限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第87回目)『私の語学学習(その21)』

2010-09-22 00:29:05 | 日記
前回から続く。。。

【一生で一番ドイツ語がよく読めた23歳の時】

1978年9月にミュンヘンから南周りで日本に戻ってきた。途中で、カラチで、バンコック行きの飛行機を待つ間に知りあったパキスタン人から勧められた、冷たい水を飲んだせいであろうか、バンコックでは、得たいのしれない高熱と大量の汗で死にそうな目にあった。その水というのは、井戸水であったようで、飲む前にちらっとぼうふらが何匹も元気よく跳ねているのが見えたが、そのまま飲んだ。それが、当たったようだ。それでも若かったせいで、朝にはとにかく歩けるようになっていた。バンコック市内の中央市場でゲンゴロウのような虫が並べて売っていた。どうやら油で炒めて食べるようだ。その後、香港経由で台北についた。台湾では、当時、長年反共の同志であった日本が中国(中華人民共和国)と国交を締結したために、税関の役人が横柄で、意味もなくトランクの中身を総ざらえに検査されたのには全く頭にきた。故宮博物館は流石に銘品でうなっていた。数年まえ(2006年)に、改装された故宮博物館に行ったが、展示物に関しては以前の方がはるかに質量とも優れていた。外見は立派にはなったが、非常に残念な気がした。その後、伊丹空港に1年2ヶ月ぶりに帰国した。

さて、ドイツでは気がつかなかったが、日本に戻ってきて感じたのは、ドイツ語を読むスピードが非常に上がっていることであった。スピードや内容を正しく理解できるだけでなく、記憶力も上がっていた。ここでいう記憶力とは、本を読んでいて、どのページのどこら辺りにどのような内容が書いてあったか、ページを繰って思い出せるのである。日本語では至って当たり前のことが、それまでドイツ語ではできなかった。ドイツ文を読むというよりは、文の構造を解析するために意識が取られていて、全体の流れが全くつかめていなかったのだ。ところが、ドイツ留学後、文章全体の流れがそのまま頭に定着するようになった。それと共に、ところどころ、どういう内容であったかだけでなく、どういう単語や言い回しが使われていたということまで記憶に残ることが多くなった。感覚的に表現すると、そこまでは、頭の左脳を部分的しか使うことができなかったのたいして、留学後は全脳的に使っているように感じた。

以前、『右脳と左脳のコンビで英語をスムーズに話そう』で述べたように、イメージが先行することで始めて外国語がスムーズに話せるのだと、この時に私はドイツ語で体感したのだった。(参照:『私の語学学習(その11)』

さて、ドイツ語がかなり上達したこの機会を利用して、ドイツ滞在中に読み出したプラトンを一気呵成に全巻読み終えた。特に、ソクラテスの臨終の様子を描いた Phaidon(パイドン)は、ある晩に寝付かれなかったので、読み出したがそのまま朝まで徹夜で読み通してしまった。ソクラテスが最後に毒杯を仰ぎ、周りの皆がわっと泣き出した時に私自身もその場にいるような哀愁を感じ、我知らず涙ぐんでしまった。読み終えて、窓の開けて見ると、晩秋の京北の山すそには朝霧が立ち込めていた。この Schleiermacher の訳でプラトンは数回読み返し、また後日アメリカでは英訳で通読した。プラトンはそれ以来、私の精神的バックボーンとなっている。



次いで、西洋哲学では必読書でありながら、その難解な文章のため原文では読まれることが少ない(と思われる)カントの『純粋理性批判』(Kritik der reinen Vernunft)に取り組むことにした。カントのこの本が何をテーマとしているかについて私はほとんど事前知識がなかったが、敢えて概要を知ろうとはしなかった。これは、推理小説を読むときに、あらすじを読むと犯人を自分で見つける楽しみを奪われるような感覚である。しかし、読んでいく内に、非常に感激したのは、この本は、図らずも私にとって長年の課題であった神の存在についての納得できる解答と与えてくれたのだ。このことについては以前『らせん状の思考階段』で述べた。

カントのドイツ語は文章面からみて確かに込み入っている。本当かどうかは知らないが、ある学者がカントのこの本を読んで居たときに、偶然に友人が部屋に入ってきた。すると、その学者は友人に『おお、丁度いいところに来てくれた。ちょっと指を貸してくれんかね』と言った。つまり、カントの文章は関係代名詞を多用し、単語の係り具合が複雑なので、指が10本では足りないというのだ。私もこの複雑さには、当初戸惑った。しかし、論理を忠実に図解しながら、読み進めていくうちに、カントが極めて着実に論理を運んでいることを理解するに至った。

また彼の使っている単語は、ラテン語由来のいわば外来語も頻発するが、ドイツ語固有の柔軟性、造語力の豊富さをうまく使いこなしていることが分かる。ただ、逆にそうだからこそ、このような利点を持たない他の言語に翻訳するのが、極めて難しい文章なのだ。カントの英訳を部分的だが読んでみたが、英文ではかなり文章が変えられていた。つまり、カントのドイツ語を翻訳した、というより、もしカントが現代英語のネイティブスピーカーだったらこういうだろう、という想定での意訳となっている。その意味で、英語のカントというのは、我々現代人にとってはかなり読みやすいと言えよう。一方我が日本語では、事態は悲惨だ。誰の翻訳を開いても、世間では誰も聞いたことのないし、使ったこともないような難しい漢語の連続で、訳者は一体誰のためにこのような奇妙な日本語を書いたのか、と理解に苦しむ。カントの『純粋理性批判』の日本語訳を読んで感激した、という話を、寡聞にして聞いたことがないのも、何も私だけの経験ではないはずだ。

カントはこの本のあと、『判断力批判』(Kritik der Urteilskraft)を読んだ。この本は世評はいざしらず、私の考えでは、最初の数十ページを除いては、『純粋理性批判』の続編と言うべき内容が書いてある。つまり、『純粋理性批判』の後、十年もの間さらに思索を重ねた結果、神の存在の是非をこの本に集大成したのだと私は理解した。カントが神について述べた例の有名な言葉、『哲学者としては、私は神の存在を論理的には否定せざると得ないが、キリスト教徒しては神に対する信仰は依然として揺るがない』というのは、私の勝手な憶測では、カントがこの本を書き上げた直後ではなかろうか。

このようにして、ドイツ語が一番よく読めた時にカントに取り組んだのは、非常によかった。というのは、カントはヨーロッパの観念哲学の集大成者として私がそこまで知らなかった知的平面(horizon)を見せてくれたからだ。正直なところ、カントは私の粗雑な頭には手に余る。しかし、カントを部分的ながらも征服して、私の中にドイツ語に対して一種の達成感をこの23歳の時に感じた。

続く。。。
コメント
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