限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第52回目)『鳥獣から嘲られる人間の振る舞い』

2010-09-03 00:04:19 | 日記
賀茂真淵と言えば国学者であると誰でも答えるであろう。しかし、彼がどのような主義主張を持っていたかと問われると、万葉集の研究にめざましい業績を残した、と百科事典に載っているような事柄以上には分からないのではないだろうか?

そういう私も、正直なところ最近まで賀茂真淵がどういう思想を持っていたのか、全く無知であった。ところが、ある本のなかで、彼が『人は禽獣にも劣る点がある』という旨の意見を言っていると知り、非常に興味をもった。それはずっと以前から私も、人間中心主義の宗教観は間違っていると考えていたからである。それで早速その意見が載っている本、『国意考』を Webで検索し、購入した。驚いたことにこの本は戦前(昭和19年)に改造文庫で出された本しか一般的には存在していないことが分かった。続群書類従完成会から出版されている『賀茂真淵全集』には、確かに国意考は含まれているが、なにしろ値段が高い!

以前『読まれざる三大史書』で、次のようなことを書いた:
『現代日本語では読めない偉大な史書が3つある。それらは:
  リウィウスの『ローマ建国史』
  大日本史
  資治通鑑
。。。。
大日本史に関していうと、日本の古代から室町初期(1392年南北朝の統一)までの千数百年の歴史が書かれている唯一のまとまった歴史書であるにも拘わらず、一向に現代語訳される気配はない。誠に残念だ。』

私は大日本史のような基本書は採算は度外視してでも、容易に入手できるようにすべきであると考えている。それと同じ意味で、賀茂真淵が戦前、国家神道に祭り上げられたために、いまだに敬遠され、その著書が一般大衆の手の届かないところにある、という現実は、日本がまだ真の意味での文化国家でないと考える。



愚痴はそれぐらいにして、賀茂真淵が一体どういうことを言っているのか原文を見てみよう。

 ==================【賀茂真淵・国意考】==================

凡天地の間に生としいけるものは、皆虫ならずや。それが中に、人のみいかで貴く、人のみいか成ことあるにや。唐人は「人は万物の霊」とかいひて、いと人を貴めるを、おのれが思ふに、人は万物の悪きものとぞいふべき。いかにとなれば、天地日月のかはらぬまゝに、鳥も獣も魚も虫も草も木も、いにしへのごとくならぬはなきを、人ばかり形はもとの人にて、心のいにしへとことになれるはなし。人はなまじひに智てふ物ありて、おのがじし用ひ侍るより、たがひの間にさまざまの悪き心の出来て、終に世もみだれ治れるといへどかたみに巧・あざむきをなすぞかし。若天が下に一人二人物知ことあらん時は、よき事も有ぬべきを、人みな智あれば、いかなる事もあひうちと成て、終に用なき事也。今鳥獣の目よりは人こそわろけれ。「かれに似ることなかれ。」と教へぬべきもの也。

  【大意】
人間は万物の霊長と威張っているが、さかしまな智恵を絞りだしていろいろ悪事を働き、世の中に悲哀を作り出している。智恵が蔓延すると、逆に世の中が悪くなる一方というのは、一体どうしたわけだ?こういう人間のさまを鳥獣が見ると、きっと雛や仔獣に、『人間のような悪事をたくらむな』と諭すに違いない。
 ========================================================

つまり、動物と比べて人間のほうが智恵をついた分だけ、性質(たち)が悪いというのだ。私は動物のドキュメンタリー番組が好きでよく見ているが、粗暴と形容される肉食獣と言えども、必要分以上の動物は殺さないし、仕留めた獲物は無駄なく、真剣に食べている。それを考えると、人間は別に食べもしないのに、戦争や金品目当てで殺人をする。これでは、賀茂真淵のいうように鳥獣からも嘲られてしまうに違いない。万物の霊長と威張るのであれば、人倫という以前にまずは鳥獣・昆虫から見られても、恥ずかしくない振る舞いを心がけるべきであろう。
コメント
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