森進一氏が「おふくろさん」を作詞した方のクレームにより、今窮地に立たされている。
それにしても、私の感想としては「この作詞家さん、今さら、突然、どうしちゃったの?」って感じである。「おふくろさん」がこれだけメジャーな曲になったのは、私は森氏の歌詞の描写力というか、歌唱力にあったと思うのだ。この作詞家氏は、森氏に感謝することはあっても、批判する筋合いのものではなかろう。森氏の「おふくろさん」が聴けなくなって悲しんでいる人間は、きっと、私だけではない。
・・・かつて、吉田拓郎が「襟裳岬」という曲を森氏に提供した。拓郎のイメージとしては「アダモがキャロル・キングを唄う感じ」をイメージしてデモテープを作って森氏サイドに送ったという。ところが、レコーディングが終わって拓郎のもとに届いた「襟裳岬」の完成版は完璧な「演歌」になっていて、拓郎はそれを聴いてひっくりかえったという。だが、聴きこむうちに、なんだかニンマリとしたそうだ。楽曲は、提供した後は、もう提供された側の持ち物なのだ。吉田拓郎さんは、そこを分かっている。大人だ。
その後拓郎は、ささやかな抵抗として、「ある理由」から廃盤となっている「今はまだ人生を語らず」というアルバムの中で、自分のオリジナルのイメージの「襟裳岬」をセルフカバーで収録している。しかしながら、その出来は・・・森進一バージョンの足元にも及ばない。それは、私のみならず、なぎら健壱氏も小室等氏も認めるところなのだ。
森進一氏よ、貴方は卑屈になることはない。「おふくろさん」は、もう30年以上も前から、貴方の作品で、貴方のモノなのだ。「おふくろさん」を歌えるのは貴方以外には誰もいない。あの作品は、貴方の歌の描写力があったからこそ売れたのだ。あやまる必要なんかない。世界中が貴方の敵だとしても、私は、貴方の味方だ。