城と歴史歩きを楽しむ

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山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

美濃・椋実城(欒峰城)と千人塚 広くて緩やかな堀切の山城

2018-10-13 | 歴史
椋実城は地元では欒峰城(らんぽうじょう)と呼ばれていて、岐阜県恵那市三郷町椋実に有ります。地元の伝承によれば建仁二年(1202)に築城されたとされていますが、はっきりした時期や人物は確認されていないようです。 
 時は流れ、戦国時代になって天正三年(1575)2月、武田軍の侵攻によって城は焼失し廃城になったと伝えられています。その時の戦いで多数の戦死者があり、樂峰城山下には戦死者を葬ったという千人塚がありました。

欒峰城の入り口には地元の方が立てた看板がありました
山裾の水路を迂回して大手道を探して登りました。下部は踏み跡も無く分かりづらかったですが、中腹からは城道もハッキリ残っていました。


主郭には城址標柱が建っています・・・かなり傷んでいました
山城では、城址碑が立っているのを期待していませんが、簡単な標柱だけでもあるとヤッパリちょっとうれしいものです。


主郭には土壇がありました。城主の御殿(建物)が壇の上に建っていたかもしれません。「偉い人は一段上に」というのは今も昔も同じかも。


欒峰城の特徴は幅広で傾斜のゆるい堀切でした
欒峰城は四方の尾根筋に堀切を設けていましたが、どれも上幅は広いのに傾斜がゆるく、防御性が低そうに見えました。4方向ともですので、地形の影響というよりも築城者の意図的なものではないかと思いましたが、理由まではわかりませんでした。


主郭には土塁が見当たらない
山城の主郭の縁辺部分には土塁がある場合が多いのですが、欒峰城では土塁の痕跡も見当たりませんでした。風化によって低くなっている場合も多いのですが、もともとなかったようです。堀切の緩やかな状態と土塁のない郭では守りに弱かったのではないかと思いました。


集落からの道 が大手道に通じていたかも
「入り口」の看板が有った道とは別に集落の中心からの道もありました。ここからは樂峰城の全景を眺める事ができました。


千人塚は今もコウハナが手向けられて大切に祀られていました
欒峰城山下の集落内の道路沿いに千人塚が祀られていました。花壺にはコウハナ(シキミ)が活けられており今もお参りがされているようでした。
 千人塚の場所をお聞きした御婦人は「昔、沢山の人がなくなったのをお祀りしてある」と言われていました。沢山の人の中には多くの村びとが混じっていたことだろうと思いました。

やっと秋晴れの好天に恵まれ、山城巡りのベストシーズン到来を味わいながらの城巡りでした。

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