子どもの頃、土曜日の夜店にときどき鉛筆売りが来た。
この頃の鉛筆の中には、すぐ芯が折れてしまったり、
なかには始めから折れているような粗悪品も多かった。
だが夜店のは意外にまともだった。
裸電球の下、大勢の見物人に囲まれて、道に広げた
大きな風呂敷に、雑然と山のように鉛筆が積まれている。
その鉛筆は文房具屋で売られているのと違い、
外側は素の木のままで、表面は何も塗られていない。
売るときの口上は万年筆と同じような話だった。
勤めていた鉛筆工場がつぶれ、給料のかわりに、
社長からこれを支給された、というのだ。
完成品じゃないから塗装はされていないが、
まともな鉛筆である。 家にはかわいい子どもが、
お腹を空かして待っているなどとも言ったような気がする。
前口上が終わると、鉛筆売りの一番の見せ場が始まる。
それは切り出しナイフで、すごい早さで鉛筆を削り、
芯を長く出して見せるところだ。 私たちはこれを見るのが
面白くてしかたがなかった。
私たちが鉛筆をナイフで削るときは、芯が折れないように
用心しながら、鉛筆を短く持ってゆっくり慎重に削る。
だが鉛筆売りは鉛筆の後ろを長く持ち、無造作にシャッシャッシャと
すごい早さで削り出す。 真似できるような早さじゃなかった。
そして芯を削り出すと、そばに置いてあるボール箱に
鉛筆をポンッと突き刺して見せる。 すぐ芯が折れるような
インチキ鉛筆じゃないよ、というわけだ。
普段は夜店に行くと言っても、ごく少ないこづかいしか
くれなかったオフクロも、夜店の鉛筆を買うというと、
お金を出してくれた。 文房具屋で買うよりずっと安かったし、
インチキじゃないのを知っていたからである。
その頃、鉛筆は貴重品で、2、3センチぐらいの長さになるぐらいまで
使い込んでいた。 今もあるかわからないが、ちびた鉛筆を差し込んで
持つところを長くして使う道具まで文房具屋で売っていた。
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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