湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

猛獣狩りゲーム

2010年12月13日 | 詩歌・歳時記
子供の頃の遊び道具は、ほとんどが手作りだった。お金で買うなんて発想はなかった。
ポケットにはいつも、小刀「肥後の守」が忍ばせてあった。
手頃な竹があれば、真っ二つに割って、時間をかけて削りあげて弓を作った。
矢は篠竹を削って、先端に釘を埋め込んだりした。時にはBB弾を仕込んだりもした。
蒲鉾板があればヨットだ。真ん中に割りばしおったてて、帆をこしらえる。

何度、指を切った事だろう。
ほとばしるわが血の赤さに、刃物の扱い方、心身の痛みを心得ていったのだ。
野っぱらが遊びの主戦場だった。

雨が降りゃァ、家の中でも手作りの紙相撲に熱中した。紙の土俵をトントン叩くのだ。
安念山、北の洋、信夫山なんて、紙の相撲さんの顔を、何十年たっても忘れないものだ。
菓子の段ボールの箱が貴重品だった。箱を見るたび、遊びの発想が浮かぶのが嬉しかった。

正方形の箱が手に入れば、待ってましたとばかりに野球盤を作った。外野フェンスは紙を
まあるく貼り廻す。スコアボード板なども設置。野手の小さな人形を立たせる。
小さな木のバットでベアリングの球を弾く。
センター後方に小さな穴を付けておく。即ちホームラン。
野手の間にヒットの穴、野手の周りには大きめの穴、アウト・ゾーンである。

後年、エポック社から野球盤が出た時は、その豪華さに羨望の眼差しを投げかけたものだ。
磁石を動かし、カーブ、シュートまで投げられる。バットはバネ式である。
あまつさえ、ホームベースの手前に開閉式の穴があり、消える魔球と言う訳だ。
少年の創意工夫の限界を、しみじみと悟ったものだ。

サイコロのゲームもいくつか作った。そのひとつ、「猛獣狩りゲーム」。
ボール紙の四隅に出発地、そこから道が四方へ伸びている。全体がジャングルである。
随所に5センチ角の厚紙が伏せて置かれている。

プレイヤーは、即ち私と歳の離れた弟、妹、4人であるが、
サイコロ振ってそこへ到着すると、今一度サイコロを振り、胸を躍らせてカードを表にする。
そこには、ライオンや虎、オオカミやゴリラなどの絵と10点から1点までの表示と、
ゲットできるサイコロの目が書いてある。
その目と振った目が合わなければ、名誉の負傷で、二ヵ所の「野戦病院」へ行って、
10点のライオンなら3回休みである。表になった動物カードはそのままにしておく。

高得点の者が安全策を取って、1点のうさぎなどを狙っても、
たったひとつの無い目を出して、病院送りってこともあるのだ。
人生何が起きるか解らない。そんな駆け引きも子供心におもしろかった。

今もまだ、健在であるが、角は丸くなり、彩色した色も褪せ、年期ものになってしまった。
二人の子供達も嬉々として遊んでくれたし、弟や妹の子供達も、興じてくれた。
作者冥利に尽きる「猛獣狩りゲーム」である。