形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

竹スキー

2012-12-26 12:48:36 | Weblog

オヤジは器用ではなかったが、日曜大工のような、モノを作ることが好きだった。 
私が高校生の頃には、当時の家庭ではあまり使わない、電気ノコギリや電気
カンナまで買い込んでいた。 近所で大工さんが家を建てていると、休みの日
にはよくその仕事を見にいっていた。 その頃の大工さんは、身近な、モノを
つくる代表みたいなもので、人々から尊敬の念で見られていたように思う。

オヤジの作った大きなものでは、家の裏にけっこうな大きさの物置小屋を建て
たことがある。 屋根の上には物干し台までついていた。 これは幼稚園の頃、
近くに住んでいた、オヤジの友人に手伝ってもらって建てたものだ。 
他にも棚や縁台を作ったり、幾度か竹を薄く削いで、竹トンボを作ってくれた。 
今ではあまり見かけない、肥後の守(カミ)という、日本の折りたたみ式ナイフで、
ハネを微妙に調整して削り、オヤジの竹トンボはよく飛んだ。


昭和三十年代の頃、東京はとても寒かった。 私の好きな時代小説家、
藤沢周平は、山形の日本海側、鶴岡出身だが、その頃東京に出てきて住んでいる。 
その随筆の中で当時の東京の、底冷えのする寒さを驚きをもって書いている。


東京に大雪が降った冬の日曜日、オヤジはうれしそうにスキーを作ってやると
張り切った。 楽しみに見ていると、物置小屋に買い込んであった、太い竹を
割り、フシを削って、スキーというより、短いスケートに近いものを作ってくれた。 
先端はちゃんと火であぶって反りをつけた。 底にはロウソクを塗り、ヒモの
輪っかを付け、そこに長靴を入れて滑るのだ。 滑りはかなり悪かったが、
私たちは大喜びで遊んだ。 山形生まれのオヤジも子どもの頃、
こういう竹スキーでよく遊んだと話していた。


からだの形は、生命の器 
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


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力道山の家

2012-12-18 16:25:23 | Weblog

力道山の家は池上本門寺の上のほうにあった。小学生の頃、家から
歩いて30分ほどの本門寺に遊びに行くと、よく友達と家を見に行った。 
ぼくたちのヒーロー、力道山をひとめ見たかったのだ。

高い塀に囲まれた家は中が見えないので、木によじ登って遠くから見た。
庭木が少ない、広い芝生の庭だったが、力道山の姿を見たことはなかった。
一度だけ、塀の下の隙間から、庭のずっと向こうに革靴を履いた足だけが
見えて、力道山の足じゃないかと友達と騒いだことがあった。

力道山の出てくるテレビの観衆は、めちゃくちゃにエキサイトした。 
当時、私の家には田舎の親戚の大学生が、何人か下宿していたが、
テレビに力道山の出るときは凄かった。 その頃の大学生は貧乏で、
娯楽もごく少なかったからかもしれない。

憎たらしい銀髪の吸血鬼、ブラッシーと力道山の死闘となると、
コブシを振り回して応援した。 力道山のオデコにブラッシーが
噛みついて、血が出ようものならたいへんな騒ぎだ。
「ア~ッ!! またかぶつかっちゃ!!」
(注釈、また噛みついたと言ってる。)
「んが~!」と、まぁこんな調子だ。
耐えに耐えた力道山が、最後に伝家の宝刀、空手チョップで悪党を
バッタバッタとなぎ倒してやっと溜飲を下げた。 
悪役たちは、「役」じゃなく悪党そのものだった。

ビートたけしの本だったと思うが、昔、大相撲の熱狂的なファンの落語家が
いたらしい。 楽屋でテレビの相撲を見ているうちに、だんだん興奮して
テレビににじり寄っていき、しまいにテレビをかかえて、後ろにうっちゃり
投げたそうだ。 そこまではいかないが、それに近いほど熱狂していた。

力道山が死んで、池上本門寺にお墓が建てられた。 お墓の前には、
腕を組んでニッコリ笑っている、力道山の懐かしい彫像がある。


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赤だし煮込みうどん

2012-12-17 19:30:35 | 男の料理

前にテレビで、山で採ってきたキノコを囲炉裏に掛けた鉄鍋で、
赤だし味噌で煮て食べるのを映していた。 味噌はカツオのダシで
溶いてあるそうだが、ドロドロの状態で、まるで泥でもからめるように
食べている。 それを肴に酒を飲みながら、出演者はとてもうまそうだった。

赤だしの味噌汁を初めてたべたのは、小学生のとき、おふくろの郷里、
桑名に行ったとき。 朝、出された黒いような色の味噌汁に驚いた。 
飲んでもっとびっくりした。 
ドロリとして、サラサラの味噌汁に慣れている私には、とても
味噌汁には思えなかった。 作った叔母は、カルシュウムを
とらせるためと思うが、ダシに使った煮干しまで細かく刻んで
入れていたので、ザラザラと喉に引っかかった。 
赤だしを飲めるようになったのは、ずっと大人になってから。

