出来ないのである。女性が自由ではないということである。
だから日ごろ、圧迫されているからか、彼女達は顔が見えなくても好奇心が強く質問が多いようである。
彼女たちも本当は外に自由に出て、話したいだけ誰にでも話したいようである。

 今日は昼食を食べていても、休む時にお茶を飲んでいる時も人が多く集り、大変であった。
それでも何とか無事に終わった。しかし、夕食を取った時から、今日の悪運が始まった。
一人の英語の出来る人が、今日は市場に泊まっても良いというので安心していた。
そこに老人がやって来て、ここでは泊まるなと言う。俺はそれではということで橋の下にテントを張った。
このテントを張った時も人々がたくさん集まって来てそのテントを張る様子を人々は見ていた。
俺はもう寝る状態のまま人々がいなくなるのを待っていたら、先ほどの老人がやって来て言うのである。
「ここでは人々が動揺するので、テントを張らないでくれ!」
地元の老人が言うので仕方なく移動することにした。この先6kmにFeniという町がある。そこにホテルがあり、泊まれると言うのである。
先ほどテントを張った時と同じように多くの人々が集まり片付けるのを見ていた。暇なのだ。
その時はもう暗かったので周りにいた人々の中には火をつけてテントを片付けるのに協力をしてくれた人もいた。

  この暗くなった道を一人で歩いてやっとFeniという町に着いた。
ここにはダッカの観光案内でホテルの一覧書をもらいホテルがあるというのは知っていた。そのホテルを尋ねたが、価格が違い、そのホテルに一覧書を見せ怒ってやった。
そのうち彼らは「部屋がない。」と言い。それでまた俺は怒る。4軒ほどその様に喧嘩をして出て来た。
何度もこの様に夜の街をさ迷って、「今日はこの町で泊まれるのかな。」と思いながら歩いていた。
リキシャにも安いホテルはないのか聞いてみた。もう最悪の状態である。
やっと見つけたホテルも汚く最悪なホテルが20タカであった。信じられない一日であった。
今日の様な時、俺はバングラデシュを大嫌いだと言うのである。
この国は外国から多くの援助を受けていながら、それでも外国人からお金を多く取ろうとしている。
その様な町の商人は最低である。(この様に書いたらス~とした。)

 この汚いホテルでシーツが汚いので換えてもらったら、換えてもらったシーツがあまり綺麗でない。
そして、換えたシーツは綺麗にたたんでまた倉庫に入れていた。即ち、シーツを洗わず何回も使っているのである。
どうりで汚いと思った。
今日は夜9時過ぎまで歩き回った。だから疲れて早く寝よう。

  Feniのホテル泊

  出費40.40タカ


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-127

2010-12-25 08:14:25 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-127

6)バングラデシュを歩く

日記から-7

2月19日 (日曜日) 快晴

 チタゴンを出発する。
昨日は歩くのも遅く、バングラデシュ人のせいで精神的に大変疲れていた。
このバングラデシュでは人々が「お前は何処から来た。」と言う質問を一日何十回とし、それに答えて行かないといけないのである。
それにしても、今日は昨夜街を歩き回ったわりには足が軽い。だからか、人々が話しかけてきても面倒に思わず、返事をしてあげたのである。
従って、人々と結構会話があり、不思議と楽しく歩けた。

 夕方、Sitkundという所の食堂で夕食を取っていたら、隣で食べていた人が今晩、家で泊まらないかと言ってくれる。
俺は喜んでそうすることにした。その彼の家に行く前に山へ出かけ、ヒンドゥー教の寺を見に行く。
彼の話ではこの後10~11日すると彼らの祭りがあると言い、彼はその準備で忙しいと言う。

  彼の家はこの町から1km離れた所で暗くなったので、リキシャを使い移動をした。
泊まる所は彼の家だと思っていたのに、実際はそれが彼の家の前にあり、学生が泊まっている寄宿舎のような所であった。
その後、彼の家でもう一度夕食を取る。大変助かる。その後のデザートをこの国で初めて食べる。
そのデザートは自分でバナナとご飯と砂糖とミルクを手で混ぜて作る物である。
アメリカで食べたライスプディンの様なものであるが、それを自分の手で混ぜて作るのである。
バナナをうまく潰すのがこのデザートをうまく食べるコツである。
夜遅くまで、学生と話をしていた。

  出費 22タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-126

2010-12-24 07:09:13 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-126

6)バングラデシュを歩く

日記から-6

2月18日 (土曜日) 快晴

 朝食を昨夜から親しくしていた山岳民族(Hill tribel)の人と取る。
彼は昨夜のチャ(紅茶)と今朝の朝食を奢ってくれる。ありがとう。
彼はこのバングラデシュ人には珍しく顔が東洋人のようであり、日本人にそっくりである。
だからか、よく気が合うのかもしれない。彼は蜂蜜の会社で働いているそうだ。

