限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第85回目)『私の語学学習(その19)』

2010-09-14 04:58:54 | 日記
前回から続く。。。

【フランスから見たドイツ語とドイツ】

前回述べたように、ドイツ語の語学研修学校には、フランスから来た2人の女子学生と知り合った。彼女たちとの話から、日本では想像がつかなかった、ドイツ語とフランス語の関連を伺い知ることができた。

日本では、当時も今もそうだが、フランス語というと、第一に『洗練されてた言語』が挙げられ、次いで『美しい言語』である、との評判である。そういう意識で、大学の第二外国語ではフランス語を選択する学生は多い。私も彼女たちと話す前はそう考えていた。ある時、彼女たちにどうしてドイツ語を学ぼうとしているのか聞いた。それに対して『ドイツ語は男らしくてカッコよい言語だ』という、思いもかけなかった答えが返ってきた。さらにはフランス語は『男がしゃべるには、男らしくない言語である』とも言った。私の耳には、ドイツ語は子音が強くはっきりと発音されるため野暮ったい、と思えたのだが、彼女たちの耳にはそれが逆に逞しい感じをあたえるのだと知った。この2人に限らず、ユースホステルで知り合った、ドイツ語が堪能なフランス人学生からも同じ意見を聞いた。フランス人はフランス語にたいして限りない誇りを抱いている、と聞くが、フランス人の中にもドイツあるいはドイツ語に対して、卑屈ではないが、多少の劣等意識があるのだということを知った次第である。


【出典】

一方ドイツ人はフランス語をどう見ているのかというと、日本と違い、地理的に地続きという意味で、当時は今以上にフランス語は非常に大切な言語だという認識が強かった。私が住んでいたミュンヘンの大新聞である Sueddeusche Zeitung(南ドイツ新聞)の求人広告欄には、英語と並んでフランス語の需要はかなり多かった。つまり、フランス語ができるのは職探しが有利であるだけでなく高給の職が多いのである。簡単な話、本のセールスにおいてもフランス語ができる、というのは、車を運転してフランスに行って商売ができるということになる。当時ドイツは西と東に分裂していたが、ベルリンを除く西ドイツの主要な都市はほとんどライン川周辺に位置しているので、フランスは車で2,3時間で行ける極めて近いところなのだ。

地理的に近接している上に、言うまでもなく経済力ではこの両国はヨーロッパの枢軸を占めている。ところが、その産業主体を比較すると、フランスは農業が強く、ドイツは工業が強い。当然のことながらフランスの工業も強く、ドイツに対抗し得るのであるが、わずかの差で常にドイツの後塵を拝しているというのが彼らにとっては癪の種であると推察する。しかし、当時からそうであったが、過去に幾多の大戦争を繰り返した割りには、両国の協力関係は他の国々より遥かに強い感じが私にはする。

昨年、文科省へのレポートで、フランスの産学連携について調査を担当した。この中で、通称『サルコジ国債』と呼ばれるる書類の元になった『未来のフランスへの提言』について要約を作成した。この提言の中では、数ヶ所でドイツのことが触れられていたが、その論調は、次の2点のいずれかであった。
 【1】ドイツでは○○の分野ではこのような取り組みをしている。
 【2】フランスは○○の分野でドイツとの協力体制を築いていく必要がある。

一見、1.と2.は相反するように見えるが、基本的にはフランスは、ドイツと敵対するのではなく協同路線を取っていこうというポジティブな姿勢が分かる。

語学を学ぶということは、少なくともその言語が使われている国への関心が高まることにつながる。今から思うと、私はドイツ語の他にフランス語も学生の時に、少々無理気味ではあったが、時間を割いて勉強していておいて良かったと思っている。フランス語の基礎があったおかげで、ドイツ語との比較においてフランス語の音韻や語彙、文法の特徴が理解できた。さらにはフランス語がある程度分かるので、フランスという国の政策や動向に対して無関心ではいられない。ヨーロッパという集合体を考える上で、英語のほかに、この二つのヨーロッパの枢軸言語を理解できることは極めて有用であると、私は個人的には思っている。

さて、このドイツ語の語学研修学校であるが、数ヶ月過ごした後、卒業認定テストが行われた。今度は、機械の専門用語の質問がない、全く普通のテストであったので、難なくパスした。これで晴れてミュンヘン工科大学の正規生となったのであった。

続く。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする