形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

信州学生村(1)

2009-08-18 18:02:47 | Weblog

今でも信州学生村ってあるのだろうか?  高校生の頃、夏の涼しい
信州の農家に、格安の料金で泊り込んで勉強するというのがあった。

私も高校1年の夏休みのときに、幼なじみと二人で2週間滞在した。
一日三食付で、千円だったと思う。 その頃、民宿で二、三千円ぐらい
だったから、かなり安かった。 寝るところは農家の使っていない空き
部屋で、食事はその家の普段食べているものが出された。 
質素だが新鮮な体験だった。


私たちがお世話になったのは、信州、伊那谷の村外れに、一軒だけ
ぽつんとあった小さな農家だった。 家の近くに天竜川が流れていた。
天竜川のわりあい上流の方と思う。 川幅はさほど広くなく、河原には
コブシ大の石がゴロゴロしていた。 川の片側は高い断崖絶壁になり、
反対側は平野になっていてそこに農家があった。 

収入の大半はタバコ栽培で、少しの田んぼと自家用の畑があった。 
その農家はおじさんとおばさん、大工見習いをしている末っ子とその姉の
4人。 世話になっていたのは、私たちの他に、高校生が一人と浪人中が
もう一人の計4人だった。

勉強ギライの私は、勉強はほとんどせず、朝から一日中農作業の手伝い
ばかりしていた。 おかげで帰るとき、オヤジさんは私の滞在費全額を
免除してくれたほどだ。 
生まれて始めてやる農作業はとても面白かった。 
タバコの葉を摘んだり、摘んだ葉を、藁で作った長いヒモのヨリ目に
差したり、畑を耕したりが主な仕事だった。 ヒモに差したタバコは
土蔵の中に吊るし、窯に火を入れて乾燥させる。この乾燥の出来、
不出来でタバコの値段も変わるそうで、オヤジさんは真剣になって
火加減を見ていた。

夕方には、その家で飼っていた一頭のヤギの散歩をさせる仕事もあった。 
そのヤギは、なんとも間の抜けた顔をしていた。 だが意外に強情で、
自分の行きたいほうに強引に行こうとして、私と綱の引っ張り合いに
なることもしばしばあった。

夕方、腹の減っている私は、 散歩を途中で手抜きして早く
家にもどりたい。 ヤギのほうは、手抜きは許さんと、なにがなんでも、
いつものコースの遠回りの道を行こうとした。 あるとき手綱を引いても、
頑として動こうとしないから、カンシャクを起こして手綱を思いっきり
引っ張った。

ヤギは頭を低くして身構えると、突進して木のように固い頭で、
お腹に息の詰まるような頭突きをくらわせ、私を田んぼに転がり落とした。
そのときヤギは、畦道の上で私を見下ろして笑ったような気がした。 
頭に血がのぼった私は、田んぼから泥だらけになって這い上がり、
やつの首にヘッドロックをかけて家に連れもどした。

山羊の乳というのも、初めて飲ませてもらったが、牛乳のような味を
想像していた私たちは、なんともいえない匂いと味にびっくりした。


からだの形は、生命の器 
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/



[ 警告]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信州学生村(2)・スズメバチの襲撃

2009-08-17 09:39:15 | 昭和の頃

天竜川は農家から歩いて2、3分と近かった。 その石のゴロゴロする河原の
手前に、横に帯状に長い竹林があった。 その竹林で何に使おうとしたのか、
友達と竹をナタで切っていた。 竹は竹竿ほどの太さで、スコンッ スコンッと
小気味よく切れる。 二人で面白がって切っていたとき、 何やら低い唸り声の
ような音が聞こえ、見上げると、スズメバチの大群があたりを飛び交っていた。

私たちはわけもわからず、とっさにナタを投げ出して天竜川めがけて走った。
石で走りにくかったが、それどころではなく、川に飛び込んで潜った。
水の中から上を見ると、追ってきたスズメバチが何匹か、目の前の川面を
飛び回っていた。 息を殺して飛び去るのを待った。

すぐ岸に上がるのは危ないので、潜って川を下り、遠回りして帰った。
次の朝、オヤジさんと恐る恐るその場所に行ってみた。 
断崖の上から竹林の中に、パイプを乗せた急勾配の細い吊り橋がきている。
それを支える木で出来た、鳥居の形のようなものが、竹林の一角にあった。 
その横棒に、スズメバチが大きなボールのような巣を作っていたのだった。

