毛沢東は、晩年には文化大革命という中国史上でも稀に見る壮大な文化破壊を引き起こし、数千万人もの無実の人達の人生を破滅した極悪犯である。もっと言えば、文化大革命の虐政以前にも、1950年代の大躍進政策の失政により、これまた数千万人レベルの餓死者を出している。しかし、中国本土ではいまだに毛沢東に対する評価は高い。
私もなぜ毛沢東がこれほどまでの人気を維持できているのか、長い間、原因が分からなかったのだが、何年か前に読んだ本のなかに、大意が次のような文句を見つけた。『毛沢東の共産党革命が起こる前の中国では、人民は食えないことが多く、穀物の出来が悪いと、途端に餓死者が続出した。毛沢東政権になってから、すくなくともそういう事態は頻繁に発生しなくなった。毛沢東は中国にとってのまさに救世主であるのだ。』
なんと大げさな、と感じてしまうのは、我々日本人にとっては、不作で大量の餓死者が出るというのは、江戸以前ではあり得ても、明治以降ではほとんど記録にないからだ。しかるに中国では、第二次大戦後まで何万人もの餓死者がでる、という事態が日常茶飯事であったということを理解していないといけない。
資治通鑑にその実態を見てみよう。
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資治通鑑(中華書局):巻49・漢紀41(P.1578+P.1579)
AD109年、安帝、三年に大飢饉があり、人が人を食ったという事が記されてる。人災というより、どうやら天災だったようだ
三月、京師大饑、民相食。
是歳,京師及郡國四十一雨水,尭、涼二州大飢,人相食。
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これが最初で最後ではなくまだ続々と飢饉が発生し、そのつど餓死者が道路を埋め尽くす地獄絵が繰り返えされたのだ。
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資治通鑑(中華書局):巻53・漢紀45(P.1723)
AD151年、首都、洛陽が旱魃になり、任城、梁國では飢饉が発生し、人が人を食った。
京師旱,任城、梁國饑,民相食。
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同じく、次の記述もある。
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資治通鑑(中華書局):巻53・漢紀45(P.1731)
AD155年、司隸、冀州では飢饉が発生し、人が人を食った。
二月,司隸、冀州饑,人相食。
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これらの例は氷山の一角にしか過ぎない。中国では、そもそも生きていられるだけで望外の幸せだったと時代が数千年、いや数万年、も続いていたのだ。
今回取り上げた例は天災であるが、中国の大飢饉のかなりの割合が権力者同士の戦争などによって引き起こされた人災ではないかと思われる。(通鑑聚銘:(第9回目)『人相食、白骨蔽野』)
こういった地獄絵を生き抜いて来た子孫が現代の中国人だということを考えると、歴史上、比較的安穏とした生活を営むことがゆるされた我が日本人が中国人に比べるとおっとりとしているように見えるのも無理はない。
こういう中国史の暗い面をじっくり読むことで初めて現在の中国が抱えている問題の本質が見えてくる。中国の政治とは本質的に、餓死者を出さない、というのがトッププライオリティであるのだ。民衆が暴乱をおこすのは『食えない・餓死』という切羽詰った状況をきっかけに拡大していっているのが分かる。現在中国の政策(領土問題、外資導入、改革開放、人権抑圧、環境破壊)は政治腐敗・権力闘争のような中華民族の宿痾を別とすると、全てこの『飢餓からの回避』という一点に集約されると私は見ている。
私もなぜ毛沢東がこれほどまでの人気を維持できているのか、長い間、原因が分からなかったのだが、何年か前に読んだ本のなかに、大意が次のような文句を見つけた。『毛沢東の共産党革命が起こる前の中国では、人民は食えないことが多く、穀物の出来が悪いと、途端に餓死者が続出した。毛沢東政権になってから、すくなくともそういう事態は頻繁に発生しなくなった。毛沢東は中国にとってのまさに救世主であるのだ。』
なんと大げさな、と感じてしまうのは、我々日本人にとっては、不作で大量の餓死者が出るというのは、江戸以前ではあり得ても、明治以降ではほとんど記録にないからだ。しかるに中国では、第二次大戦後まで何万人もの餓死者がでる、という事態が日常茶飯事であったということを理解していないといけない。
資治通鑑にその実態を見てみよう。
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資治通鑑(中華書局):巻49・漢紀41(P.1578+P.1579)
AD109年、安帝、三年に大飢饉があり、人が人を食ったという事が記されてる。人災というより、どうやら天災だったようだ
三月、京師大饑、民相食。
是歳,京師及郡國四十一雨水,尭、涼二州大飢,人相食。
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これが最初で最後ではなくまだ続々と飢饉が発生し、そのつど餓死者が道路を埋め尽くす地獄絵が繰り返えされたのだ。
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資治通鑑(中華書局):巻53・漢紀45(P.1723)
AD151年、首都、洛陽が旱魃になり、任城、梁國では飢饉が発生し、人が人を食った。
京師旱,任城、梁國饑,民相食。
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同じく、次の記述もある。
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資治通鑑(中華書局):巻53・漢紀45(P.1731)
AD155年、司隸、冀州では飢饉が発生し、人が人を食った。
二月,司隸、冀州饑,人相食。
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これらの例は氷山の一角にしか過ぎない。中国では、そもそも生きていられるだけで望外の幸せだったと時代が数千年、いや数万年、も続いていたのだ。
今回取り上げた例は天災であるが、中国の大飢饉のかなりの割合が権力者同士の戦争などによって引き起こされた人災ではないかと思われる。(通鑑聚銘:(第9回目)『人相食、白骨蔽野』)
こういった地獄絵を生き抜いて来た子孫が現代の中国人だということを考えると、歴史上、比較的安穏とした生活を営むことがゆるされた我が日本人が中国人に比べるとおっとりとしているように見えるのも無理はない。
こういう中国史の暗い面をじっくり読むことで初めて現在の中国が抱えている問題の本質が見えてくる。中国の政治とは本質的に、餓死者を出さない、というのがトッププライオリティであるのだ。民衆が暴乱をおこすのは『食えない・餓死』という切羽詰った状況をきっかけに拡大していっているのが分かる。現在中国の政策(領土問題、外資導入、改革開放、人権抑圧、環境破壊)は政治腐敗・権力闘争のような中華民族の宿痾を別とすると、全てこの『飢餓からの回避』という一点に集約されると私は見ている。