形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

2色だけのカラーテレビ

2012-11-30 16:55:39 | 昭和の頃

日本に白黒テレビが普及し始めた頃、
家にテレビのない子は、夜、近所に見せてもらいに行っていた。 
私の家も買ったのは遅かったので、隣近所をハシゴして歩いた。 
行くと部屋の明かりを消してテレビを見る。 
みんな映画館で映画を見るような気分なのだ。 
違いは映画館のように、始まりのブザーが鳴らないだけだった。

怖い番組もあった。 「怪猫、黒猫丸」 という時代劇は、顔を猫の顔で白塗りし、
口は真っ赤に、耳まで裂けた俳優が、歌舞伎の白い獅子毛を被って出てきた。 
夜中に、部屋の行灯の油を舐めているシーンなど、私たちは恐ろしくて見て
いられなかった。 ペチャペチャと舐めていたと思うと、クルッと振り向いた顔は、
身の毛もよだつというやつだ。 
私たちは恐くなって下を向いていた。 まだ出ているかわからないので、
「おまえ、見てみろよ」 「イヤだよ」 などと押し問答し、見ている大人に
「まだいる?」 と聞いていた。 もういないと聞くと、ホッとしてまた見ていた。

近所にお豆腐屋さんがあって、朝よく鍋を持って豆腐や納豆を買いに
やらされた。 ある朝、豆腐を買いにいくと、「うちの、カラーテレビに
なったから、見においで」 と誘ってくれた。 夜がくるのが待ち遠しく、
夜、弟とワクワクして出かけていった。 
見てビックリだった。 白黒テレビの画面に、上半分が赤、下半分が青の、
1枚の色つきプラスチックを、バコンとはめこんであるだけのテレビだった。 
人でも景色でも、いつも画面の上半分が赤、下半分が青になっちゃうのだ。
カラーといえばカラーだが、見づらくて弟と目を回していた。


からだの形は、生命の器 
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


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イラガ(刺蛾)の笛

2012-11-27 15:18:28 | Weblog

イラガという蛾がいる。 ずっと以前には、東京でもよく見かけたが、
今ではほとんど見ることがなくなった。 たぶん、昔は家々の庭によく
植えられていた柿の木が、ごく少なくなったからではないかと思う。
(サクラやケヤキなどにもつくらしい。)

この蛾の幼虫は、見てのとおり、背中にいくつもの、イガイガした
針のブラシを背負っている。 この針から毒液を出し、刺されると
とても痛い。 別名の一つに、デンキムシ(電気虫)という、
シビレるような名前がついているほどだ。

体長が2センチぐらいの太短い体で、枝の上をモコモコと、
愛嬌のある歩き方で活発に這いまわる。 
いかにも、近づいたら刺すぞ、刺すぞ、というふうに見える。 

痛いから触る子はいなかったが、この毛虫、ころころしてバランスが
悪いのか、上から落ちてくるやつがいる。 坊主頭に落ちられた日には
たまらなかった。 私も落ちてきたのに、頭やランニングシャツから
出ていた首や肩を刺されたことがあった。
子どもの頃の夏、柿の木の近くを通るときは思わず木の上を見た。
たまに田舎のほうでイラガがいる木を見ると、うわーっという気になる。 
刺されたときの、あの痛さが忘れられないのだ。




夏に暴れたイラガの幼虫は、秋になると、写真のような2センチほどの、
シマウマ模様の楕円形の固いカプセルに入ってサナギになる。 
やがて春になると成虫の蛾になる。

よく殻の3分の1ぐらいをきれいに切り取られた抜け殻が、
木の枝に残っている。 子どもたちはそれを見つけると、枝から取り、
握り拳の指のあいだに挟んで、笛のように吹いて遊んだ。


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駄菓子屋

2012-11-26 14:33:08 | 昭和の頃

大人になってから、なんとなく昔の駄菓子屋のある町を歩いて
みたくなり、荒川の下町のほうにふらりと行ってみた。 
裏通りを路地から路地へと歩いていると、遠くに何か白いものが
散らばっているのが見えた。 そのとき、昔の駄菓子屋の、
店先の光景が目に浮かんだ。

昔、駄菓子屋の前には、よく小さな白い紙切れが散らばっていた。
子どもたちが、なめクジを引いてハズれ、捨てたものだ。 
なめクジというのは、小さな四角い紙切れの束の中から、
1枚選んで取りなめると、当たりとか、ハズレという字が
浮かび上がってくるクジだ。  当たりなら大きな飴玉、
ハズレは小さい飴をくれた。 

