形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

新訳・ガリア戦記(中倉玄喜 訳)

2010-11-26 16:42:35 | Weblog

新訳、ガリア戦記(中倉玄喜訳)はPHPから、2008年2月に出版された。
始めにガリア戦記を読んだのは、國原吉之助・訳(講談社学術文庫)のもの
だった。 ガリア戦記の書かれた時代と私たちのあいだには、2000年という
海のような時が流れている。 國原訳のものを読むと、カエサルの淡々とした
描写が続き、膨大な時を経て伝えられる、当時の男たちの戦いを遠くからなが
めているような感じがする。 その遠さは戦記の中を、風のように流れている
二千年の時だろう。

読んでから、大昔のものなので、その時代のことやカエサルの戦闘法、戦術な
ど、もっと知りたいと思い、塩野七生の「ローマ人の物語」(新潮社)第4巻‐
「ルビコン以前」、第5巻‐「ルビコン以後」を、たいへん興味深く読んだ。

   
この新訳の、冒頭100ページほどの解説までは、訳者自身の文章は
歯切れがいい。 期待して続く本訳を読み始めたが、國原訳の雰囲気と
はまったく違い、正直がっかりした。 訳者自身の文章はいいのに、
訳に入ると全然違ってくるのだ。 
いままでに一つの原本を違う訳で読んだことがなかった。 考えれば
当たり前のことかもしれないが、訳によってこれだけ違ってしまうもの
かと思う。

立花隆氏は、佐藤優氏との共著、『ぼくらの頭脳の鍛え方』で言っている。
「最近の訳はそれが訳として正しいか正しくないかということばかり気にしす
 ぎて、言葉として力を失っている。 私はやっぱり言葉である以上、大切な
 のは言葉の持つ力だと思う。」
                     

形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


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ふんわり

2010-11-19 16:28:04 | 自然と野遊び

過去を振り返ってみると、ああ危なかったなと思うことが、誰にでもあるので
はないだろうか。 危ないというのは、直接、命がというのもあるだろうし、
そこまでいかなくとも、肉体的に大きなダメージを残しかねないものもある。 
社会的な意味で危なかった、ということもあるかもしれない。 あるいは本人
はまったく知らずに、それらの危険を、間一髪で逃れている場合もきっとある
のだろう。

尊敬する、かなり昔に亡くなられた方の本を以前読んでいたら、その中で、
自分は振り返ってみると、何かに守られているような気がしてならない、
ということを書かれていた。 その方は生きていた当時、新興宗教のいく
つかと巨岩のように対峙し、峻烈に闘ったこともある方で、迷信家などで
はない。

本を読んだちょうどその頃、私も昔にあったことをなんとなく振り返って
いて、あのときは危なかった、運がよかったなということを考えていた。 
それは一つ二つではなかった。 だからその方の、何かに守られている、
という言葉が妙に心に入った。 こういうと、守護霊とかいう人もいるが、
そういうことは私にはわからない。


二十歳の頃、幼なじみの友人と丹沢の葛葉川に沢登りに行った。 その頃の
葛葉川はあまり人の入るところではなく、休日でもめったに人に行き交った
ことがなかった。 最近の沢の案内書などを見ると、今はけっこう人気があ
るようだ。


秋も終わりに近い頃、私たちは紅葉の葛葉川を快適に遡行していた。葛葉川
は小滝などが連続するところもあり、明るく登りやすい沢である。

沢の終りは、それまでの景色とは打ってかわって、荒涼とした大小の岩が
ゴロゴロと転がるガレ場になり、前方には断崖が見えてくる。

友人はそれを避けて、草付きの尾根につけられた道を歩いていったが、私は、
少しだけと命綱もつけずにその岩を登ってみた。 近くには「危険、登るな」
「落石危険」などの立て札があった。(丹沢は関東大震災のときの、マグニ
チュード7を越える余震の震源地で、岩がゆるんでいる。)

