豊町にいた頃、山形から来た親戚が持ってきた練りハミガキを、
一本全部食べてしまったことがある。
私は飢えは知らなかったが、甘いものに飢えていた。
当時、一般の家庭では缶に入った、粉のハミガキ粉を使っていた。
これは甘くもなんともないが、チューブ入りの練りハミガキは甘く、
その頃新発売されたのではないかと思う。 見たことがないものだった。
ちょっとなめてみたらうまいので、全部食べちゃったのだ。
師走。煌々と光る裸電球の下で、正月のものを買おうとする人々が
忙し気に行き交う。 活気とせわしない光景が目に残る。 その頃の
正月は、今と違いスーパーもコンビニもないので、一週間は商店が
完全に休みに入った。 食べ物が手に入らなくなるので、人々は
真剣になって、一週間分の食料の確保をしなければならなかった。
我が家の小さな店先も、暮れは人でごった返えしていた。
当時は安いものだったらしいが、塩漬けの数の子も、暮れだけ店に
置いていた。 店の裏側の路地には、漬物などが入っていた、
空になった木の樽が積まれていた。 邪魔になった樽を移すために、
私はおやじに教えられて、樽の動かし方をおぼえた。
母親から、その頃よく商店の人がしていた、紺色のゴツイ前掛けを
してもらい、それが長過ぎて引きずりながら、樽を斜めに傾けて、
転がしていくのが、子ども心に面白くてしょうがなかった。
日がかわってお正月になると、町の活気とあわただしさは、
うそのように消え、家々は新年の静かな日を迎える。
正月になると怖いものが一つあった。 それはピーヒャラピーヒャラの
笛とともに家々を回って歩く、唐草模様の獅子舞いだ。
外で舞い終わった獅子舞に、玄関先でおやじに押さえつけられ、
頭を獅子の大きな口の中に入れられるのだ。 食われてたまるかと、
大暴れしたが、子どもの力じゃどうしようもなかった。
獅子舞はちょっとだけ頭を噛むのだが、食われるっ!
と思うぐらい恐ろしかった。
- 続く -
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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