形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

電気クラゲ

2012-08-29 17:16:43 | 自然と野遊び

小学生の頃、土木技師だったオヤジは、湘南の道路公団の事務所で
仕事をしていた。 事務所は海岸通り沿いにあり、いくどか友だち数人と
電車に乗って遊びに行った。 

海で遊ぶのも楽しいが、私たちの楽しみは帰りにもあった。 
夕方、仕事の終わったオヤジは、一緒に帰るとき、江ノ島の
ほうをまわって、サザエの壺焼きをそれぞれにご馳走してくれた。 
当時、魚屋でもサザエはあまり売ってなく、家で食べたことのない
私たちには、たいへんなご馳走だった。
サザエは身を細かく刻んであるものと、丸ごと入っているのがあって、
どちらでも選べたが、私たちはもちろん刻んであるほうで、
爪楊枝の先でちょっとづつ惜しんで食べた。


ある夏の日、友だちと海岸に出て泳いだり、砂に体を埋めたりして
遊んでいた。 そのとき砂浜にきれいな、手のひらほどの青い三角形の
風船が落ちていた。 私はそれをつかんで海に向かって投げた。

とたんに背中に、ビリビリするような電撃的な痛みを感じた。 
この風船には、砂にまぎれてとても長い足があったのだ。
振りかぶったとき、それがべったりと背中と太ももに張り付いたのだった。

友だちに見てもらうと、背中から太ももの裏側にかけて、赤いミミズ腫れが
できていたらしい。 あまりにも痛いので、事務所の人に見てもらった。 
青い風船みたいなものの話をしたら、それは電気クラゲだと教えられた。
電気と聞いただけで、 なおさらビリビリと痛んだ。

アンモニアをつけるといいといわれたが、事務所にはないという。 
それじゃ、誰かにオシッコをかけてもらえと言われ、友達にかけて
もらうことにした。

事務所の裏に出て、裸の背中を向けてしゃがむと、友だちは生温かい
オシッコをかけてくれた。 とても気持ち悪く、おまけにちっとも効かず
痛みは続いた。 すごく損した気分だった。


電気クラゲは正式名、カツオノエボシといい足の長さは2、3メートルも
あるそうだ。 このクラゲは単体ではなく、ヒドロ虫という生物が集まって
一つに形成されている群体だという。 それぞれが役割が決まっていて、
刺す部分を担うヒドロ虫群もいるというから驚く。 2度目に刺されると、
ショックを起こして死ぬこともあるという、危険な海の生物である。 
                       

からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/



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神泉村(1)・廃屋

2012-08-28 12:43:08 | Weblog

二十数年前、埼玉県の神泉村に、友人達と家を借りた。 
その頃ブームになり始めた、" 田舎暮らしの本 "で見つけた家だった。 
1年分の家賃がたったの1万円。
あまりの安さに少し不安があったが・・・・

神泉村は埼玉県北西部にある村で、近くに群馬県と埼玉県を分ける
神流(かんな)川がある。 その上流には神流湖があり、城峯公園の
冬桜はよく知られている。

窓口になっている役場に問い合わせてみると、過疎化がすすむ村興しの
ために、役場が中心になってやっているという話だった。 
他にも村の物件を雑誌の中でいくつも紹介していた。 みんな安い家賃
だったが、その家だけ、どういうわけか飛び抜けて安い。

この物件を問い合わせると、本で広く紹介されている格安物件なのに、
まだ大丈夫ですよ!  という。 ますます怪しい。 
でも役場で扱っているんだからと、役場の人と見に行く日時を打ち合わせ、
友人数人と車で見に行った。 神泉村そのものは、静かな山あいの村で、
とてもいいところだった。

打ち合わせた日、そこで案内係りの人が運転する車に乗り換え、家を見に
行った。 途中、遠回りして村自慢の所をあちこち案内してくれた。


その車の中で・・・・

「ずいぶん安いけど・・・・ 
 何かイワクのある家、なんていうじゃないんだろうね?」
「まさか、役場でそんな物件の紹介しませんよ~」 
(そうだよな、役場だもんな。 ホッとして友人と顔を見合わせた。)
「見ればわかります」 
「見ればワカル~??  ・・・・・・
 
 屋根がないとか?
 壁に寄りかかったら、そのまま倒れるとか・・・・
 歩くと床が抜けるとか・・・・ 」
「アッハッハッ、そんなにひどくないですよ~! 」
「そんなに・・・・ ヒドくない?・・ でも近い? 」
「見ればわかります」 