 ところで、俺は「早くこのバングラデシュを歩き終えたい、終えたい。」と思って歩いているようだ。
潜在的にそう思っているのか、マレーシアを見ているからか、イスラム教の国は俺に合わないのかも知れない。
とは言っても、彼らは俺に石を投げたりしたが、何もこれと言って俺に被害を加えているということもないのだが、、、、
この国の人々が俺の後を着いてきたり、分からない言葉で俺に話しかけてきたら、俺は怒ったように話をし、何時も腹を立てているように思うのである。
俺は一体何者なのだ。俺はどうして何時も怒っているのだ。
俺はこの国より先進国から来たし、俺は彼らより学識があるということで上からものを見ているのではないか?
もっと同じ地点から彼らと一緒に話したり接したりしないとここ(この国)にいる意味がないと思うのである。

  とは言うものの昨日、PattayaにはJOCV(海外青年協力隊)がいると言うので、今朝はそこを尋ねてみた。
これはバングラデシュ人とは離れて、心に安らぎを得たいと思ったからである。
マレーシアでも自分から日本人を求めて会ったことがなかったのに、俺もずいぶん弱くなったものだ。
結局、今朝はJOCVに日本人がチタゴンへ出張していなかったので、俺はそのまま歩き続けた。

 俺も今日はチタゴンまで歩いた。
バスとトイレが付いている宿泊料が25タカのホテルで泊まる。
このホテルはコックスバザールで泊まったボーディングハウス(宿泊料20タカ)と比べると大変良いところだ。

出費 50.40タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-125

2010-12-23 07:48:44 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-125

6)バングラデシュを歩く

日記から-5

2月17日 (金曜日) 快晴

 今日はこの国の週末のせいか自家用車が多く目に付く。とは言ってもタイほど自動車の数は多くない。

 
   バングラデシュの道路は良くない。

 このバングラデシュは道路があまりよくない。また、道路をよく修理している。
この道路の修理は道路に土を盛り上げてあるが、その上に粗骨材を敷き、アスファルトを被せるというものである。
ここら辺はガンジス川の河口なので、粗骨材になる石がないのである。
石の替わりにレンガを作りその横で壊して道路に使う粗骨材を作るしかないのである。
せっかく作ったレンガをすぐに壊すのはもったいないし、作ったものをすぐに壊すと言うのは何だか変な気がする。
道路を修理する所が移動していくと、レンガを作る所も移動する。それは何処にでも粘土は取れるからである。
それに従いレンガを壊すのも移動していくのである。
レンガを壊す仕事は一日中同じ仕事を炎天下でしなければならない。
この様な単純労働を炎天下でやるのはバングラデシュの人が最高だと言う人もいる。本当かな?
とにかく、道路の両側で、作ったばかりのレンガを多くの人がハンマーで壊している姿は異常である。
なぜ機械で出来ないのだろうか?機械を使うと彼らの仕事がなくなるからだろうか?

  今日はPattayaという町で泊まる。

  出費 42.20タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-124

2010-12-22 07:42:49 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-124

6)バングラデシュを歩く

日記から-4

2月16日 (木曜日) 曇りのち晴れ

 朝、アメリカ人が何時もやるように彼らは俺の写真を撮った。そして、治外法権の様な敷地をを出て、歩き出す。
本当に昨日の夕方は他の国にいるようで一瞬の夢のような一時であった。

 さて今日は5~6kmはジャングルが続き、バングラデシュにいることを思い知らされた。
その後は水田に出て、またすぐに人々の多さに驚かされる。そして、後ろに着いて来る人々。これがバングラデシュである。

 
水牛が池にいる。カメラが悪く綺麗に撮れなかった。

 今日はこのバングラデシュを歩き始めて、初めて晴れた。暑い日である。
それでも影が涼しいのが助かる。歩くのには一番良い日である。
今日の歩く距離は22kmぐらいで止めようと思っていたが、23km歩いたら警察署があった。
そこで、この辺りに泊まる所があるのか聞いたら、1~2km先にボーディングハウスがあると言う。
その警察では何回もこの辺は山が多いので外で寝ると危ないと注意をしてくれた。
それなのに1~2km歩いてもそれらしきものがなく、その内に日が暮れてしまった。
結局、そのボーディングハウスは見つからなかったのである。
仕方がなく、学校なのかまたは警察らしき所に入り、泊まる所を探していると言う旨を伝える。
そうしたら、そこで泊まって良いというのである。そこは何と学校でもなく警察でもない普通の家であった。
結構広い敷地に幾つもの家が立派に建てられている。それで俺は公共の建物ではないかと間違えたのであった。
その家々は一つの親族が住んでいるのである。皆は親切に対応してくれ、ある人は日本に大変興味を持っていた。
ここの人々は大きな家に住んでいるからお金があり、教育が出来るからか、皆大学以上を出ているようだ。
だから、皆が英語を話す。

 話は戻るが、今朝、道をチタゴンヒルトラックの方へ行くのは皆に止められた。
それはそこを通るには許可がいるらしい。また、それよりチタゴンにストレートで行く方が楽だからである。

出費 22.15タカ