今週は月曜日(3月1日)から仕事でポーランドに来ている。訪問都市は、ポーランドの旧都クラコフと新都ワルシャワの2ヶ所。
この二つの都市は日本で喩えると、クラコフは京都、ワルシャワは東京に当たる。クラコフは町全体が世界遺産に登録されていることから分かるように、近代ヨーロッパの古い面影を色濃く残している。クラコフは旧都である以外に、中央ヨーロッパでは2番目に古いヤギロニアン大学(正式にはヤギェウォ大学と言う)を擁する大学町でもある。ちなみに、このヤギロニアン大学はかの地動説を唱えたコペルニクスが教鞭をとった大学としても著名である。
古い形式の建築がよく保存されている一例としては、京都でも良く見かけるように、建物に囲まれた細長い路地を入っていくと途端に広い空間に出会う。スペインやスペインの影響を受けている南米などによく見られるパティオのような感じだ。
さて、夕食を食べに行ったところは、私が勝手に命名したクラコフの『カルチェ・ラタン』。路地を入った所の地下にレストランがあった。まるで、ローマのヴィア・アッティカ・アンティカに沿って点在するカタコンベに入っていくような感じの洞窟だった。そこは日本でいうと大衆食堂のようなメニューで、新鮮な鱒の焼き魚が僅か 300円で食べることができたのにはびっくりした。
ヤギロニアン大学の副学長を訪問したあと、副学長のお勧めの大学付属の博物館、The Collegium Maius Museum(大学付属大博物館)を訪問した。レンガ造りだが、歴史と威厳を感じさせる風格溢れる建物であった。幸運なことに英語のガイドツアーがあったのでそれに参加して由緒ある建物の内部を隈なく見学することができた。
この博物館は、今でも日常的にヤギロニアン大学の関係者に使われているという。入り口にコペルニクス時代の天体儀(天体観測装置)の実物大のレプリカが置いてあったり、第二次世界大戦(あるいは大戦後?)に惜しくも焼かれてしまった古文書もオリジナルそっくりに(?)復元展示されたものが展示されていた。
このツアーで私の一番印象に残ったのが、ガイドが『この部屋の窓は昔はガラスではありませんでした。紙が窓に張っていたのです。ガラスがポーランドに入って来たのは17世紀です。』という言葉であった。我々はヨーロッパというと、必ず西ヨーロッパ、とりわけフランス、イギリス、ドイツ、イタリアなどの所謂先進国を想像し、石組みのかっちりした建造物が立ち並び、絢爛たる文化が栄えた場所のような錯覚を抱きがちである。しかし、ヨーロッパもスカンジナビアのように、教会は伝統的には木造が好まれた場所もあったし、このポーランドのようにワインが全く取れず酒はウォッカかビールしかなく、ガラスが17世紀に初めて入ってきた、という場所もあるのだ。
また一つ私の知らないヨーロッパの面を知ることができたのは喜ばしことであった。
一方、ワルシャワは、旧市街が第二次世界大戦でドイツ軍に完全に破壊されたが、戦後、市民の献身的な努力により、街並みを旧に復することが出来たという。そこまで自分達の生まれ故郷に対してこだわる意識を私は高く評価する一方で、共産党時代の建物の味気なさとの喩えようもない格差はどこから来るのか?散歩しつつ非常に不思議に思えた。
概して、ワルシャワの街並みの無機質な冷たさに比して、クラコフの街並みには、古き良きヨーロッパの人間味を強く感じた。翻って日本を訪問する海外からの旅行者に京都が日本の良い点を充分に提供できているか?近年の京都の町家の破壊などを見るにつけて、懐疑的にならざるを得ない。
この二つの都市は日本で喩えると、クラコフは京都、ワルシャワは東京に当たる。クラコフは町全体が世界遺産に登録されていることから分かるように、近代ヨーロッパの古い面影を色濃く残している。クラコフは旧都である以外に、中央ヨーロッパでは2番目に古いヤギロニアン大学(正式にはヤギェウォ大学と言う)を擁する大学町でもある。ちなみに、このヤギロニアン大学はかの地動説を唱えたコペルニクスが教鞭をとった大学としても著名である。
古い形式の建築がよく保存されている一例としては、京都でも良く見かけるように、建物に囲まれた細長い路地を入っていくと途端に広い空間に出会う。スペインやスペインの影響を受けている南米などによく見られるパティオのような感じだ。
さて、夕食を食べに行ったところは、私が勝手に命名したクラコフの『カルチェ・ラタン』。路地を入った所の地下にレストランがあった。まるで、ローマのヴィア・アッティカ・アンティカに沿って点在するカタコンベに入っていくような感じの洞窟だった。そこは日本でいうと大衆食堂のようなメニューで、新鮮な鱒の焼き魚が僅か 300円で食べることができたのにはびっくりした。
ヤギロニアン大学の副学長を訪問したあと、副学長のお勧めの大学付属の博物館、The Collegium Maius Museum(大学付属大博物館)を訪問した。レンガ造りだが、歴史と威厳を感じさせる風格溢れる建物であった。幸運なことに英語のガイドツアーがあったのでそれに参加して由緒ある建物の内部を隈なく見学することができた。
この博物館は、今でも日常的にヤギロニアン大学の関係者に使われているという。入り口にコペルニクス時代の天体儀(天体観測装置)の実物大のレプリカが置いてあったり、第二次世界大戦(あるいは大戦後?)に惜しくも焼かれてしまった古文書もオリジナルそっくりに(?)復元展示されたものが展示されていた。
このツアーで私の一番印象に残ったのが、ガイドが『この部屋の窓は昔はガラスではありませんでした。紙が窓に張っていたのです。ガラスがポーランドに入って来たのは17世紀です。』という言葉であった。我々はヨーロッパというと、必ず西ヨーロッパ、とりわけフランス、イギリス、ドイツ、イタリアなどの所謂先進国を想像し、石組みのかっちりした建造物が立ち並び、絢爛たる文化が栄えた場所のような錯覚を抱きがちである。しかし、ヨーロッパもスカンジナビアのように、教会は伝統的には木造が好まれた場所もあったし、このポーランドのようにワインが全く取れず酒はウォッカかビールしかなく、ガラスが17世紀に初めて入ってきた、という場所もあるのだ。
また一つ私の知らないヨーロッパの面を知ることができたのは喜ばしことであった。
一方、ワルシャワは、旧市街が第二次世界大戦でドイツ軍に完全に破壊されたが、戦後、市民の献身的な努力により、街並みを旧に復することが出来たという。そこまで自分達の生まれ故郷に対してこだわる意識を私は高く評価する一方で、共産党時代の建物の味気なさとの喩えようもない格差はどこから来るのか?散歩しつつ非常に不思議に思えた。
概して、ワルシャワの街並みの無機質な冷たさに比して、クラコフの街並みには、古き良きヨーロッパの人間味を強く感じた。翻って日本を訪問する海外からの旅行者に京都が日本の良い点を充分に提供できているか?近年の京都の町家の破壊などを見るにつけて、懐疑的にならざるを得ない。