形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

夜店の鉛筆売り

2013-05-30 14:10:28 | Weblog

子どもの頃、土曜日の夜店にときどき鉛筆売りが来た。
この頃の鉛筆の中には、すぐ芯が折れてしまったり、
なかには始めから折れているような粗悪品も多かった。 
だが夜店のは意外にまともだった。

裸電球の下、大勢の見物人に囲まれて、道に広げた
大きな風呂敷に、雑然と山のように鉛筆が積まれている。 
その鉛筆は文房具屋で売られているのと違い、
外側は素の木のままで、表面は何も塗られていない。

売るときの口上は万年筆と同じような話だった。
勤めていた鉛筆工場がつぶれ、給料のかわりに、
社長からこれを支給された、というのだ。 
完成品じゃないから塗装はされていないが、
まともな鉛筆である。 家にはかわいい子どもが、
お腹を空かして待っているなどとも言ったような気がする。

前口上が終わると、鉛筆売りの一番の見せ場が始まる。
それは切り出しナイフで、すごい早さで鉛筆を削り、
芯を長く出して見せるところだ。 私たちはこれを見るのが
面白くてしかたがなかった。

私たちが鉛筆をナイフで削るときは、芯が折れないように
用心しながら、鉛筆を短く持ってゆっくり慎重に削る。 
だが鉛筆売りは鉛筆の後ろを長く持ち、無造作にシャッシャッシャと
すごい早さで削り出す。 真似できるような早さじゃなかった。
そして芯を削り出すと、そばに置いてあるボール箱に
鉛筆をポンッと突き刺して見せる。 すぐ芯が折れるような
インチキ鉛筆じゃないよ、というわけだ。

普段は夜店に行くと言っても、ごく少ないこづかいしか
くれなかったオフクロも、夜店の鉛筆を買うというと、
お金を出してくれた。 文房具屋で買うよりずっと安かったし、
インチキじゃないのを知っていたからである。

その頃、鉛筆は貴重品で、2、3センチぐらいの長さになるぐらいまで
使い込んでいた。 今もあるかわからないが、ちびた鉛筆を差し込んで
持つところを長くして使う道具まで文房具屋で売っていた。

                  
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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クリスティナ・ロセッティ「風」

2013-05-24 17:31:52 | Weblog
 
『   

     誰が風を見たでしょう

     私もあなたも見ていない

     けれど木の葉をふるわせて

     風は通りぬけていく



     誰が風を見たでしょう

     私もあなたも見ていない

     けれどこずえがゆれて

     風は通りすぎていく


                       』

すべての幼い魂に語りかける、クリスティナ・ロセッティの詩。
(1830~1894年、イギリスの女流詩人。)
原文の 「 Who has seen the wind ? 」 の who は、
風の息吹を連想させる。
 

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イタドリ

2013-05-21 13:13:48 | Weblog

イタドリは低地の明るいところで、よく見かける野草。
土手の上などにも、よく束のようになって出ている。
別名、スカンポや虎杖(コジョウ)ともいう。 
イタドリは和名で痛取と書き、その葉を揉んで痛いところにつけると、
「痛みを取る」 からきているという。

虎杖の名はその成長した姿からきているのだろう。 
大きくなると2メートルぐらいになり、竹のように真っ直ぐで、
野草にしては太い茎をもっている。 その真っ直ぐな茎を、
昔の人が虎の杖に見立てたのではないだろうか。

イタドリの出始めの、葉をまだ広げていないものは、
野菜のアスパラの形に似ている。 折ってかじると酸っぱい。 
(同じタデ科のスイバ(酸い葉)をスカンポと呼ぶこともある。)
 
春、低い山を歩いて見つけると、喉をうるおすためにかじったことがある。 
だがその酸味はシュウ酸で、結石のある人は、生ではあまり食べ過ぎない
ほうがいい。 茹でればシュウ酸の大半は流れ出るそうだ。

高知ではごく普通に、このスカンポを山菜のように食べるという。 
八百屋などにも、季節になると売っているというから面白い。 
私もその話を聞いて、幾度か採って食べてみたことがある。 
茹でてアクを抜き、皮をむいて油炒めにして食べてみたが
けっこううまい。



夏、白い穂状の涼しげな花を、葉と茎の間から、
上下に連続して咲かせる。 タデ科、多年草。


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人と旅する花・シャガ

2013-05-18 15:05:05 | Weblog

シャガは少し暗く水気の多いところで、ひっそりとした美しい花を咲かせる。 
城址公園にも、何か所か小さく群生しているところがある。 
昔、野山を歩いていて、時折、このシャガを沢の近くや、
林の中で咲いているのを見たことがあった。 
それまで自然に出ているものとばかり思っていた。

ところが調べてみると、シャガは染色体が3倍体で、種子を作らず、
球根もないという。 したがって人間が植えない限りそこには存在しない。 
人の入らぬ、まったくの自然の中には存在しないことになる。 
雄雌の交配がないので、シャガはどこにあるものでも同じ遺伝子を持つ。


人が住むときにその家の近くに植えられ、歳月を経て人が去った
のちも、その地でひっそりと生きつづける。 
私は人家の近くで見た記憶がなく、私が見たものは、かつて人が
住んでいた近くか、誰かが持ってきて植えたものなのだろう。





別名を胡蝶花といい、アヤメ科の植物で、唯一、常緑。
群生するのは、地下の根茎による。

                     
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草木瓜(クサボケ)

2013-05-17 13:07:19 | Weblog

以前、住んでいる所からそう遠くない、あまり人の入らない
雑木林を歩いていた。 そのとき地面にボケの花が落ちていた。 
だがその近くを見まわしてもボケらしい木はなかった。 
拾おうとしたら、落ちているのではなく咲いているのに気づいた。 
そこで見たのはごく小さな幼木だったが、それでも1つ2つの
立派な花をつけていた。

地面からいきなり花が出ていると何か妙な感じがする。 
私たちはたいてい、枝や茎につながるかたちで花を見慣れている。 
茎の先に花がついていたり、枝に沿って花が咲いていたりと。 
記憶に刻まれたものとは違う、別のかたちと出会うと不思議な感じ
がする。



秋にできるその実は、草ボケとは知らなかったが、低い山で
見た記憶がある。 3、4センチほどの、丸く淡い黄色の実が、
草むらの中にいくつもまとまって実っていた。 
普通、木の果実は高い枝に実る。 草むらの中に大きな実が
成っているというのも、やはり奇妙な感じがした。 
何の植物かわからないまま、面白いなと印象に残っていた。 
なるほど、草ボケの別名は、地梨である。

バラ科の植物で、日本の固有種。 花期は4~5月。
果実はよい香りがあり、果実酒に好んで用いられるそうだ。 
同じ仲間の庭に植えられるボケは、1、2メートルほどになるが、
草ボケは50センチぐらいにしか成長しないという。


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