限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

惑鴻醸危:(第21回目)『権道という超法規的手段』

2010-03-20 12:38:19 | 日記
権道(けんどう)という言葉がある。諸橋の大漢和辞典では、『手段が常道に反して結果が道に合う』と定義されている。出典は、春秋公羊伝の桓公・11年の記事に『権者何?権者反於経、然後有善者也』(権とは何ぞ?権とは経に反し、しかる後、善き者ある也)と説明されている。権道に類似の語句としては、『権宜、権義、権智、権変、権謀、権略』などが同じく大漢和に見える。

現代用語でいえば、権道とは、超法規的手段ということ。超法規的手段というのは、やたら目鱈に使うものではなく、他に手段がなく、已む無く伝家の宝刀を抜くようなものである、と我々は感じる。しかし、中国では、この権道が日常茶飯事に使われていたことが資治通鑑のような史書を読むとよくわかる。



権道の意味を理解するために、例えば、次のようなテーマを考えてみることにしよう。
『道路を計画していたが、途中に大きな木があることが分かった。どうするか?』

木を切るか移してしまえば、簡単に解決するが、もし、それが出来ないとすると、解決案としては次の二つしかない。
 1.道筋を変える。
 2.木の所だけ道路を迂回する。

日本では、1.の案は、代替地の地権者との折衝がうまくいかない場合が多いので、大抵は、つまり常道は、2.となるであろう。中国では、伝統的に人民は政府から見れば相談するに値しないから、議論の余地無く1.の案になるのが常道だ。しかし、ときたま何らかの理由で2.になる場合があるが、これが中国にとっては権道だ。つまり日本と中国では、常道と権道の優先順位が逆であると考えても大きく間違ってはいない。

しかし、さらに重要なことは、この迂回道を地図として表記する時の態度だ。日本では、道が曲がっているので、そのように表記するのが当然だと考える。しかし、中国では、地図には真っ直ぐな道が描かれている。つまり、地図には、あるべき姿が示されていて、逆に現実の方が歪んでいる、という風に解釈される。中国の史書を読みながら、これに類似の現象に何度も出会い、彼らの考える『正しい行い』の本質が随分我々の感覚とことなることを思い知らされた。

尚、上の話は、私が勝手に想像しただけで、実際にそのような地図があるか保証の限りではない。しかし、もしこのような中国の地図をお持ちの方はご一報くだされば、大変ありがたい。

おっと、横道にそれているうちに、大切なことを言い忘れていた。

最近、アメリカ政府と日本政府が暗黙のうちに、日本の非核三原則を無視して、核持ち込みをしていたということが明らかになった。この事態に対しては、自民党、民主党を問わず、『当時の世界の冷戦状態からやむを得ぬことであった』という論調で、当時の政治家の判断を擁護する意見がほとんどであった。これが、ここで言う『権道』である。つまり、日本ではこの事態は、正常の判断でないために問題にはなるが、中国では。。。(後は言わずもがなであろう。)
コメント
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