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山中湖から道志道 尾崎城

2015-06-24 | 富士山麓日記
デンプレートを代えてみました、いかがでしょうか?

日本中部南東部、東は東京・神奈川・埼玉ー西は長野県ー南は静岡に接する内陸の山梨県。山があっても山梨県で平地が少ない、
その為「甲斐」山斐の地とも云う。
その山斐の南東部が「富士山北東麓にある富士五湖の一つ「山中湖・臥牛湖とも云う。冨士山溶岩堰止湖である。
5湖中最東端・湖面高度最高・面積最大・深度最浅・県天然記念物フジマリモが生息・東部噴火跡、、、。

与謝野晶子は、「富士の雲つねに流れて束の間も心おちいぬ山中湖」と詠んだ。


山梨県南都留郡道志村、神奈川県と接す道志のみちへ。
道志山地の山伏峠(1148m)に源を発し神奈川県津久井湖で相模川に合流する「道志川・渓谷」にそって運転、断層谷沿いに蛇行、山岳地「道志七里」
所々に集落。





「道志川」一級河川・延長ー21.7km。
山梨県南都留郡道志村長又の山伏峠(山中湖村との境)付近に端を発し、道志山塊・丹沢北西部の山地に広がる森林が貯えた水を集めて道志村を横断し、神奈川県に入ると右岸が相模原市緑区津久井地区、左岸が同藤野・相模湖両地区の境を概ね東方向へ流れ、相模原市緑区三ケ木の津久井湖最上流部で相模川に合流する。
水源の標高は約 1,120m、相模川合流地点は約120m。ほぼ全域で両岸は山地になっており、その狭間を縫うように蛇行しながら流れ、途中で多くの支流や沢を合流し、渓谷を形成。
                       道志村道の駅付近






山梨・神奈川県境の峠「犬越路峠・月夜野」
戦国時代に甲斐国の武田信玄が小田原の城主・北条氏康を攻める際に犬を先導させて峠を越えた。
犬越路と呼ばれるようになったと伝わる。犬越路の犬(イヌ)はイノの転化であり、現地の方言で険しい道の意味である。
犬越路の約200 m西側に位置する大杉丸(1,168.6m)の三等三角点の名称はイノコイシ峠となっており、イノに由来した地名が武田信玄の伝承に結びつけられ、いつしか犬越路になったとの説もあると云う。
大界木山と菰釣山の鞍部にある城ヶ尾峠においても武田信玄が小田原を攻める際に越した峠として伝承が残され、この峠の近くには陣を張ったとされる
信玄平や、甲州兵の炊事の際、米のとぎ汁で沢が白く染められたとされる白水ノ沢など武田信玄に由来する地名が点在。
行軍の経路については未だ不明な点が多いが、城ヶ尾峠に比べて犬越路は急峻な峠道であり、信玄が本当に犬越路を越したかについては定かではない。

               今は、渓流釣り・キャンプ場などが点在


「尾崎城」伏馬田城
相模・甲斐の国境で一番の遺溝を残す城。しかし地形に依存した城で複数の腰郭と堀切が一条あるのみ、かなり埋まってしまっています。

伏馬田城は後北条氏家臣の津久井衆の尾崎掃部助が守っていた。 道志川沿いに甲斐から相模に通じる間道の監視を目的とした
城であり城主にちなんで尾崎城とも呼ばれていたと云う。

天文5年(1536)には小山田氏の家臣小林氏が秋山口より侵入して城を攻めたといわれ、「議会政治の父」といわれた尾崎行雄氏は城主の尾崎氏の末裔
とも云う。

「現地案内板」                     


「道志みち・源頼朝伝説」
試し切りの石・兜岩ー 道志川の上流「長又地区」で武道鍛錬に時間を費やした「源頼朝」は、所持していた名刀を研ぎすまし、近くにあった石を切り付けたところ真っ二つに切り裂かれたと云う石と近くに兜岩が、(石英閃緑岩)

的様ー 清流室久保川(道志川支流)の川底に「的様」という一枚岩(1つの黒点を中心にして3重の白い標的の円紋を描き出した花崗岩(石英閃緑石))があり、「源頼朝」がこの周辺で武道訓練をしたという伝説が残され、五穀豊穣と雨乞いの神様として石祠が建てられたと云う。

矢頭山(矢納山)ー 頼朝は、山伏峠を越えて、この山に登り、きりきりと豪弓を満月のごとく引き絞り矢を放ち、矢はうなりをあげながら白井平・板橋・善之木の各集落の上を通過して、遠く一里(4km)も離れた神地まで飛び、見事に標的を射ぬき。
村びとが矢の根を拾い、頼朝公の武勇をたたえ、この矢の根をご神体とした「矢の根神社」を祀ったと云う。

矢先(矢崎)源頼朝の豪弓伝説ー山伏峠を越えると、道志川に面した山鼻に「矢頭」と呼ぶ台地がありこの地で頼朝は、豪弓を引き絞って矢を放ったところ、遠く一里の山里を隔てた「神地」の矢先に達したといわれている。

櫓沢ー頼朝が富士の巻狩の折戸渡地内に大きな櫓を組み立てており、ここから室久保川の「的様」矢を放ったといわれている。
この言い伝えにより「やぐら沢」・「的場」の地名が残ったと云う。

足型石(大室指)- 源頼朝が富士の巻狩りの帰り大室指まで馬に乗り馳せ下ったが、ここまでくるとワラジの紐がゆるんだので馬を止めて石に足をかけ紐を締め、この時、かかとの跡が残った石・足型石。

馬蹄石(月夜野)山梨・ 神奈川県との境にある月夜野に「子ッ沢(ねつさわ)」という沢が有り、源頼朝は、馬に乗り一気に沢を駆け下り、川床にあったハラミダナという大きな石に馬蹄形の凹みをつけたと云う。(馬蹄石)
等,この辺りには、多くの伝説が残されている。



次回、千葉県外房に戻ります。

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