車は村外れの山の麓の、まばらに4、5軒の集落のある所に着いた。
車を降り、坂を少し登るとその家があった。
見てすぐなぜ1万円なのかわかった。

ずっと人が住んでいないそうで、ほとんど廃屋に近い家だった。 
木枠のガラスの引き戸を開けて中に入ると、すぐ目の前に10畳ほどの
部屋があり、真ん中に囲炉裏が切ってある。 じつはこの家、もともと
この一部屋しかなかったらしい。 ここで家族が飯を炊き、ここで食べ、
寝ていたのだ。

天井板はなく、黒ずんだ梁はそのままむき出しになっている。
昔よくあった古い田舎の家である。 雨漏りはそれほどしない(!)
そうだが、 土壁が崩れて隙間だらけの木の床に、粉のように
薄っすら土が積もっている。 築6、70年以上はたっているだろう。 
家族連れが見たらまず借りっこないような家だった。

救いはこの部屋の奥に増築されたという、4畳半の部屋がついていること
だった。 こちらは囲炉裏の部屋よりはずっと新しく、押入れの付いた
畳の部屋でそのまま使えそうだった。 よくおぼえていないが、風呂は
ないか、壊れていて、村の民宿で有料だが使わせてくれるらしい。

持ち主は村の別のところに住んでいて、数年のうちに取り壊す予定だから、
どこをどうしようが勝手にしていいという。 これは男ばかりで行ったから、
大いに魅力的な話だ。 普通の家を借りるより、かえって面白そうで、
みんな大喜びですぐ借りる契約をした。 

「梁にロープを掛ければ、ブランコが作れる。 子供たちが喜ぶぞ~」
「あの囲炉裏で釣った川魚を焼いて、酒を飲んだらうまいだろうな」
などなど。

東京に帰ってから、他の友人たちにもこんなだったと声をかけたら、
結局10人ぐらいが集まった。 そして田舎暮らしの楽しい準備が
始まった。

-続く-                
        

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神泉村(2)・横着カマド?

2012-08-27 18:19:42 | Weblog

村役場で契約したあと、補修がいるところを見て、次に材料を
持ってこようと、もう一度借りた家を見に行ってみた。

囲炉裏の部屋の床板は、そこらへんに落ちていた木を拾って
いい加減に打ち付けたとしか思えなかった。 小銭を落としたら、
全部床下に落ちるぐらいの隙間だった。 上に畳を敷いて使って
いたのだろうと思った。 次にベニヤ板を張るつもりで寸法を測った。

土壁がすごかった。 昔、東京の家の壁も多くは同じ土壁だったが、
土の上にさらに海草などの化粧材を混ぜたものを塗って仕上げていた。 
この家は土だけで、芯に割いた細竹を組み、それに土を厚く塗って
固めてあった。 だがボロボロに風化し、あっちこっち竹が出ていた。 
一部は外の景色が見えた。

囲炉裏は自在鉤が付いていて、すぐにでも使えそうだった。
この家で私たちは面白いことに気づいた。
入り口の戸を開けると、目の前1メートルもしないところに、
いきなり土を固めた、薪用のカマドが据え付けてあるのだ。 
なぜ入り口の真ん前にあるのだろう? と不思議に思った。
あとになってその使いかたを聞き、私たちはおかしくなった。

薪は長い木を短く切ってつくる。 でも木を切るのは面倒だ。
そこで長いまま、戸を少し開けて、そこから木の先を
カマドに入れて燃やす。 カマドに入らない他の部分は、
ドターッと家の外に長々と出たままだ。 先が燃えたら、
その分、中に引き込む。 私たちも枯れ木で試してみたが
手間いらずで素晴らしいアイデアだった。 
横着というより合理的か。

私はそれまで、薪のカマドは実際に見たことがなかった。 
テレビや映画で見ただけだが、おぼえている限り、土間の奥に
あってそこで煮炊きしている光景しか見ていない。 
玄関の真ん前につくられたカマドなんて、他でもあるのだろうか?
                    