登ってみると階段状で、一段一段の間隔は高いが楽に登れる壁だった。
私は知らず知らずに、いつのまにか高度を上げていて、下を見たときビルの
6、7階ぐらいの高さまで登っていた。 足をかけている階段状の岩の幅は、
次第にごく狭くなってくる。 谷底には巨岩がゴロゴロしていて、落ちたら
助からないなと思い、そこから横に移動して草付きに出て道に戻ろうとした。

そのときだった。 手で確かめて掴んだはずの岩が、力を入れたとたんスポッ
と抜けた。 体が岩に乗せた足を軸にして、弧を描くように、ふんわり後ろに
浮いた。 とっさに目の前にあった、岩の裂け目に根を張ったごく小さな潅木
を、拝むように両手で掴み、転落をまぬがれた。 瞬間のことで、そのときは
恐怖も何もない。 私は握り締めた潅木を頼りに、体勢を立て直し草付きに
上がった。 あの潅木が抜けていたら・・・・・震えるような恐怖感はあとから
やってきた。
                     

形之医学・しんそう療方 東京小石川
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銭湯遊び

2010-11-14 18:02:51 | 昭和の頃

中学に入ったばかりの、まだ小学生気分の抜けない頃。
学校が早く終わったときに、友達4、5人と誘い合って、ときどき銭湯に
遊びに行った。風呂には入るのだが、それが目的ではなく遊びに行くのだ。

午後3時頃、みんなで銭湯の前で待ち合わせ、入り口が開くのを待つ。
その時間だと、まだお客が来ないから好き放題に遊べた 。湯舟の中で泳いだり、
潜水したり、お湯をかけあってはしゃいでも、誰も怒る人がいない。
泳ぐといっても狭い浴槽だから、2、3かきもすれば反対側に着いてしまうが、
とても楽しかった。 沸いたばかりのお湯は、なぜかとてもピリピリして
熱いが、私たちは顔を真っ赤にして遊んだ。


あるとき友達の一人が、どこから拾ってきたのか、折れて擦り切れた、
プラスチックの定規を持ってきた。 なにをするのかと思ったら、これで
みんなのオチンチンを計って、誰が一番か決めようぜ! と提案した。
全員面白い! と賛成した。
みんなはタイルの湯舟のふちにソレを乗せ、次々に計っていった。
そのうち負けず嫌いのSは、先っぽを、涙目になって引っぱって計った。
「引っぱったらズルイよ!」
「うるせー!」
「そんならオレも引っぱるぞ!」
というわけで、全員、痛い思いして引き伸ばしたオチンチンを計りっこした。
誰が一番だったかは記憶にない。


男の子は銭湯好きが多かった。 あの天井が高く広々として、木の桶が
カラーンと響いたり、壁に描かれた富士山の絵がよかったのか。 
それとも小さな庭に面した更衣所の縁台で飲む、瓶の牛乳がうまかったのか。
私も家に風呂があったが、夜、友達を誘って、家から5、6分のところに
あった堀川湯にはよく行った。

浴槽は3つに仕切られていて、真ん中が一番大きな普通の熱さの湯舟。
左側がかなり熱い湯舟で、右側の湯舟はドロリとしたこげ茶色のお湯で、
海草が入っているという大きな袋が沈んでいた。

熱い湯舟は大人でも入る人はごく少ない。 よく渋柿みたいなお爺さんが、
宙をにらむような恐い顔でジッと入っていた。 いかにも大人の入るところ
みたいで、私たちもその仲間入りをしてみたかった。 そして手先だけちょ
っと入れてかき混ぜたりすると、お爺さんは恐い顔で、
「ゆらすな!」 と怒った。 
きっと、『熱いじゃねぇか!』 と言いたかったに違いない。 
まるで落語みたいだが、あの熱さは半端じゃない熱さだった。


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砂絵

2010-11-11 18:30:35 | 昭和の頃
子どもの頃の縁日に、砂絵の材料を売るというのがあった。 
砂絵というのは、紙に糊の入った水で少し線を描く。 そこに、
たくさんの色の中から一つの色の砂をかけ、糊につかない砂をはたき
落とす。 また線を描き足し、別の色の砂をかける。 そうやって、
だんだん絵が出来上がっていく。
 
