形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

心の風邪

2010-07-30 20:02:38 | Weblog

妻がクモ膜下出血で急死して、もう4ケ月近くが過ぎた。
前ぶれのない突然の死だったので、家のことがわからず、
てんてこ舞いした。 
それ以来、睡眠障害と食欲不振が続いている。 
あまり長いので、 これは何だろうと調べてみたら、
どうも鬱(うつ)らしい。 だがウツといっても、憂鬱な気分は
さほどない。 こういうウツもあるようだ。 
誰でもひく 「心の風邪」 という言葉になるほどと思った。

唐木心療内科によると、
基本的な症状として次のようなものをあげている。

1、強いうつ気分
2、興味や喜びの喪失
3、食欲の障害
4、睡眠の障害
5、精神運動の障害(制止または焦燥)
6、疲れやすさ、気力の減退
7、強い罪責感
8、思考力や集中力の低下
9、死への思い

このうち私に強いのは、食欲減退、睡眠障害、罪責感、集中力の低下だ。
罪責感というのは、逝った妻にもっと楽しい思いをさせてやればよかった、
という自責の思い。 集中力の低下は、スーパーでレジを済ませたあと、
空のカゴを持って出てきたり、台所にあった車の保険の案内が期限切れ
と思い、あわてて問い合わせたら、少し前に振り込んでいたなどいろいろ。 
だがこれは最近少なくなった。

2週間前、あまりの暑さでクーラーをかけたまま寝て風邪を引いた。 
体の状態からみるとかなり熱が出たようだ。 食欲不振は輪をかけ、
食べ物が喉を通らないのが1週間続いたが仕事は続けた。 
そんなこともあって体重は、去年の今ごろ70キロあったのが、
58キロまで落ちた。 

睡眠障害は朝4時頃目が覚めると、目がさえてそのまま眠れず、
3、4時間の睡眠がずっと続いた。 何かを思い出してとか、
考え込んで目がさえるというわけでもなく、なぜかたださえる。
そのために疲労感が強く、階段を登る一歩一歩に、足に疲労感が
じわっと出る。 これは以前から、自分の疲労度を測る物差しに
なっている。 だが最近は睡眠も少しづつ長くとれるようになってきた。 
「心の風邪」 も時間がいつか解決していくのだろう。


形之医学・しんそう療方 東京小石川
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続・横浜港の青いコーヒー豆

2010-07-21 17:49:08 | 昭和の頃

外国船の船員は国によってさまざまで、それが国の貧富の差なのか、
船乗り達の待遇の差なのかわからないが、いろいろな船があった。 
錆びてボロボロの、ろくに手入れもされていない船の船員は、だいたい
荒くれ者が多かった。

バイトを始めた頃、ヘルメットなんぞ渡されて大げさだなと思ったが、
その意味はじきにわかった。 積荷を降ろすワイヤーロープが切れると、
切れた端がまるで針ねずみのようになって、うなりを上げて飛んできたり、
荷が落下してくることがよくあるのだ。 

綿で足を折ると聞いたとき、なんのことかと思ったが、大きな長方体の
原綿を薄い鉄帯でガチガチに締めたものが落ちてきて、それで足を折る
ことがあるそうだ。 それはクレーンで持ち上げるほどで、とても綿とは
思えない重いものだった。 船にはそうしたいろいろな危険があった。


中国船の船長は、籐で編んだヘルメットを被り、夏だと白い制服を着て、
甲板でゆったりとジャスミン茶を飲んでいたりする。 この船でうらやましい
と思ったのは、厨房の窓越しに見える、ずらりと並んだ豪華な中華料理だった。 
でっぷりと太ったコックが、例の木の切り株みたいなマナ板で、大きな
中国包丁を軽々と扱って、次々に作り出す中華料理のご馳走が並んでいく。

なんでも航海中の乗組員の楽しみは、食べることぐらいだから、料理は
うまいものを出すのだと聞いた。 私たち学生は発泡スチロールの弁当箱に
入った、ご飯だけがやたらに多い弁当を食べながら、窓から見える中華料理を
うらやましく眺めていた。
                     


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マッカチン(アメリカザリガニ)

2010-07-09 13:23:41 | 昭和の頃

小学校の頃、外遊び好きな男の子たちに人気のあったものに、
アメリカザリガニがある。 成長した大きなアメリカザリガニを
私たちはマッカチンと呼んでいた。

赤い体で、大きなハサミのような手を振り上げて威嚇する姿は、
私たちをゾクゾクさせた。 でも大きなマッカチンは、東京の私の
住んでいたあたりでは滅多に捕まらなかった。 私もほんの2、3回
捕まえたぐらいだ。 誰かが捕まえたと聞くと、ブリキのバケツや
洗面器に入れられている、マッカチンを見せてもらいに行ったことも
あった。 男の子たちの憧れの生きものの一つだった。


あるとき私はそのマッカチンを捕まえ、大喜びで洗面器に入れて
家の中で大事に飼っていた。 そんなある日、山形からYさんという、
大学を出て就職して間もない人が、なにかの用事で家に来て泊まった。 
夜、私と弟は子ども部屋を追い出され、Yさんがその部屋で寝た。

これはオフクロから聞いた話だが、深夜、突然Yさんの絶叫が
聞こえたらしい。 話によると、Yさんは小用で起き、便所に行こうとして、
畳の上を這うサソリを発見し、悲鳴をあげたというのだ。
もちろんサソリではなく、洗面器から脱走したマッカチンだった。
両手を振り上げたマッカチンを、Yさんはサソリと思い込んだのである。

翌日、びっくりし過ぎて寝不足となったYさんは、カンカンになって怒り、
オフクロに、家の中であんなものを飼うなんて非常識だと文句を言ったらしい。 
オフクロは、ザリガニをサソリと間違えるほうがよっぽど非常識よね、と私に
そっと言った。

昭和30年代の頃。 たいていの家の照明は、小さな白いガラスの
笠の下にある、二股のソケットに大小の電球をつけたものを使っていた。 
夜、オシッコに起きるときなどは小さな電球しかつけないから
とても暗かった。 その暗がりの中で、Yさんは畳の恐ろしい”サソリ”を
見て絶叫したのである。

今のようにいろいろなものの、詳細な情報というのは当時なかったから、
サソリは砂漠の闇の中に蠢く、猛毒をもった恐怖の生き物のイメージ
だった。 実際よりももっと恐ろしいイメージとして、人々の中で
膨らんでいたのである。 その想像力を膨らませていったのは、
映画であり、恐怖のサソリの毒に刺し殺される漫画だったろう。
猛毒のクモ、タランチュラや毒蛇、コブラのようなものも同じような
ものだった。
                   
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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