-続く-


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神泉村(3)・冬桜

2012-08-26 16:41:43 | Weblog

東京に帰り、友人達と酒を飲みながら、家の間取り図で
ああだこうだと検討しているのは楽しい時間だった。 
そして初めに村に行ってから数ヵ月後、必要な資材を買い込み、
私たちは、車数台に分乗して村に向かった 掃除機や床に
張るベニヤ板や工具、寝袋、ナベ、ヤカンも積んでいった。

村に着き、さっそく床から補修にかかった。 
隅をうまく納めるのはずいぶん難しいと知ったが、夕方には
なんとか、囲炉裏部屋に新しいベニア板の床が出来上がった。 
そして梁から下げたブランコも完成し、私たちは子どものように
乗って遊んだ。

作業しているときに上を見ると、錆びたトタン屋根のあちこちから、
小さな光が漏れているのに気づいた。 やっぱり穴が空いていた。 
補修ぐらいでは済まず、屋根を葺き替えるしかないだろうが、
数年で取り壊すというから、さずがにそこまでやる気がなかった。 
雨が降ったときは、奥の畳部屋で寝ることにした。

夜、囲炉裏を囲んで拾い集めた薪を燃やし、みんなで乾杯した。
持っていった肉や魚を囲炉裏で焼いていると、まるで部屋の中で
キャンプをしているような楽しさだ。
梁から吊り下げた100ワットの電球も煌々と灯っている。
その夜は友人たちと、囲炉裏部屋で寝袋にもぐり込んで泊まった。


私たちは春夏秋冬に村を訪れ、冬は城峯公園の冬桜も見に行った。 
春咲く桜の花より小さいが、寒々とした風景の中で可憐な姿を見せて
くれた。

-続く-


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神泉村(4)・野葡萄

2012-08-25 18:06:53 | Weblog

神泉村でとても印象に残っているものに、野葡萄がある。
私はその頃、野遊びをしているときに見る薬草に、
たいへん興味をもっていた。

昔、山で伐採などの仕事をする樵(きこり)の人たちがいた。 
山に入って木の枝などで目を突くと、野葡萄の小枝を切り取り、
その樹液で治したという。 両端を切り落とした小枝の片方から
息を吹き込み、反対側から出てきた樹液を点眼して目の傷を治したそうだ。
山歩きをしていた私も、道のないところを歩く藪漕ぎ(やぶこぎ)で、 
枝で目を突きそうになることがあったので、身近な興味深い話だった。

その後、科学雑誌で野葡萄の樹液から、肉芽組織の再生を
うながす成分が発見されたという記事を、驚きをもって読んだ。 
キコリたちは、どうしてそれで治ると知ったのだろう? 
とても興味をそそられた。 それが神泉村に行き始めた頃だった。


野葡萄がよく出る場所を調べてみると、神泉村はそれによく
当てはまるようだった。 そこで探してみることにした。 
はじめは山の奥深くにあるのだろうと思って探したが見つからず、
なんのことはない、借りた家の近くで沢山見つかった。



野葡萄がなぜ印象に残ったかというと、その磁器のような実の美しさにある。 
籠一杯に採った実は、金色と銀色がないだけで、あとは全部あると
いってもいいほど、一つの房の中で色とりどりに実をつけている。 
青なら、薄い青から、青紫までのいろいろな段階の実がそろっている。 
赤なら、薄いピンク色から、赤、赤紫までと。 それが籠一杯にあるから、
みんながため息の出るような、籠の中の野葡萄の実の美しさに見とれていた。
                 
-続く-


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神泉村てん末記

2012-08-22 13:47:41 | Weblog

神泉村へは一年近く訪れた。 途中で、女、子供も寝るからと買った、
何組かの安布団セットを畳部屋の押入れに入れておいた。
ある日行くと、そこにネズミが巣をつくっていた。 これで神泉村は終わった。 
それ以前から、女たちはもともと、気味が悪いのかこのボロ屋に寝泊りするのを
いやがり、車で10分ほどのところにある、村に一軒だけの民宿に泊まっていた。

はじめは部屋の造作が面白くて行っていた友人たちも、出来上がると
次第に足が遠のき、行くのは私とごく少しの友人だけになった。





夏が終わり、借りた家の周辺にシュウカイドウが一面に咲いていた頃、
私たちは神泉村を去った。 少し掘り出して持ち帰ったシュウカイドウは、
今も庭の片隅で、夏の終わりが近づくと、美しいピンクの花を咲かせる。

                     
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夏の雨

2012-08-01 13:27:36 | Weblog



   夏の雨 明るくなりて降り続く



            星野立子(1903~1984)
            高浜虚子の次女。
 


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