行ってみると案の定、そこは駄菓子屋だった。 
店をのぞくと、小さなお婆さんが、子どもたちの相手をしていた。 
私もその中の一人のような気持ちになって、お婆さんの顔を見ていた。


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友だち

2012-11-24 13:16:51 | Weblog

こんなふうにして、
友だちと多摩川の土手をよく歩いてたな~


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霧氷

2012-11-21 19:26:48 | Weblog

霧氷を初めて見たのは、秋深い奥秩父の山の上だった。
高校1年のとき、先輩に連れられて、冬山合宿の下見に行った。
早朝、前夜泊った無人の山小屋から出ると、
霧の中で、木々や枯れ草の一つ一つを縁どる、
白いカビの世界に迷いこんだような風景に驚いた。 
先輩から、それが霧氷だと教えられた。 
雪だと地面にも白く積もり、全体が白い風景になるが、
それとはかなり異質の美しい風景。 


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青春

2012-11-20 16:10:00 | Weblog

私の青春は小学生のときに終わった。
青春とは「春」を意味し、だいたい青年時代のもっとも元気な
盛りの頃をいうそうだ。 ならばやはり私の青春は小学生で
終わったことになる。

友だちと探検ごっこをしたり、川で魚を捕ったり、原っぱや林で
虫を追って遊んでいるのが大好きだった私は、机の前にじっと
座っているのがとても苦手だった。 だから家での勉強をまとも
にやったことがない。 遊ぶのに忙しくて、そんなことしてるヒマ
はなかった。

家の粗末な門を入ると、細い通路の奥に引き戸の玄関があった。
玄関に向かいながら、そっとランドセルを肩から外し胸に抱え、
「ただいまー!」の声とともに、玄関にランドセルを放り込む。 
母親につかまると勉強をさせられるから逃げるのだ。

家の奥から母親が、私の名前を呼びながらパタパタと走ってくる、
スリッパの音が聞こえる。 私はそばに立てかけてある、魚捕りの
網を持って逃げだす。 暗くなるまで夢中で遊んで、バツとして家の
鍵を掛けられたこともたびたびだった。
それが私の輝く青春時代。


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葡萄の葉

2012-11-19 15:07:38 | Weblog

両親が使っていた部屋の前の、小さな庭の片隅に葡萄が植えられている。 
もうかれこれ、二十五年近くも前に植えたものだ。 その庭は猫のひたい
よりも小さく、葡萄棚を作る広さもない。 毎年、そばの生垣の山茶花
(サザンカ)に絡みついて四方八方に伸びていく。 

葡萄はその美しい実や葡萄酒のイメージから、繊細な植物だろうと思って
いたが、意外に丈夫なものだ。 葉の枯れる秋の終わりになると、好き放題に
伸びた枝はさっぱりと刈り取られて、地面から曲がって立つ、1メートルほどの
棒みたいにされてしまう。 だがまた次の年には元気に芽を吹き、伸びるのを
くり返している。 この葡萄、ただの一度も実をつけたことがない。 
たわわに実るなんて無関係に、ただただ、明るい緑の葉を茂らせて、
元気に伸び続ける。

葡萄の木は六年前に死んだおふくろの親友で、同じく今はいない、
山形のクニちゃんが苗木を送ってくれたものだ。 オヤジとおふくろは
終戦後、朝鮮で抑留され、その後、帰国して山形の叔父のところに身を寄せていた。 
そのとき、クニちゃんは叔父のところで看護婦さんをしていて知り合った。 
クニちゃんはたいへん素朴で明るく、気取ったことがきらいなおふくろと
ウマがあったようだ。 その後も何十年と手紙のやり取りをしていた。 

今の千葉の家に東京から引っ越してきた年の夏、クニちゃんは旦那さんと
山形から遊びに来てくれた。 おふくろを連れて駅まで迎えに行くと、
向こうのほうから、分厚いレンズの丸いメガネをかけ、カバン2つを肩から
斜めにバッテンに掛けた、くにちゃんが駆け寄ってきた。 七十歳に近い
二人はまるで小学生のように手を取りあい、夏の日差しの中で、
飛び跳ねて再会を喜んだ。 その光景ももう遠い。

 
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野菊

2012-11-15 18:23:10 | Weblog

花の咲いている秋の野草を探して、城址公園を散歩した。
だが冬枯れに備えてか、公園内はきれいに草が刈られ、
ほとんど花をつけた野草は見つからなかった。

家にもどって、裏にある小さな菜園をのぞいてみた。
菜園のほうは、夏に勢いよく育ち、多くの実をつけていたトマトも、
わずかに小さな青い実をつけているだけで、伸びきった姿で地を
這っていた。

