御巣鷹の尾根(当時は御巣鷹山と呼ばれていた)に日本航空の
ジャンボ機が墜落して今日で30年になる。とTVで特集が
組まれて放映していた。
垂直尾翼が欠けた状態で飛ぶ日航機↓よく写したものです。
機内の様子
飛行機を操縦していた3人のクルー
コックピット内のボイスレコーダーの様子を聞くと機長の
「これはだめかもしれんね」の諦めの声が聞こえるも
「どーんといこうや」「がんばれ」という声。機長はじめ
副操縦士、機関士の何とかして飛行機を立て直そうと必死に
なっている様子が生々しい。
30年前私たち家族は子供達の友達家族とキャンプに行き
その帰り道、高速道路で「日航機墜落事故」を知りました。
あの日も夕焼け空だったような気がする。
今日も暑い日でした。あの頃のキャンプの様子と「事故」の
事を思い出します。あれから30年が経ちました。
ジャンボ機が墜落して今日で30年になる。とTVで特集が
組まれて放映していた。
垂直尾翼が欠けた状態で飛ぶ日航機↓よく写したものです。
機内の様子
飛行機を操縦していた3人のクルー
コックピット内のボイスレコーダーの様子を聞くと機長の
「これはだめかもしれんね」の諦めの声が聞こえるも
「どーんといこうや」「がんばれ」という声。機長はじめ
副操縦士、機関士の何とかして飛行機を立て直そうと必死に
なっている様子が生々しい。
30年前私たち家族は子供達の友達家族とキャンプに行き
その帰り道、高速道路で「日航機墜落事故」を知りました。
あの日も夕焼け空だったような気がする。
今日も暑い日でした。あの頃のキャンプの様子と「事故」の
事を思い出します。あれから30年が経ちました。
勤め先の支店長さんも犠牲になられたんですね。大変な事でしたね。
ボーイング社は事故原因を圧力隔壁の金属疲労と決めつけ
早々に事故原因の終了を決めてしまいました。今でも謎が残っています。
あれから30年、忘れる事のできない事故です。
あの頃は、若かった。
この事故には大きくかかわることになった。
① 勤め先の支店長が お盆で大阪に帰るために乗り合わせて犠牲者になった。
2日後御巣鷹から収容された遺体があちこちの体育館に収容されていたが、どれがどれだか名前を特定することはできなかったという。
何回も赴くが最終的にも判明しなかった?
② 墜落した御巣鷹の尾根は ふるさと秩父から峠を1つ超えた場所の山中。
そんなことから遺体収容の棺が足りなくて、秩父からもピストンで搬送されたという(後日談)
③ 私も、御巣鷹の尾根に翌年向かったが、まだ道が整備されてなく坂道を登りかけたが、土地の人が止めた方がいいです。…と言われ諦めた。
30年前の今頃はいろいろとゴッタかえしていた。
レポートよくまとめられました。
一つ一つ身に突き刺さるような心境に駆られました。
有難うございました。