syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

新発田城と菊水

2012-06-21 | 気まま旅
新発田藩は、越後国蒲原郡新発田を中心に現在の下越地方の一部などを治めた藩。
藩庁は新発田城。藩主は溝口氏。家格は外様大名で、石高は6万石、のち5万石→10万石に。
新発田藩初代藩主溝口秀勝は1600年の関ヶ原の戦いのとき、徳川家康の東軍に与して越後に在国し、越後で発生した上杉旧臣の一揆を鎮圧した功績により、
家康から本領を安堵され、ここに新発田藩6万石が成立した。越後国の譜代大名・親藩のひしめく中に位置する外様大名であった。

「堀部安兵衛」 1670-1703 二度の敵討ちを、赤穂義士の一人、新発田藩士中山弥次衛門の子で、父死後江戸へ出て剣術を学び、高田馬場
の決闘で勇名に、赤穂藩士堀部弥兵衛の養子に入り吉良邸討ち入りに義父と共に主君のかたきを討った。中山家の再興を願い続け、堀部の名を名乗らなかったという。

大倉製糸創設者「大倉喜八郎」も新発田出身、1837年 - 1928年は、日本の実業家。中堅財閥である大倉財閥の 設立者。明治・大正期の実業家
大成建設、
サッポロビール、ホテルオークラ、東京経済大学、千代田火災 海上(現あいおい損害保険)、日清製油など。


「蕗谷虹児」画家・詩人 1898-1979 21歳で少女画報から挿絵画家デビュー。詩画集出版
              
        「花嫁人形」

     金襴緞子の 帯しめながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ 文金島田に 髪結いひながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろう
     あねさんごっこの 花嫁人形は、、、、、、。

    

記念館は、市役所に隣接し、ロシア正教会をモチーフに建てられている。虹児のモダニズムの世界そのものを絵・遺品が展示されている。
虹児は、竹久夢二に紹介され、少女画報で出ている。吉屋信子「花物語」「海の極みまで」などの挿絵も書いている。
日本昔話・童話などの絵本で子供達の夢を与えた。

蕗谷虹児記念館                         執筆の部屋
  

1925年渡欧、アンデルセンの童話・絵本の分野で活躍される。晩年は伊豆で、80才で没。
記念館は、昭和62年開館している。 入館料 ¥500

雑誌                             筆記具
  

「新発田城・アヤメ城・浮船城」 平城
最初に城が築かれた時期は不明だが、鎌倉時代初期に幕府設立に戦功のあった佐々木盛綱の傍系である新発田氏による築城と考えられている。代々新発田氏の居城と
なっていたが、1581年、新発田重家が上杉景勝に対して反乱を起こした(新発田重家の乱)。
1587年、景勝により新発田城は落城。新発田氏は滅亡した。その後上杉氏の会津転封に伴い、1597年、溝口秀勝が6万石の所領を得て新発田に入封。
新発田藩領内を治めるための拠点として新発田重家の旧城の地を選び、新発田城の築城を行っていった。
城が完全な形となったのは1654年頃、3代宣直の時代といわれる。その後1668年、1719年に火災によって城内建築に大きな被害を受けるが、その度に再建されている。

新発田城
    


新発田川の流れを利用した平城。石垣には石同士の接合部分を隙間なく加工して積み上げる工法である切り込みハギが用いられている。
櫓の壁には冬季の積雪への対策の意味もあり、海鼠壁(なまこかべ)が用いられていた。その他の塀や一部の櫓門には、下見板が張られている。
天守はなく、本丸の北西隅に3重櫓を上げて「三階櫓」と呼んでいた。三階櫓は新発田城における実質的な天守。
1654年に創建されたものは、1668年の火災により焼失し、現在復元されている姿のものは1679年に再建。
続櫓(付櫓)を伴った複合式層塔型3重3階で、1重目の西面と南面に切妻破風を持った石落としを兼ねる出張りがあり、3重目屋根の棟は丁字型に造られ、
棟上には3匹の鯱が載せられている。1874年に破却された。堀も直角を避け、変形になっていた。

    


城跡の大部分は、日本軍解体まで陸軍が置かれ、現在は、陸上自衛隊の駐屯地(新発田駐屯地)となっている。
城内の建築のうち観覧できるものは、二の丸隅櫓・本丸表門・辰巳櫓。
自衛隊の敷地に入り込んだ所に位置する三階櫓の内部は公開されていない。表門と二の丸隅櫓は国の重要文化財に指定。

城周辺は、「新発田城址公園」として整備され、市民の憩いの場となっている。
城跡には、初代藩主・溝口秀勝の銅像と、溝口秀勝の曾孫にあたるといわれる堀部武庸の銅像が建っている。


  

「菊水酒造」は、創業 1881年(明治14年)、売上高 51億円 従業員数 139名(2011年)国道7号線、加治川の沿って社屋、工場がある。

「二級水系 加治川」は、延長 65.1 km、水源 御西岳付近と日本海 、水害で桜の木が切られてしまったが、今は、復活し、昔の桜の名所となっている。


加治川                                  菊水本社
  

銘柄は、ふなぐち菊水一番しぼり、 熟成ふなぐち菊水一番しぼり、 新米新酒ふなぐち菊水一番しぼり、 菊水知命、 菊水の辛口
     四段仕込、 純米酒 菊水、 お晩です、 本醸造 菊水、 無冠帝、 源流、 麗流、 純米大吟醸、 にごり酒五郎八等がある。

菊水 近代的な工場 ふなぐちはここから生まれる。
  

酒質は、端麗辛口でしっかりした味である。

    

ふなぐちしぼりは、北越後・新発田の豊かな自然風土、自然肥沃な大地と清らかな伏流水。 この恵まれた環境を活かし、酒を醸し続けている。

昭和47年の発売で歴史ある。晩酌、旅行、アウトドアまで、 いつでもどんな場所でも楽しめるお酒として人気がある。
フレッシュな果実 のような 香り、コクのあるしっかりとした旨みが楽しめる。

日本酒は、出来立て、早めに飲もう。

  



「酒造りの話」仕込み
コシキ越しー初めて白米を蒸す。コシキ倒しー最後の仕込。          仕込容器は、白米の約三倍量の大きさ。
初日は、酒母に麹と水を加え仕込んでいく、冷却した蒸米を加え「添え仕込」します。
二日目に酵母が増殖します、泡が踊っている、「踊り」という、一日休みます。三日目仲仕込み、四日目に留を仕込み醪一仕込に四日。
一仕込1500~2000kgが普通。今は、冷却設備が良く、普及しており10t~20tになってきている。


次回は、黒川、中条方面へ。