近くの赤マンマなどの秋草の混じる草むらに、静かに野菊が咲いていた。 
野菊は"ひっそり"という言葉が似合う。 一口に野菊といっても、
日本には変異を起こしたものも入れると、350種以上もあるそうだ。

民間の研究者で、かなり詳しく見分け方を書いている方がいる。
それを頼りに、花と葉を調べてみたが、どうもはっきりしない。
写真のはおそらく、野紺菊(ノコンギク)か、関東嫁菜(カントウヨメナ)
のどちらかと思われる。             


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毒木・水松(イチイ)

2012-11-05 17:08:54 | Weblog

カエサルの「ガリア戦記」を読んでいると、今のベルギーのあたりに
住んでいた、エブロネス族(ゲルマン人の一種族)の王が、イチイの
毒汁を飲んで自決する話が出ていた。 イチイという名前を見て、
忘れていた記憶が蘇った。


子どもの頃、山形の叔父の病院の、庭の一角にイチイが植えられていた。
イチイは初秋の頃、赤く甘い実をつける。 イチイの木は成長がたいへん
遅いそうで、庭にあったものも、さほど大きな木ではなかった。

小さな赤い実は透明感があり、とても美しい。
病院の庭は広く、近所の子供たちがよく遊びに来ていて、季節になると
一緒になってこの実を食べた。 私は小さくて手が届かなかったので、
大きな子が採ってくれたのをもらって食べていた。 熟した赤い実は
小さいが果汁が多く甘かった。

イチイは果肉以外は、葉や樹皮も、果肉に入っている種子にさえ、
タキシンというアルカロイドの強毒があるそうだ。 そういえば、
あまり沢山食べるなと言われたような気もするが、口から種を出した
記憶がない。

イチイは「一位」と書くが、別名をアララギ、水松ともいう。
北海道のように寒いところではサカキが育たず、代わりにイチイを
神事の玉串などに使うので、神社にはイチイが植えられるそうだ。
成長が遅い分、年輪が緻密で美しく、工芸品や天井板に使われるという。

                        
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下神明・豊町の頃(1)

2012-11-01 19:32:30 | Weblog

大井町の豊町に住んでいたのは、まだ幼稚園に入る前。
おやじはオフクロと結婚して一緒に満州に渡り、土木技師として
鉄道や道路をつくる仕事をしていた。  終戦後、朝鮮に抑留され、
帰国後、山形で医者をしていた、一番上の兄のところに身を寄せていた。 
その頃、私が生まれている。

その後、東京に出てきたおやじが、「もう、宮仕えはいやだ」と言い
出して始めたのが、豊町での乾物屋だとオフクロから聞いた。 
狭い店の奥に、四畳半ぐらいの部屋がついていた。 そこが、生まれ
たばかりの弟も入れた、一家四人の住まいだった。 少しばかりの家具も
置いてあったのでとても狭かった。 山形から親戚が泊りがけで来ると、
私は弟の小さなベビーベッドの下に押し込まれて寝た。

今も当時の怖い記憶として残っているのは、夜中のトイレだ。 
小さな丸い鉄の皿の蜀台(しょくだい)に立てたロウソクに火をつけて持ち、
便所まで行くのだが、大きな自分の影が壁にゆれ恐ろしかった。 
いつも必ずオフクロを起こしていた。


豊町は下町で、漫画家の故・滝田ゆうが描いた、下町の風景と同じだった。 
時代もまだ日本が復興していない頃だったので、日本全体が貧しかったと思う。 
よく隣同士で米や味噌の貸し借りをしていた。 私もマスを持たされて、
隣の家に米や味噌を借りに出された。 隣でも無くなると借りに来ていた。

小さかったので、記憶は断片的にしか残っていない。
近所の子どもたちには、大きな楽しみがあった。、それは八百屋の
お兄さんが午後の暇なときに、オート三輪車の荷台に子どもたちを乗せて、
町内を一周して遊んでくれたことだった。 オート三輪車はテレビでもたまに
見かける。 子どもが乗る三輪車を、大きくしたみたいな自動車で、荷物の
運搬に使われていた。

ハンドルは輪っかじゃなくて、オートバイと同じ大きな棒のハンドルだ。
エンジンをかけるのもバイクと同じで、床にあるペダルに体重を乗せて、
踏み込んでかける。 方向指示器は、横から赤いバナナみたいな形の
プラスチックが、右なら、右に曲がりますと、右側からぴょこんと飛び
出てきて、曲がり終わるとまた引っ込める。 今の高性能の車から見ると、
ずいぶんのどかなものだった。

町内一周は、店の前の坂道を下ってきて終わりになる。
今のジェットコースターのようで、子どもたちが大ハシャギ 
するところだった。       - 続く -


からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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