子どもの頃食べたもので、大人になってもう一度食べてみたいと思うもの、
それはたいていの人に一つや二つあるのではないだろうか。
佐倉に引っ越してきた頃、裏の空き地で初めて家庭菜園を作った。
10坪ばかりの畑だが、はじめのうちは面白いように野菜ができた。
胡瓜をつくったとき、おやじは大きな胡瓜を作ってくれと頼んできた。
小さい頃食べた、畑の大きなキュウリの味が忘れられないらしい。
キュウリを成らせたまま放っておくと、短期間のうちに、すごく大きなもの
になるのを知ったのもそのときだ。 50センチはあるバカでかいキュウリを
おやじに渡してやると、大喜びで味噌をつけてかじったり、
酢の物にもして食べた。 私も食べてみたが、種が大きくパリパリ感のない、
うまいとはいえないものだった。 おやじもたぶん同じ思いだったのだろう、
お化けキュウリはじきに食卓から姿を消した。
蕎麦屋で好物の蕎麦を食べていたとき、4、5人のおばさんグループが
カレーの話をしていた。 中の一人が、昔食べたカレーの味が忘れられ
なくてさぁ、小麦を炒めるところから作ってみたのよ、と話している。
聞いていると、その手間のかかったカレーを食べたら、全然美味しく
ないの、子どもたちの評判も悪くてがっかりしたという話をしていた。
郷愁の食べ物を実際に食べてみると、がっかりすることが多いかもしれない。
記憶の中の味と違うのだ。 私もいくどかそういう経験がある。
一つは、甘いものに飢えていた子どもの頃、時折、おふくろが
水溶き片栗粉を煮て、砂糖を少し入れたお菓子のようなものを作って
おやつに出してくれた。 これが懐かしく、作って食べてみると、
ただ薄甘いだけで、こんなものだったのかと思った。
ものの少ない時代だったので、それでもうまく感じたのだと思う。
もう一つ、もう一度食べてみたいと思うもの。 子どもの日に上野動物園に
行くと、子どもは無料で入れた。 動物園の外にある、かき氷などを売る
ヨシズ張りの店で、子どもは半額の、たしか20円か30円でラーメンを
食べさせてくれた。 その頃、外食することはめったになく、ラーメン自体
私はあまり食べたことがなかった。 友だちと入ったその店で出された
ラーメンはチャーシューなどではなく、赤く安っぽいソーセージの、
ひらひらの薄切り4分の1しか入っていなかった。
それでも当時はじゅうぶんうまくて、
行きに1杯、帰りにまた1杯と食べた。
でも、今食べてみたらどうなんだろう。
向田邦子は「父の詫び状」(文藝春秋刊)の中の「昔カレー」で、
書いている。 「思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい。
何十年もかかって、懐かしさと期待で大きくふくらませた風船を、
自分の手でパチンと割ってしまうのは勿体ないのではないか」 と。
からだの形は、
生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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