ところがすでに巣は落ちて壊され、もぬけのカラだった。あたりには
花火が散乱していた。 オヤジさんの話だと、誰かが蜂の子を獲っていった
らしい。 私たちが竹を切っていたところからは、少し離れていたが、
竹林でガサガサやっていたので襲ってきたのだろう。

それまで山でスズメバチに刺されたことはなかった。 
おそらく標高の高いところが多かったからだと思う。 知らずに巣に近づいて、
斥候らしい2、3匹のハチに、体の近くを威嚇するように、低い羽音をたて
られながら、回られたことはあった。 そういうときは、もときた道をもどる
のが正しい。 ヘタなほうに逃げると巣に近づくからだ。

蜂に刺されたのは、子どもの頃に、ミツバチと足長バチに刺されたぐらい
だが、ミツバチは小さいが意外に痛く、皮膚に針を残していく。そのあと
死ぬと聞いた。

大スズメバチは、山歩きをしていると、たまに出っくわすことがあった。
ヤツは人間など、ものともせず、真正面から一直線に唸るような羽音を
立てて飛んできて、こちらが慌ててよけるほどだ。 シャクだが、人に
よけさせてそのまま飛んでいく。

形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/



[ 警告]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright 2008?2009 shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信州学生村(3)・道が消えた

2009-08-16 09:48:10 | 昭和の頃

学生村にいるとき、一緒に行った幼なじみと、近くの山に一泊で
登ろうと計画した。 持っていった登山用の地形図を見ながら、
二人でどこに登ろうかと、計画しているのは楽しい時間だった。

決めたのは、おそらく登山者など来ない、わりあい近くの山だった。
もともと農家のあるところの標高も、さほど高くないから、その山もそう
高くはない。 大滝山だったか、今では、山の名前もよく思い出せない。

二人で普通の登山では、重いのであまり持っていかない、いろいろな
缶詰を、農協のスーパーでしこたま買い込んだ。 そして、のんびりと
昼過ぎから、小さいがずっしり重いザックを背負って出かけていった。

どうせ低い山だからと、ナメていた。 途中で休み、休み、ミカンの缶詰
など食べながらのんびり歩いた。 かなり歩いたところで、ゆっくりと
陽が傾き、地図にない道が現れた。

道は二股に分かれ、左の道は新しいらしく、はっきりしているが地図には
ない。 右の道は地図にある道だが、なぜかぼんやりとした感じで、崖の
下を回り込んでいる。

二人で地図を見ながら迷った。 地図にない道は、行き先がはっきりしな
いから、地図にあるほうに行くことにする。 だがその道は、歩いていくと、
次第に草に覆われ、だんだん消えていった。 終いには、地面に顔をつける
ようにして先を見れば、やっと両側から覆う草の下に、うっすら痕跡が
見えるほどになり、やがて消えてしまった。 暗くなり始めているので、
行くか、もどるか友達と話し合った。

「やっぱりさっきの道を行けばよかったな~」
「でも、あの道、どこに行くかわからないんだろ?」
「もどろうか?」
「もどったところで、真っ暗になっちゃうよ」
「じゃ、ここで野宿しよう」
「え~ こんな草むらにテントもなしで~?」 
と、幼なじみはとてもイヤそうだった。

だが空模様も怪しくなり、寝袋は出したものの、結局もどることにした。
懐中電灯で照らしながら歩く道は、やけに遠く感じられ、疲れきった
二人は口をきくのもイヤという状態で、やっと村近くまでたどりついた。

こんどは大きな岩がゴロゴロしている、ちょっと危ない天竜川沿いの
近道を行くか、遠回りしても安全な、村の中の道を行くかでモメた。
早くついて布団に寝たい私は近道派で、のんきな幼なじみは遠回り派
である。

カンシャクを起こした私は一人で岩の上を歩き始めた。 幼なじみも
仕方なしにずっとあとからついてくる。 農家にたどりついたのは、
真夜中だった。 戸をごそごそやっているので、何ごとかと飛び出して
きたオヤジさんにびっくりされた。


読んでいただいてありがとう!


