形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

下神明・豊町の頃(3)

2012-10-30 19:08:44 | Weblog

豊町で大の仲良しが、同じ歳のサブちゃん だった。
その頃、オモチャらしいもので遊んだ記憶がない。
干物の空き箱に棒をつけて、サブちゃんと二人でかつぎ、
お神輿、ワッショイ!ワッショイ! とやっていた。

豊町には紙芝居のおじさんもよくやって来た。 小さな公園の木陰で、
子どもたちは、おじさんの売る水飴などの駄菓子を買って、なめながら
紙芝居を見ていた。 おじさんは子どもたちを集めるのに、大きな子に
太鼓を持たせて町内を練り歩かせた。

太鼓を預けられた子は、肩からバンドを掛けて胸の前に太鼓を吊り、 
それを「ドンドン カッカッカッ、ドンドンドン カッカッ」と調子を
つけて街中を歩き回った。 それが、紙芝居が来たぞー! という合図だった。 
子どもたちは太鼓のあとに続いて、公園で待っている紙芝居のおじさんの
ところに集まった。 太鼓叩きの子は、お駄賃に水飴をもらって紙芝居を見ていた。 

私は、その肩に掛けて叩きながら練り歩く姿が、カッコよく見えて、自分も
やってみたいと思った。 そこで叩いていた、年長の子にやらせてくれと
ねだった。 その子は、「おまえ、まだ小さいから無理だよ~」 と言って
いたが、それでも私の肩に太鼓のバンドを掛けてくれた。 太鼓は地面に
ついてしまい、みんなはそれを見て大笑いした。


豊町から、東急目蒲線・矢口の渡に引っ越したのは、私が幼稚園に入る
少し前。 結局、乾物屋は立ちゆかなくなったのか、ここらへんの事情は
知らないが、おやじはまた、土木技師として道路公団に入った。 
大きくなってからおふくろから少し聞いたのは、おやじの商売は、
武士の商法というやつだったらしい。 そうだろうと思う。 威張るわけじゃないが、
東北の人間で、もともと口数が少なく、一言の愛想だって言える柄じゃなかった。 
おふくろは「それが気に入って来るお客さんもいたんだけどね・・・・」 と口を濁した。
- 完 -


からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


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