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伊東良徳の超乱読読書日記

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なぜスナフキンは旅をし、ミイは他人を気にせず、ムーミン一家は水辺を好むのか

2025-03-16 20:37:04 | 人文・社会科学系
 トーベ・ヤンソンが自閉スペクトラムの特性を持つ「ニューロマイノリティ」であり、ムーミン・シリーズのキャラクターはトーベ・ヤンソンの個性が反映されてニューロマイノリティの特性を持つという仮説を立て、そのように読むことで読者にニューロマイノリティへの理解を深めてもらいたいと語る本。
 周囲とコミュニケーションを取ろうとしないキャラクターや我の強いキャラクターがてんでバラバラに思い思いに振る舞う様は、そのように読むこともできます。しかし、それはただ読者に強い印象を残すには個性の強いキャラクターを走らせなくちゃということかも知れません。
 浸透した作品と親しまれているキャラクターを用いて自閉スペクトラム症の人への寛容と理解を求めることは、皆が生きやすくなる戦略として好ましく思えますが、あれは自閉スペクトラム症の特徴、ニューロマイノリティの傾向、あれはニューロマジョリティの色彩が強いと繰り返すことには、むしろレッテル張りのリスクと印象も感じます。「病気」なんだから大目に見てよ、理解してよということは、そのような理解につながる面もあるでしょうけれども、先入観を強める面もあると思います。自分の言動の傾向を、「病気」としてではなく「個性」と受け止めて欲しい人だっているのではないでしょうか。
 自閉スペクトラム症の人への理解を求めるという観点からは、私は「ムーミン谷の冬」でトゥーティッキがムーミントロールに「あのね、この世界には、夏や秋や春には居場所のないのがいっぱいいるのよ」と諭す場面(ムーミン全集[新版]6「ムーミン谷の冬」57~58ページ)が印象的でした。しかし著者はこの場面には注意を払いません。他方で、「ムーミン谷の十一月」でホムサがみんながスナフキンを尊敬する理由は「みんなから距離をとって、自分の世界に閉じこもっているからかもしれません」と考える場面(ムーミン全集[新版]8「ムーミン谷の十一月」187ページ)は引用し強調しています(130ページ)。著者は、ニューロマジョリティにではなく、ニューロマイノリティの読者にムーミン・シリーズを「自分たちの文学」として誇りに思って欲しい、生きる力にして欲しいという思いの方が強いのかも知れません。
 ムーミン・シリーズを用いて、自閉スペクトラム症の人も含めたコミュニケーションの苦手な人へ理解や共感へとつなげるのに、自閉スペクトラム症の特徴だとか、「病気」を媒介にすることが重要なのでしょうか。例えば、著者が「モラル」の象徴と繰り返す座ったところを凍らせて不毛の地にしてしまう口を利かない怪物「モラン」を、ずっと怖がっていたムーミントロールが心を許し心を通わせていく姿(「ムーミンパパ海へいく」)を見ていると、モランを何かに定義づけしなくても、寛容や理解、共感の気持ち・心情に至ることができるのではないでしょうか。


横道誠 集英社 2024年9月30日発行

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