高校3年頃、寝てもさめてもぐらいビリヤードに凝った。
夜、布団に入ると、天井にビリヤード台と球が浮かんできて眠れない。
この球の配置だと、こう突いて、球をここにもっていってと、布団の中で
考えて目が冴えてしまう。 しまいには枕元に紙と鉛筆を置いて、
四角い枠に球を書いて考えるほどだった。 その頃のビリヤードの主流は、
今のようにポケットではなく、ほとんどが玉同士を当てて何点の四つ玉だった。
学校をサボって、開店の午前10時から閉店近くまでやっていたことも
たびたびあった。 おかげで担任の先生から、このままいくと留年だとおどされた。
キュー(球を突く棒)もバイトでお金を貯めて、自分のキューを持っていた。
能書きは今でも言える。 最高のキューはカナダ産のカエデの芯材。
キューの頭の玉を突くところ、タップは、どこか忘れたが、どこそこの鹿皮のもの。
滑り止めのチョークは、イタリア産の火山灰を固めたものが最高。
あるとき、ビリヤード場で一人で練習していると、角刈りの60歳半ば
ぐらいの、見慣れないお爺さんがふらりと入ってきた。 小柄で細く、
セルの黒くて丸いメガネをかけていて、顔は浅黒く日焼けしていた。
仕事の途中に寄ったのか、地下足袋をはき、職人の長い紺色のハッピを
着ていた。 どうやら植木屋さんらしかった。
そのお爺さんから、ボーヤ、ちょっとやろかと声をかけられた。
一人でいた私は、少し退屈していたので、お願いします!と二つ返事。
お爺さんは、オレ、悪いから片手でやるからという。 どういう意味か
わからなかった。
その植木屋のお爺さん、なんと台のフチにしゃがみ込んで、目玉を台の
上にちょこんと出し、肩にキューをかついで片手で突くのである。
それがまた、ベラボウにうまい。
たちまち私は負けた。
幾度かやったが、全然勝てなかった。 その頃、私は初心者ではなく、
夕方になるとサラリーマン相手に、1時間100円のビリヤード代を
賭けて、あまり負けたことがなかった。 お爺さんは、その体勢から
どうしても突けないと、球を突きにくいようにバラして、こっちに渡すのだ。
あとになって、ビリヤードの元プロだった店のマスターに聞いたら、
そのお爺さん、若い頃は賭けビリヤードで飯を食っていたこともある、
セミプロの人だという。 あとにも先にも、あんな爺ちゃんハスラーは
見たことがなかった。
からだの形は、
生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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