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日常生活のあれこれ

ヴェネチィア展  [Ⅱ]

2011-10-09 07:26:43 | 美術館 博物館

                  

                  

                  イタリア北東部の都市、ヴェネツァアは世界有数の観光地

 

           

             ヴェネッィアの期限はほぼ2千年前にさかのぼる、ヴィザンチン帝国の
             政治権力の下に生まれ、成長し独立した。

 

           

                ヴェネチィア市立美術館群  代表する13の館なる組織で
                7つの館から作品を展示しています。

 

                 

                   カ・レッツォーニコ(ヴェネチィア1700年代美術館

 

                    第1章    黄金期  ヴェネツィア共和国

 

 

           

                サン・マルコのライオン    (ヴィットーレ・カルパッチョ)

             長い歴史を通じて、ヴェネツィア共和国の最も重要なシンボルであった。
             ライオンは古典および中世の伝統において「力」「知恵」「高貴さ」「自分の
             子供の保護」などを象徴した。

             2本の足を水中に、もう2本の足を地上において立つライオンは、
             ヴェネツィア国家の水陸両方の性格を表した。

 

 

          

             聖ヒエロニムスと聖アウグスティヌスを伴う聖マルコのライオン
                                   (ドナート・ブラガディン)

          巨大なライオンを描いたこの作品は、ドゥカーレ宮殿にある司法官の事務所の
          ために制作されたもので、作者の署名と1459年の年記がある。

 

                

                 アルヴィーゼ・ビアンコと協力者聖マルコのライオン

            この堂々たる聖マルコのエンブレムは、サン・マルコ聖堂のマトロネオ
            女性用の歩廊)に設置されたオルガンの収納ケースを飾っていた。

 

 

               

                総督マルコ・フォスカリーニ  (ナザーロ・ナッザーリ)

             著名な歴史家にして文学者であり多くの書物の著者であった。

             肖像画の画家ナザーロ・ナッザーリはモデルの心理に鋭く迫る
             画家様式を受け継ぎ、総督の衣や被り物の高価な布地の表現を
             きわめて正確で、光を表す筆遣いによって生き生きと表現されている。
             ヴェネツィア共和国最後の総督たちの肖像画の作例中では際だっている。

 

 

           

                   船の模型  ガレー船    (作者不詳)

             旗をつけた3本マスト2つの錨を有する44櫂式ガレー船の模型
             戦闘用および商業用の古典的な船を指す。

 

   

        ガレー船の建造は比較的短時間でおこなわれ、厳密な設計図や計算上の規則は
        存在しなかった。

        長さ約40-50m、幅5-7m、2本マスト(21mほどの高さで、嵐の時速度を
        増すため、収納可能な3本目を備える)を装備した。 櫂で漕ぐ人力で動く。

        外国映画でこのガレー船が出てくる歴史劇をよく見た覚えがある、漕ぎ手は
        囚人だっように思う、戦闘においては過酷だった、訓練された兵士だった
        かもしれません。  歴史映画が好きだったので、いろいろ想像しながら見た。

 

 

                

               1688年 木と紙製の高さ146cm、直径108cmの地球儀

               会場では正面に日本が見えるように展示されていた。

               他にも天体観測リング、世界航海図、コンパスや望遠鏡、
               日時計などいずれも精巧な作りだった。

 

 

        

           (左) ヴェネツィア海軍総監カルロ・アウレリオ・ウイドマンの肖像画
               1797年共和国滅亡前最後のヴェネツィア海軍総督の姿は
               赤と金を主調としたまばゆい色彩の中に描かれている。

           (右) マルコ・ポーロの帰還 商人、旅行家、冒険家であったマルコ・ポーロは
               疑いなくヴェネツィア史の中でもっとも著名な人物であると言える。
               「東方見聞録」はこれまで書かれた旅行記の中でもっとも有名であり、
               マルコポーロ神話はよく知られている。

               帰還したマルコ・ポーロが、彼の体験を証拠立てる宝石や貴石を
               持参したところを描いている。

 

 

                 

                      総督モロジーニの祈祷書と銃 (作者不詳)

            この大変興味深く、きわめて珍しい祈祷書はフランチェスコ・モロジーニの
            所有物であった。    それは改造を加えられ、個人的な防衛のための
            小拳銃を収めることができるように、秘密の隙間が作られている。

            本品は軍人であった著名なこの総督が自分の身に起こることを懸念
            していた謀反や陰謀の際自衛の心構えのあったことを証言している。

            展示を見ると思ったより小型で、銃は日本での展示にはレプリカです。
            「いざというときこんな所から取り出せるのかしら?」なんていう声も
            聞こえてきました。

 

 

                

                      真実の口   (作者不詳)

            真実の口は、人や犯罪、とりわけ政治権力やその司法府に対する犯罪
            (汚職、裏切り、スパイ行為、横領・・・)に関する匿名の告発のために
            用いられた。    その機能は郵便受けのようなものである。

            告発の書状はここからか回収された後、10人委員会の卓上に運ばれ
            その場で被疑者に対していかに訴訟を起こすかが決定された。

            我が国でいう目安箱でしょうか?怖い顔が気になります。

 

 

         

          元老員議員にしてサンマルコ財務官ヴィンチェンツオ・クエリーニの肖像
          40才位で司法官の衣装を身につけ、流行の鬘を被り、公職にあることを示す
          ビロードのストラ(ストール)をつけている。

          右の長衣トストラはサンマルコ財務官のもの。
          ヴェネツィア総督の次に高位の身分である9人のサンマルコ財務官は、
          緋色のダマスコ織りによる長衣(トーガ)を身につけた。

 

 

                       唯一の都市 ヴェネツィア

          ヴェネツィアは3つの潟口によって外海と結ばれるラグーナ(潟)に位置し、
          都市の生活は常に6時間ごとの塩の干満によってリズムを与えられていた。
          
          町は400以上の橋で結ばれた多くの小島から構成されるが、その建設は
          きわめて特殊な技術による。

          ヴェネツィアに特徴的な町「世界で一つだけの」都市を作り上げることになった。

          地上の歩行者の交通網は、カツレ(道)、カンポ(広場)、フォンダメンタ(河岸)
          に分節される。

          水上の交通網はカレーナ(大運河)とリオ(小さく狭い運河)からなり、そこを
          人と物資の運搬のための様々な種類と大きさの船舶が絶え間なく行き交った。

          ヴェネツィアは1846年鉄道建設に至るまで、完全に孤立した一つの島だった。
          水道の供給も1898年ラグーナに渡る導水管が敷設されるまでは、雨水を
          集める井戸のシステムによっていた。

          とはいえ、共有空間、道、運河においてヴェネツィアの生活は豊かさと活力を
          もって脈打っていた。

 

        

               リアルト橋   (ジュゼッペ・ボルサート) 

          石造りのリアルト橋は様々な国の多くの建築家たちの設計案が検討された後、
          17世紀初頭に建設された。

          この作品を描いた画家ジュゼッペ・ボルサートは、19世紀前半のヴェネツィアに
          おいてもっとも成功を収めた画家・装飾家の一人である。

 

 

         後半につづきます。

 


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