限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

希羅聚銘:(第26回目)『亡国の危機を救ったローマのDictator(独裁者)達』

2010-03-25 06:17:14 | 日記
Livy, History of Rome (Livius, Ab urbe condita)

(英訳: "Loeb Classical Library", Translator: B.O. Foster, 1919)

Dictator(ディクテーター、独裁者)という名を聞けば誰でも『悪い奴』というマイナスのイメージが浮かぶ。ヒトラーしかり、スターリンしかり。しかし、この dictator という名称が、共和制ローマで用いられていた時は非常にポジティブなイメージであったことは知られていないのではないだらろうか?

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Book2, Section 18

サビー二族の若者からの騒乱以外にも、オクタビウス・マミリィウスの挑発のせいで、ラテンの30もの市がローマに対して反乱を企てているという噂が流れていた。町全体がこのような暗い雰囲気につつまれている中、ローマでは初めてディクタトール(独裁者)を選んではどうか、という案がだされた。

Super belli Sabini metum id quoque accesserat quod, triginta iam conjurasse populos concitante Octavio Mamilio satis constabat. In hac tantarum expectatione rerum sollicita civitate, dictatoris primum creandi mentio orta.

【英訳】Besides the Sabine peril, it was generally known that the thirty Latin cities had already conspired, at the instigation of Octavius Mamilius. These grave apprehensions having occasioned a general axiety, the appointment of a dicatator was suggested, for the first time.
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ここで書かれているように、ディクテーター(独裁者)という名称がローマで初めて使われたのは、紀元前501年のことである。ただ、ローマの隣国(Alba・アルバ)ではそれよりも150年前にクルイりウス(Cluilius)が死んだ時に、一時的な指導としてメッティウスフ・フェティウス(Mettius Fufetius)をディクテーター(独裁者)に選出している。

ディクタトール(dictator)の語源は、dicto で、命令する、という意味である。ディクタトールの権限は、共和制ローマの元首であるコンスールより強力であった。というのは、コンスールは二人制であるので互いに牽制することが可能であったがディクタトールは全権を一人が握っていた。また通常、コンスールの命令さえも反対することが認められている護民官の権限をもディクタトールは完全に無力化することができる、というオールマイティの権限を有した。ただ、ディクタトールの任期は6ヶ月に限定されていることだけが唯一のアキレス腱ではあるが。



今回(BC501年)のみならず、ローマでは所謂、未曾有の危機には、ディクタトールが任命されている。特に顕著なのは、智将ハンニバルがイタリア本土を蹂躙したポエニ戦争時(BC219年からBC201年)である。この時にディクタトールに任命されたのは、Fabius Maximus(ファビウス・マクシムス)。中国の歴史でいうと、ハンニバルが諸葛孔明、ファビウス・マクシムスが司馬懿、に相当する。というのは、孔明がいつも積極的に戦争をしかけるにも拘らず、司馬懿は相手を疲れさすためにわざと逃げ回って、結果的には勝利を収める、この構図が全くハンニバルとファビウス・マクシムスの関係とぴったりと一致する。この戦略のため、ファビウス・マクシムスはクンクタトール(Cunctator、グズ)というあだ名を奉られている。

さて、近代の悪名高き独裁者と異なり、ローマのディクタトール達は、皆いずれも私心がなかった。6ヶ月もの間、国家の最高権力者でいかなる命令を発する権限を手中に収めながら、国家の為にわが身を省りみず、奮迅の活躍をする。そして、任期を終えるとまた市井の一市民に戻り、国家の法およびコンスールに従順に従ったのだった。

私は、共和制ローマが繁栄したのはなにも単に軍隊が強かったとか、運がよかったというのでなく、こういった崇高な人格者の存在とよく考えられた政治体制が備わっていたためだと思っている。
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