限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第55回目)『桃李の人材、トゲだらけの浜菱人材』

2010-09-30 09:00:10 | 日記
中国で唯一の女帝、則天武后は李淵(実質的には李世民)が建てた唐王朝を簒奪し、周と国号を変え、さらには字もいくつか変更した。光圀の圀などがそれだ。男尊女卑の中国にあって、国家の頂点に立ったので、風当たりが強く悪者のイメージが強いが、実際には、善政を施したため平穏な世の中を実現した。

その善政を補佐したのが、名臣・狄仁傑である。狄仁傑は自身も立派であったが、それ以上に立派なのは、清廉な人材を何人も推挙して高位につけたことだ。例えば、姚元崇、桓彦范、敬暉など、総数は数十人にも上る。これらの人が軒並み優秀だったので、ある人が狄仁傑にこういった『天下の桃李はことごとく貴公の門にあるなあ』(天下桃李,悉在公門矣)。それに対して、狄仁傑は『これは国家のためであり、私利のためにあらず』と応えた。(薦賢為国,非為私也)

優秀な人材は『桃李』で喩えられるのだが、これには典拠がある。後漢の劉向が編纂した『説苑』には次のような話が載せられている。

孔子に顔が似ている、魯の権臣であった陽虎が衛の国で罰せられたので、晋に逃亡してぷりぷりと怒りながら簡子に言った。『私は今後は、一切人の面倒は見てやらない』簡子は、どうしてかと尋ねると、陽虎は、『衛の政府の高官の半数は自分が推薦したのだし、同じく役人の半分、兵士の半分もそうだ。それが、今や政府の高官、役人、兵士、それぞれが私を排撃しようと躍起になっている。これが怒られずにおられようか!』簡子は静かに陽虎を諭した。『賢人は恩に報いることはあるが、バカはそうはしない。例えば木を植えるにも桃李は、夏はその木陰で暑さを避けることができるし、秋は実が収穫できる。しかしトゲだらけの浜菱(はまびし)を植えたとしよう。夏に日陰はないし、秋には刺されるだけだ。貴公の植えたのは、トゲだらけの浜菱だ。これからは、人を推薦する時は、人を選ぶことだな。しかし人は一旦推薦したら、文句は言えないとしたものだ』
(これとほぼ類似の話が韓嬰の『韓詩外伝』に見える。ただ配役が少しく異なる。悪役には陽虎ではなく子質が配されている。)

   劉向『説苑』(第六巻・復恩)
陽虎得罪於衛,北見簡子曰:「自今以来,不復樹人矣。」簡子曰:「何哉?」陽虎対曰:「夫堂上之人,臣所樹者過半矣;朝廷之吏,臣所立者亦過半矣;辺境之士,臣所立者亦過半矣。今夫堂上之人,親郤臣於君;朝廷之吏,親危臣於衆;辺境之士,親劫臣於兵。」簡子曰:「唯賢者為能報恩,不肖者不能。夫樹桃李者,夏得休息,秋得食焉。樹疾藜(疾、本当は草かんむり)者,夏不得休息,秋得其刺焉。今子之所樹者,疾藜也,自今以来,択人而樹,毋已樹而択之。」


【出典】The Metropolitan Museum of Art (www.metmuseum.org)

話は変わるが、中国には『睚眥之怨』(睚眥の怨み)という言葉がある。これは、史記の中で、范唯(唯は本当は目偏)が権力を手にしてから、過去に遡り、恩を受けた人には厚くお礼をし、すこしでも恥をかかされた人には、徹底的に仕返しをしたという故事による。(一飯之徳必償、睚眥之怨必報)

ところで、最近の尖閣列島問題に関する日中のごたごたについては、最近の私のブログで2回にわたり取り上げた。
 百論簇出:(第85回目)『中国の尖閣列島問題への対応について』
 百論簇出:(第86回目)『中国の尖閣列島問題への対応について(補遺)』

私は現在の中国の胡錦濤・温家宝政権は、なかなかまともな政権だと評価している。表情や振る舞いも以前の江沢民とは異なり紳士であるが、今回に限りあの温厚な温家宝までもが、たとえ演技にしろ、なぜ怒りを明からさまに表さなければならなかったか訝っていた。そして、ふと浮かんだのは、この『睚眥之怨』という言葉であった。昨年(2009年)の衆議院選挙で民主党が念願の政権を奪取した直後、某大物幹事長が初当選の新人議員を大勢引き連れて中国に行き、胡錦濤国家主席に100数十名と全員握手をさせるという、破廉恥極まりない、なめたまねを行った。睚眥(ほんのわずかの)怨みですら忘れない中国人なら、この時の、骨髄にしみいる怨みを忘れるはずがない。今回の中国政府の強硬な処置はその報復の一部ではなかったかと考えてしまう。

それにしても、某大物幹事長の率いた新人議員たちは、桃李というより、トゲだらけの浜菱ではないのか? 結論をここで持ち出すのは控えよう。
コメント
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