限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第46回目)『中国とギリシャで同一の故事成句』

2010-03-18 00:16:10 | 日記
韋弦の佩(いげんのはい)という言葉がある。

これは、韓非子・観行第24にある次の言葉が出典だ。『西門豹之性急,故佩韋以自緩;董安于之心緩,故佩弦以自急』(西門豹の性、急なり、故に韋を佩し、以って自ら緩くす。董安于の心、緩かなり、故に弦を佩し、以って自ら急にす。』)

その昔、西門豹(せいもんひょう)と言う人がいたが、非常にせっかちであったので、びよ~んと延びた皮ひもを身につけて、いつもそれを見ては、自分の欠点である性急さを戒めていた。一方、董安于(とうあんう)は、逆にのんびり屋であった。それで、ぴ~んと張った弦を見ては、自分の欠点である緩慢さを誡めていた。



私は中国のこのような故事成句でいつも感心するのは、具体的な名前が出てくることである。Aさんや甲氏ではないのである。この点では、中国人は日本人より、はるかに具体性を重視する。私は、日本人と中国人は 
 『本質的に全く異なる思想を持つ』 
と考えているのであるが、これがその一つの証拠である。

しかし、このような具体名を持つ故事成句が多いのは、何も中国の専売特許でもない。実は、これと全く同じ趣旨の言い回しはギリシャにも存在するのである。ギリシャの有名な哲学者、アリストテレス、と以前、惑鴻醸危:(第4回目)『命がけのレイプ』で紹介したクセノクラテスにまつわる話がそれだ。

ディオゲネス・ラエルティオスが書いたギリシャ哲学者のゴシップを集めた本『ギリシャ哲学者列伝』に載せられている一節に、プラトンが二人の弟子である、アリストテレスとクセノクラテスを評して、"The one requires the spur, and the other the bridle." と言ったといわれている。つまり、『クセノクラテスには拍車が必要だが、アリストテレスには手綱が必要だ』と言うのは、中国の董安于と西門豹の関係にそっくりではないか!これこそ符合を合わしたごとくとでも言うのであろう。

以前も述べたが、私は、このような東西の文化の比較に尽きせぬ興趣を感じる。
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