伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

遊廓と日本人

2022-05-10 23:56:57 | 人文・社会科学系
 吉原遊廓の沿革、文学や記録に描かれた遊女、吉原文化、年中行事等について解説した本。
 吉原を初めとした遊廓をどう捉えるかについて、冒頭とあとがきで、ジェンダーの視点と伝統・文化に引き裂かれる著者のスタンスが記されています。「遊廓は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である」(3ページ)、「遊廓は、家族が生き残るために女性を、誰も選びたくない仕事に差し出す制度でした。同じようなことを今日の私たちはしていないのか、と立ち止まる必要があると思います」(7ページ)としつつ、同時に「遊廓は日本文化の集積地でした」(7ページ)、「遊廓では一般社会よりはるかに、年中行事をしっかりおこない、皆で楽しんでいたこと。それによって日本文化が守られ承継されたという側面」(8ページ)とする著者には、遊廓に対して学者として研究対象に向ける愛着が感じられます。著者の中ではそれは矛盾するものではないようです。著者は、「遊廓がなければ、芝居から排除された女性たちは踊り子として、芸者衆として、町の中で芸能や師匠をしながら生きていたでしょう」(165ページ)、「他の社会であれば、遊女たちが別の面で才能を発揮し、日本の文化と社会に大きな貢献をしたのではないかと考えると、とても残念な気がします。辛い経験の果てに命を絶った遊女や病で亡くなった遊女のことを考えると、悲しいです。しかし同時に、彼女たちは家庭に閉じ込められた近代の専業主婦たちに比べれば、自分を伸ばす機会を与えられたのではないか、とも思うのです」(166ページ)と論じるところでその調和を取っているように思えます。しかし、遊廓がなければ踊り子として「自由に」生きたであろう女性たちがどれくらいいたと評価できるか、それと遊廓の遊女/娼婦の数、ましてや専業主婦の規模を同じ視野の中で語れるのかには疑問を感じます。矛盾は矛盾として残しつつ忘れてはならないことと位置づけた方が、私にはしっくりときます。
 正月に抱え主から遊女に着物が配られる風習を紹介した後「太夫からは遣手にも、身の回りを手伝ってくれる禿にも、着物を贈ります。また遊女からは抱え主に対してもお歳暮としてご祝儀や布を贈り、遊女屋や挙屋の従業員たちにも祝儀を配ります」という記述が「まさに贈り物文化です」と評されて結ばれています(101ページ)。高級遊女はそういった費用をすべて客に転嫁できたのかもしれませんが、年季・前借り金で拘束されている遊女には、そのような風習自体が身柄の解放を大幅に遅らせる縛りではなかったのでしょうか。そこをあっさり、文化と肯定的に賞賛されると、違和感を持ちます。
 吉原に通う客の方もさまざまな嗜みを求められたという中で、「髭は徹底的に抜きます」(63ページ)というのが、毛深いおっさんには衝撃的でした。まぁ、遊廓はもちろん、お金持ち/お大尽の遊興場など行きたいと思わないので、私にはどうでもいいことですが。


田中優子 岩波新書 2021年10月20日発行
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする