形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

虹を追って

2012-09-25 13:28:57 | Weblog

子どもの頃、友だちと虹をめがけて、いくども自転車で走っていった。
虹は、七色に輝く、太くて丸い柱のようになって、
地面から吹き出しているような気がしていた。 
ところが虹はいつも、走っても、走っても、
たどりつかない、遠いところにあった。 
近寄ろうとすると、虹はいつのまにか消えていた。


                  
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


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サバイバル

2012-09-21 12:47:38 | Weblog

昼休みに書店で本を見ていた。 そこで目に止まったのが、
「サバイバル登山家」(服部文祥著 みすず書房)だった。
サバイバルという言葉に弱い私は、タイトルに惹かれてすぐに買った。
(2008年記)

私の愛読書の中には、「SASサバイバルマニュアル」(バリー・デイヴィス著)、
「アウトドアのロープワーク」(小暮幹雄著)、「アウトドア 危険・有毒生物」
(篠永哲著)、「サバイバル読本」(伊藤幸司著)などがある。
こうしたものは、小さい頃の探検家になりたいという夢と通じている。
(注:SASは英国陸軍、特殊戦闘部隊の略)


ウィキペディアの定義では、サバイバルとは、人間が文明や社会から
隔絶された状態、もしくは、その恩恵を享受することが困難な状況で
生き抜くこと、となっている。


私ばかりでなく、男にはそういうものに血が騒ぐという人も
多いのではないだろうか。 映画などでも、こうした設定の
人気映画がある。 "ランボー" シリーズなどもそうだ。 
あれは戦闘映画だが、サバイバルは戦闘に限らない。 地震など
による都市災害や、山岳での遭難、船の難破によるものもある。


人が器械や道具力に頼ることを極力排除し、肉体の力と知恵を
駆使して生き抜くこと、またその技術をサバイバルという。
サバイバル登山は、登山用の便利な道具を徹底的に削ぎ落とし、
食料も自然の中で調達して生き抜いた記録だ。 時計もラジオも
ランプも、燃料さえ持たない。 人間の原初の能力によって、
厳しい自然の中で生き抜き、生そのものを実感したいという、
命をかけた、" 存在の確認 " がその奥にあるのだろう。


サバイバル登山の始めは、フリークライミングの思想の影響に
よるという。 フリークライミングは、岩と人間のあいだから、
やはりモノを極力なくし、人間がじかに自然の岩と向き合い、
その人の肉体と精神力、技術を試すものと思う。


前にテレビで、外国の急峻な岩山を一人で攀じ登る、女性のフリー
クライマーを見た。 登攀する姿の美しさとともに、命綱をつけずに
攀じ登る、その凄さに驚いた。 私も若いときに、山登りの延長でロッ
ククライミングを少しやっていた。 それは腰に、岩に打ち込むハーケ
ン(板状の鉄のクサビ)や、カラビナ(開閉自在の金属の輪)、ハンマー
などをガチャガチャいわせて攀じ登るものだ。 手がかりのないところに、
人口の手がかりを作り、それも使って登る。 フリークライミングから
すれば、それはフェアではないのかもしれない。


フリークライミングの思想はアメリカから始まったそうだが、結果より、
その過程を重視したものといえるだろう。 自然と人間のあいだに置かれる
"便利さ"というのは、何か大切なものを置き忘れていくような気がして
ならない。

「サバイバル登山家」の冒頭に書かれた、一人での、記録的な豪雪の
知床半島全山縦走(3/25~4/12の19日間)などは、ほとんど
遭難じゃないかと思うほどだ。  


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あの光のところ

2012-09-20 15:57:27 | Weblog

陽だまりのところ

にぎやかなところ

友だちの笑い声が聞こえるところ

遠いところ


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九月の海

2012-09-18 16:48:56 | Weblog

八月の海辺。 
かげろうが燃え立ち、烈しい光に満ちている。
九月、光はその密度を拡げ透明になる。
潮騒もやがて、遠い海鳴りにかわる。


『 
   それは九月。 夏の終わり。 
   理由もなく、悲しみが湧きあがってくる時季だった。 
   長い渚がつづいているが、六人ほどの人かげしかないさびしさだった。 
   子供たちはボール遊びをやめてしまった。
   風が、その吹きすぎる姿に、哀愁を感じさせたからだ。 
   子供たちまでが座りこんで、渚に忍びよる秋の気配を感じていた。

   どのホットドックの屋台も、金色の細板が打ちつけてある。
   カラシ、玉ネギ、肉の匂い、楽しかった夏の思い出をとじこめて、
   いわばそれは、夏を釘付けにした柩(ひつぎ)の列か。 

