限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・24】『読書の三余・三上』

2010-03-06 14:20:12 | 日記
以前台湾に行ったときに台北市内の大きな本屋に入ったことがある。(当地では、東京の八重洲ブックセンターに該当するような規模)そこでは、日本の小説の翻訳本がかなり多く置いてあったにはびっくりした。 塩野七生の『ローマ人の物語』が置いてあった。帯には、『本場のヨーロッパ人が書けなかったローマの歴史がここに現る』(のような)文句が麗々しく刷られていたような記憶がある。

日本コーナーを過ぎると、なにやら児童向けの図書が数多くおいてあるコーナーが目に入った。『三字経』や『故事成句』などの本が置いてある。日本では、漢文といえば、なんとかの一つ覚えのように、論語、孫子、が挙がるが、日本の子供が『いろは』や50音順から文字を覚えるように、『三字経』から始めるようだ。

その出だしは次のような文句『人之初。性本善。性相近。習相遠。。。昔孟母。擇鄰處。子不學。斷機杼。。。』論語や、史記、など確固した典拠ある文句が並んでいる。蒙求と千字文を三字の連句にまとめ直したような本だ。しかしなんとも全編にわたって道学的な臭いがぷんぷんする本ではある。この三字経に限らず、中国では一般的に奇数の方が伝統的に尊ばれている。五言絶句や七言律句も奇数だし、九重も奇数だ。

読書に関して三という数字がついた単語が二つある。『読書三余』と『読書三上』がそれだ。

まず、『読書三余』とは、以前に紹介した『読書百遍而義自見』という語を言った董遇の言葉である。董遇が言うには、『読書をする時間がない、と言い訳するな。余った時間を読書にまわせ。余った時間というのは、三つある、冬者歳之余、夜者日之余、陰雨者時之余也。つまり、冬と夜と長雨の季節だ。』



次に『読書三上』は本当は『作文三上』といい、宋の名文家の欧陽脩が文章の構想を練るのに最適の場所を述べたものだ。(欧陽脩『帰田録』:余平生所作文章多在三上、乃馬上、枕上、厠上)現代でいうと、電車の中と、就寝前のベッドのなか、それと必ず一人になれるトイレの中、ということになろう。

阪急電鉄や宝塚歌劇団など数多くの事業を手がけた小林一三は寝転がって読むのが大好きだったようだ。どの本に書いてあったか思い出せないが、小林一三は上京した折には、土日など用事の無いときは、誰にも邪魔されずに一日中寝転んで読書するのを至福の時間、無上の悦びとしていたという。こういった偉人と比較するのは、(多少は)気が引けるのだが、私は、現在大阪から京都の職場に通っているが、片道1時間半、往復にして3時間ばかり集中して本を読める、ありがたい時間を頂いている。

要するに読書は意欲さえあれば、二宮金次郎のように歩いてでもできるものだし、もっともっと上達すれば、水泳しながらでも出来るのかも?
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