香具師のおじさんが実際に紙に描いて見せるのだが、子どもたちに
人気があった。 夜店のいろいろな商売を思い出してみると、子どもに
人気があったのは、はじめはなんだか見当がつかなくて、だんだん
わかってくるような、意外性があるものだったような気がする。

この砂絵も、おじさんは白い紙に、糊の入った水をつけた筆で描くから、
始めは何を描いてるのか皆目わからない。 サラサラと何か描き、青い砂を
紙にかけ、糊につかない砂をはたき落とす。 線が浮かび上がってきて、
少し何を描いたかわかってくる。 そんな面白さがあった。 さらに何か
また描き足し、こんどは赤い砂をかける。 そうしてだんだん絵が姿を
あらわす。 絵もかなり練習したに違いなく、決してヘタな絵じゃなかった。
おじさんの前には、海辺の風景や動物など、いろいろな砂絵が、見本として
並べられていた。


それから砂絵のセットを売り始める。 小瓶に入れられた、たくさんの
色の砂は、にぎやかで楽しく、絵を描くためというより、それが欲しくて
買う子もいた。


読んでいただいてありがとう!

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読書の楽しみ

2010-11-09 18:28:32 | Weblog

六代目・三遊亭圓生の書いた「寄席楽屋帳」(青蛙房社)を読んだ。
この本は上野で、古書店が開いていた催事場のようなところで見つけた。

昔の落語家の本はけっこう好きで読む。 志ん生の本もあらかた読んだ。
以前は寄席にたまに行っていたので、その語り口は馴染みがあり、話の
内容だけでなく、口調がなんとなく好きなのだ。 本を読んで、口調と
いうのもおかしいが、私は志ん生が好きで、集めたものをよく聞いていた。
だから耳にその口調が残っていて、本を読みながら、話を聞いているよう
な感じになる。

おそらくこの本も、圓生の話を口述筆記したものじゃないかと思う。
「お湯イ、入って・・・」 とか、「あれアねエ、太夫と才蔵と・・・」 
などの落語の口調そのもので書いてあるから、寄席で噺を聞いている
ような気分になる。

志ん生も圓生も、江戸っ子の言葉だから、歯切れがよく、威勢がいい。
私が以前勤めていたところは、浅草の近くだったので江戸弁は聞きなれている。 
「ひ」と「し」を入れ替えて話す。 百円は、しゃくえん、拾うは、しろう。
実際、ベッドの患者さんから、「しゃくえん玉、しろってよ」といわれたこともある。 
もっと凄くておかしいのは、新聞紙を、ひんぶんひで、これはお年寄りだった。

そんなことを味わい、楽しんで読んでいるので、読むのがかなり遅い。
もともと読むのが遅いほうだが、この本が、あまりにも読みすすまないので、
このあいだ電車の中で読んだとき速さを計ってみた。 
10頁読むのに30分もかかっていた。 1ページに3分もかけるのはかなり
遅いんじゃないかと思う。

本を早く読むようにすれば、沢山の本が読めるようになると思い、
本屋で売っていた速読の本を買い、練習してみたことがある。 
たしかに早く読めるようになった。 でもその分、味わいがなく
なってしまい、なんのために読書を楽しむのかわからないと思い、
やめてしまった。 いろいろな情報を、沢山集めるために本を読む
のなら有用だろうが、楽しみで読む者には早さは無用だし、
かえってつまらなくする。

時間が惜しいから、私はなるべく無駄な読書はしたくない。
無駄というのは、読んで面白くないという意味である。 そのために
決めているのが、始めの5、60ページ読んでつまらないと思ったら、
それから先を読むのをやめてしまう。 本の値段は関係ない。 
あとでまとめて古本屋行きになる。

ずっと以前は、我慢して最後まで読んでいた。 結局、我慢しながら
読む本は、読み終わって、あ~ぁ、つまらなかったというのが圧倒的に
多いのに気づいた。 すごく時間を無駄にしたような気になり、本の
始めのほうで、あとを読むか決めるようになった。 くだらない本と
いうわけではなく、私が面白くないだけである。  

  
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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