   戸閉めにする家が一軒ずつふえていった。 
   南京錠がおろされると、外では風がなぶりだし、
   七月と八月につけられた、百万からの足跡を吹き消していった。 
   それが九月。 僕らの足跡のほか、波打ち際に残るものはなかった。    』



                  レイ・ブラッドベリ 「みずうみ」から。
                            (宇野利泰 訳) 
 

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美しい季節

2012-09-14 18:13:23 | Weblog


腹ぺこで 道に迷って からだは冷えて

ひとりぼっちで 一文なしの

ちいさなむすめ 年は十六

身じろぎもせず立つ

コンコルド広場

八月十五日正午。         


    ジャック・プレヴェール(1900~1977)
                      フランス


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タマゴ茸

2012-09-12 15:20:12 | Weblog

今頃出ている、食べられる夏のキノコとしてタマゴ茸がある。
赤くつるんとした、かわいいキノコだ。
大きさは図鑑では5~15cmとあるが、私が採ったのもそれぐらいで、
大型の部類だと思う。 那須に住む弟のところに行ってはじめて採り、
味噌汁に入れて食べたが、とてもうま味の強いキノコだった。

暗いところより、わりあい明るい林の中に多いように思う。
散歩中にポツンポツンと出ているのを採ったが、まだ群生しているのは
見たことがない。

毒キノコの多い、テングタケの仲間だがこれは食べられる。
ただし、黄色い、黄タマゴタケは毒キノコである。

毒キノコ、ベニテングタケもタマゴタケと似ているが、
たまご茸の傘には幼菌も成長したものでも、白い斑点が無いので、
見分けるのは比較的簡単だ。 
だがベニテングタケも信州のある地域では、
採ってきたものを茹でて、塩蔵にし正月頃に食べるという。
たいへんうま味が強いそうだ。

 タマゴタケ幼菌

よほど慣れないと食べられるキノコか、毒キノコかの判定は難しい。
出ている場所や、幼菌と成長したものでも微妙に色合いなどが違い、
なかなか図鑑で調べてもわかりにくい。

山を歩いていると、いろいろなキノコを見かける。
キノコがわかったら、もっと山歩きが面白いだろうと、いくど思ったことか。 
重い図鑑をザックに入れて山に入ったこともあるが、結局、確信がもてなくて
食べるのを断念したことのほうが圧倒的に多い。

秋頃に田舎の公民館などで、キノコの鑑別会が催される。
そうしたところで実際のものを見ながら、経験豊富な方に教えてもらうのが、
一番確かなおぼえ方だろうと思う。


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ままごと遊び

2012-09-04 16:53:06 | 昭和の頃

小学生の頃、休みの日の雨は、外で遊べない私には退屈でもだえるほどだった。
部屋の中で、どうやって遊ぼうか、悩んじゃうのだ。 
そんな雨の日の午後、隣の家の一つ年下の幼なじみ、平ちゃんに、
遊びにおいでよと誘われた。 どうせまた、トランプかなんかやるんだろう
なと思いながら遊びに行った。

平ちゃんには、私より四つぐらい年上のお姉さんがいる。 
行くとそのお姉さんが家にいて、おままごとしましょうと誘われた。 
ままごとなんてやったことがない。 
用意するからと、私と平ちゃんは隣の部屋で待たされた。

いらっしゃい!の黄色い声でいってみると、畳の上に小さなゴザを敷き、
その上に化粧品の見本なのか、小さな瓶が所狭しと並べられていた。
小瓶のいくつかには、赤や青、緑の色のついた水が入っていて、
私たちは "お客さん" 役らしい。

お姉さんは、口に手をあてて、オホホッなどと笑いながら、緑の水を
小さなオモチャの茶碗に入れて、「お茶をどうぞ」とすすめてくれた。 
その間、私たちはお客なので、正座をしてないといけないらしい。
アホらしいというか、なんというか・・・・でもそれは、初めての
新鮮な遊びだった。 ままごと遊びをしているうちに、私は"お姉さん"
というものに憧れた。 オレもお姉ちゃんが欲しいと。

ある日おふくろに、お姉ちゃんを生んでくれと頼んだ。 
鼻水をたらして笑っているだけの弟より、なんぼいいことか。 
ところがおふくろの話だと、「バカだね、これから生んだら、おまえより
年下だから、妹になっちゃうんだよ」 と笑われた。 
とたんに、そばで笑っている弟の丸い顔が、お下げ髪の女の子の顔に
見えて、 「そんなら、いらないや・・・・」と答えた。  

                  
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