体のゆがみは、腰痛などの痛みや体調不良の大きな原因です。

形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


[ 警告]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright 2008?2009 shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信州学生村(4)・岩ヒバ採り

2009-08-15 16:40:49 | 昭和の頃

学生村のこの伊那谷の農家へは、その後何度か遊びに行った。
一度は、生まれて初めての田植えを手伝いに行ったこともあった。 
あるとき、北アルプスでの夏山合宿の帰りに、ザックを持ったまま
農家に寄った。 ザックの中には、岩登りの道具も少し入っていた。
オヤジさんはそれを見て、岩ヒバを採ってくれんかな、
と頼んできた。

岩ヒバ、ご存知だろうか? 私はまったく知らなかったが、湿気の多い
岩に生えている植物で、盆栽のようにそれを育てるのが趣味の人がいる
らしい。 人口栽培するのは難しいらしく、おまけに岩壁などの険しい
所に出ている。 そのため希少価値が高く、けっこういい値で売れる
という。 オヤジさん自身も売るだけでなく、自分の趣味で小さな鉢に
沢山育てていた。

盆栽の鉢に寄植えにしたものなど見せてもらったが、正直、見たところ、
私にはどこがいいのか、さっぱりわからなかった。 ヒバの葉をボソッと
束にしたようなもので、高さは10~15センチぐらい。それが岩の裂け目に
張り付いている。 木の檜葉(ヒバ)とは関係なく、シダ類の仲間で、
別名を岩マツというそうだ。

天竜川のその断崖はかなりの高度があるが、壁のところどころに岩だなが
あり、そこに小さいが木も生えていた。 ザイル(登攀用のロープ)もあるし、
攀じ登るのは簡単そうで、二つ返事で引き受けた。

腰に岩ヒバを入れる籠を下げ、ザイルと岩登りの道具を持って登り始めた。 
オヤジさんは下ほうの手の届く範囲は、自分で採り尽くしてしまっている。 
上のほうにあるのは、見えていながら採れないから、悔しい思いをしていた
らしい。 下からあっちだ、こっちだと指図され、たちまち籠に一杯になる
ほどの収穫をあげた。

夜、大喜びのオヤジさんは、とっておきの酒を振舞ってくれた。


形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/



[ 警告]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright 2008?2009 shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信州学生村(5)・終章、味噌汁

2009-08-14 22:52:27 | 昭和の頃

伊那谷のこの家では、普段の食事が出されたから、特別な料理は食べた
ことはなかった。 ただ、多忙の農繁期なので仕方ないのだが、参った
のはお昼ご飯だった。

農協で裸の10個詰めで売っていた、即席ラーメンを適当に煮て、
そこに魚肉ソーセージの輪切りを加えたものが、おかず兼汁物だった。
それだけでご飯を食べる。 私はこれとまったく同じものを、山で
しょっちゅう食べていた。 だから即席ラーメンも魚肉ソーセージも
食べ過ぎで、その匂いが鼻につき、食欲がガクンッと落ちる。
おまけにおばさんの水の目分量は、かなり適当で、いつも塩辛い
から、多量のお湯で薄めて食べていた。

ごちそうになった食事で忘れられないのは、夕食に出た、いろいろな野菜
を入れて作った味噌汁だった。 これはほんとうにうまかった。 
野菜の味噌汁など、東京でも普通に食べていたが、まったく別ものの
ようにうまく、学生たちの一番人気だった。

庭の隅に母屋の台所とは別に、囲炉裏のきってある小さな小屋があった。 
夕方、おばさんはすぐ近くの畑でいろいろな夏野菜を採ってきて、それを
囲炉裏の大鍋で煮て、自家製の信州味噌で作ってくれた。ナス、インゲン、
ニンジン、玉ねぎ、ゴボウなど、新鮮な野菜が混然と溶け合った、味噌汁
のうまさ!

夕暮れの、お腹が空いているときに、いい匂いが小屋のほうから漂ってくる。
私たちは、この味噌汁をとても楽しみにしていた。 沢山作ってくれたから、
何杯もおかわりした。 


あれから四十年の歳月が流れ、音信は絶えた。


読んでいただいてありがとう!


体のゆがみは、腰痛などの痛みや体調不良の大きな原因です。

形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


[ 警告]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright 2008?2009 shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする