濃尾平野の北西部、伊吹山を背景にして、揖斐川に注ぐ大小の支流が形成する
水郷に囲まれた大垣は、また松尾芭蕉の奥の細道の「結びの地」でもある。
関が原合戦の前哨戦となった舞台が、石田三成の西軍が入った大垣城である。
残念なことに、昭和20年、米軍の大空襲に遭い、三日三晩炎上し続けて、灰塵と化した。
この城をぐるり取り巻くように、水門川が流れる。即ち、外堀である。町を歩けば、至る所で
水音を聴く・・・・嬉しい町並みなのだ。
冷たく、美味い水のありがたさ。汲み上げているのではない。自噴水なのだ。
大垣はさくら紅葉の水に散る
芭蕉が奥の細道の旅を、大垣の地に選んだのは、弟子で援護者の、舟問屋を営む
谷木因がいたからである。 「蛤のふたみに別れゆく秋ぞ」の一句を残し、桑名へ去る。
秋風や水の大垣もやひ舟
今、この隣に大掛かりな造成工事が始まっている。芭蕉記念館が建つ予定とか。
住吉燈台
大垣は升の生産量、日本の8割を誇るという。北の山地の良質な檜、それを運ぶ水運が
木曾三川と言われる、揖斐・長良・木曾の川筋に恵まれているからだろう。
水澄みて選ぶも楽し五合升