最近、簡単なので夕食に赤だし味噌の煮込みうどんを作ってよく食べる。 
一人で食べるので作り方はかなりいい加減だ。 水に多めの
ダシの素を入れ、始めから赤だし味噌を溶き、卵、鶏肉、油揚げ、
ナメコ、シメジなどをどんどん入れて煮る。 卵は固くなるまで煮る。
赤だしは塩加減がどうもよくわからない。 入れ過ぎと思っても
なぜか他の味噌より塩辛くならないのが不思議だ。 
煮える頃うどんを入れ、多めのネギと焼きカマボコをのせて
出来上がる。 これ、どういうわけか飽きない。

赤だしは個性が強いのか、他の味にはなかなか負けないようだ。 
最近、鶏肉がなかったので、冷蔵庫にあったシャウエッセンという
少しスモークしたウィンナーを入れてみたら、こちらのほうが肉の
うまみが抜けないのと、パリパリ感があって鶏肉よりうまい。 


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つましい、という言葉

2012-12-12 16:50:23 | Weblog

「 つましい 」 という言葉は、ほぼ死語に近いのではないだろうか。
国語辞典にはあるが、生活の中では死につつある言葉。

漢字では、「 約しい 」 または、「 倹しい 」 と書いて、「 つましい 」。
「 つましい 」 の意味は、暮らしぶりが地味で質素なこと。

「 もったいない 」 という言葉が流行った。
いや、流行といってはいけない。 単に言葉ではなく、
「 もったいない 」 の裏にある思想が、人々の心を捉えた。 
そこには地球環境の破壊という、いわずと知れた人類の
深刻な背景がある。


似た言葉に、「 つつましい 」 というのがある。 「 慎ましい 」。
こちらのほうは、意味が広くなるのでまだ使われている。
遠慮深くもの静か、質素や控えめという意味。


「 つましい 」・・・・ 昔の日本人の、生きる態度


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ヒミツの場所

2012-12-10 16:21:02 | Weblog

写真は抜刀術の練習をするときの、私のヒミツの稽古場。 
城跡公園の奥にあり、片側は鬱蒼とした空堀、他も木々に
囲まれた小さな草の台地になっている。 散歩道からは外れ、
見えにくく何もないところなのでめったに人が来ない。 
朝、練習に行くときは、袋に入れた稽古用の刀を持ってここに行く。
服装は普段着のまま、足元も運動靴のままだ。

人がいないことを確かめてから、帯をつけ、刀を差し稽古を始める。
時間がたつにつれて、上半身の力が抜け、体の重みが丹田にずっしりと
のってくる。 丹田というのは、禅や日本の古い武術でよくいうヘソの
やや下、奥のところだ。 丹田って何なんだろうと思っていたが、
何年か前、治療(しんそう療方)の指導を受けている林会長に、
丹田とは何ですかとお聞きしたら、重心であると明快な答えを
いただき得心した。

ごくまれに人が迷い込んだように来るときがある。 
あるとき、犬を連れて散歩中のおじいさんが来てしまった。 
修業のできてない私は、とたんに集中できなくなった。 
そのおじいさん、柴犬のような犬を連れて、私を遠巻きに
ぐるぐる回るのだ。 興味はあるけど、あまり近づきたくない
といった感じ。 
(早くいってくれないかな~)
こういうときは、型稽古をやめて素振りだけやる。
これは見ても面白くないのだろう、じきにいなくなってくれる。


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駄菓子屋・続き

2012-12-01 13:30:00 | 昭和の頃

懐かしの店というのか、小さな店がたくさん入るビルの片隅で、
昔の駄菓子屋の店をやっていることがある。 のぞいて見ると、
もうないものもある。

たとえば、今の駄菓子屋ではニッキの小枝などは見たことがない。
ニッキはマッチ棒ぐらいのものが、5、6本赤い紙で束ねてあった。 
砂糖がまぶしてあったのか、それをかじると、ほんのり甘かった。 

他にも、細長いガラス管に入った色つきゼリーもなかった。 
このガラス管、たっぷりゼリーが入っているように見えるが、
厚いガラスの錯覚で、中が細くてゼリーは少ししか入ってない。
一瞬チュルッと吸って、あっけなくおしまいだった。 
ガラス管は返していた。

お正月は大きな箱クジを店先に置いた。 
大きな箱を縦横に仕切ってあり、全面に紙が張ってある。
どこに何が入ってるのか見えないようになってる。 
それをお金を払って、指でズブリと破って中の景品を取り出す。 
障子紙を指に唾をつけて破ると、なぜか知らないが面白い。
あとで怒られるのがわかってても、つい誘惑にかられてズブリと。 
ここでは大威張りでズブリ、ズブリとやっていた。
仕切りの中にはコマやメンコ、ベーゴマなどが入っていた。

駄菓子屋は私の住んでいたあたりでは、お爺さんやお婆さんが
やっていることが多かった 。 店の名前は、モリなどの姓で
呼ばれたり、じじばばの店などと呼んでいた。
「学校が終わったら、じじばばの店に行こうぜ!」 と誘いあった。

駄菓子屋にはお菓子だけじゃなくて、いろいろなものが置いてあった。
細引きのロープがあったり、夏は虫取りに使うトリモチ、虫獲り網、
竹の釣り用一本竿、壁にぶつけるとパーンッと破裂するカンシャク玉、
ブリキのおもちゃのピストルや、それに使う巻紙状の火薬。
お正月は空に上げるタコも置いていた。 ゴチャゴチャいろんなもの
があって見ているだけで楽しかった。


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