限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第80回目)『アムステルダムでカレル・ヴァン・ウォルフレン氏を訪問(2)』

2010-09-12 18:41:19 | 日記
前回から続く。。。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏のご自宅は、アムステルダムの郊外にある。アムステルダムは100万足らずの町で、市街化区域は小さいので、車で30分も走れば完全に青々と草の茂る牧場だらけの郊外に着く。しばらく前にNHKでオランダの風車は海面より低いところに溜まった運河の水をくみ出すために作られたということを見たが、百聞は一見に如かずの諺どおり、実地にみてびっくりしたことがある。

道路は運河の土手を走っていて、土手の下には牧場が広がっている。問題は、この土手で防御された運河の水面は、下の牧場より数メーターも高い所にある。いわゆる天井川なのだ。そして下の牧場の中にも網目状の細い川が流れている。つまり、高低差が数メートルもの二つの水脈が、交差することなく並存しているのだ。さらには、この土手の上面すれすれにまで水が膨ちあふれていて、ちょっとした雨があれば今にも土手を乗り越えそうな気配を感じた。しかし、彼らにとってはすべてが計算尽くしの管理下におかれているとのことであった。


【出典】写真で見る日帝がくる前の世界

さて、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏とその奥さんのエスネ(Eithne)とご自宅の庭で夕食を共にしながらいろいろと話をした。エスネさんはアイルランド人で、日本の上智大学で交換留学生として日本語を学んだあと日本企業にも数年勤めたこともあり、日本語も大変お上手であった。現在オランダに住んでいるが、オランダ語も数ヶ月のうちに瞬く間に上手になったとのこと。

夕方から夜中まで話題は多岐に渉ったが、一つ非常に印象に残ったことがある。それは、明治期に日本・朝鮮・中国を訪問したイギリス女性のイザベラバード氏の『朝鮮紀行』の話の関連で、私が次のように述べたときのことである。『日韓併合はロシア侵略から朝鮮を護るための行為であった。日本が朝鮮を統治したことで、それまで両班の常民にたいする横暴などの李氏朝鮮の宿弊が一掃された。』

ところが、この私の意見を聞くや、お二人の口からは『それは認められない話だ』との反撃がでた。

私が理解した範囲でのお二人の要点は、『主権国家が他国から自治権を奪われるのは、たとえそれが良い結果をもたらしたにせよ、誉められるべき話ではない。主権国家の独立は何にもまして尊重すべきである。』この意見の背景には、カレルさんの国、オランダは第二次世界大戦の初期にナチス・ドイツに占領されて、その時の屈辱的な思いが未だにカレルさんの心には根強く残っているのだ。またエスネさんの国、アイルランドはご承知の通り、近年の数百年はイギリスの植民地支配を受け、今でもその傷跡は癒えていない。こういった自分たちの国の過去の悲惨な歴史を朝鮮の歴史と重ね合わせて、つよく私の意見を否定したのであった。

それでも私が更に言葉を継いで『確かに、日本政府による、日本語教育の強制や創氏改名などの汚点はあるものの、一般的にヨーロッパ諸国がアジア・アフリカの植民地から搾取したのとは違い、逆に日本から朝鮮に平均的に国家予算の20%もの巨大な額の資本投下した点は評価すべきだ。』と述べると、カレルさんは『Generous present! Thank you, Santa Claus.』と短いその言葉には、幾分かの怒気が含まれていた。(上の文で「創氏改名などの汚点」と述べたが、日本政府が朝鮮の人々に創氏改名を強要したという意味ではない。)

私の授業の『国際人のグローバル・リテラシー』では、今後の若者が国際的に活躍するためには、それぞれの国の文化背景の理解が必須だと常に言っている。その一つの実例をまさしく私が目の前に見たことであった。私は、このような意見の乖離自体はあって当然だと思うが、何故同じ事象をかくも正反対に評価するのか、その根拠を一つずつチェックすることで、それぞれが考えても見なかった暗黙の前提(与件)が実は間違っていたことに気づかされることがある。その意味で、意見が対立した場合、相手が賛成しない、あるいは、理解してくれない、と嘆くのではなく、その理由まで深く掘り下げるチャンスだとポジティブに捉えていきたいと考えている。

続く。。。
コメント
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