しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

「高橋由一」展

2012-06-24 07:48:37 | 美術館 博物館

                  東京藝術大学美術館で開催中の近代洋画の開拓者
                  「高橋由一展」東京では初の大回顧展です。

 

                 

                     会期は24日、日曜まで

 

                    

              まず最初に目にするのは丁髷姿の自画像 (39才慶応2~3年ごろ)

              武家に生まれ、狩野派に学び、洋画の絵師になった由一  人物画
              歴史画、名所風景画、静物画、など洋画に命をささげた全貌を
              知ることができます。

              江戸末期に洋画とともに西洋から導入された写真は人々に新しい
              視覚体験をもたらした。
              由一は肖像画を多く描いたがその製作にしばしば写真を利用している、
              同時に写真にない油絵の利点を主張している。
              真を写すのは同じでも油絵は色彩の再現性と耐久性の点で優れて
              いると。

 

            

                 芝浦夕陽 明治10年ごろ(1877)  名所風景画の中の作品

                あかね空、あかね雲ともに広重の風景版画によく見かける特徴がある、
                構図の共通性が見られる作品。
                美しいあかね色が印象に残る作品でした。

 

                    

                      花魁 (おいらん)  明治5年(1872)ごろ

             誰もが断ったモデルを、新吉原の稲本楼で人気を博した小稲が承諾した。
             当時23,4才下髪に結い、これ以上挿せないほどのかんざしを挿し、豪華な
             刺繍の打掛を着て由一の前に座りモデルを務めた。

             目の前の花魁をあるがままに描こうとする、まだ慣れてない油絵の具に
             心躍らせて描いたといわれる。

             鼈甲のかんざしの透け感、独特の質感など表現の追求はそれまでの
             浮世絵の美人画には無い重苦しいほどの雰囲気がただよいます。

             しかし完成後「私はこんな顔じゃありません」と言って泣いて怒ったと
             伝えられます。                                   
             
             江戸時代の美人画は「美しく描かれた女性」だったのです。

 

              静物画   明治9年(1876) 49才で本格的油絵技法を習得し、
                      10年から13年ごろにかけて多くの静物画を描きました。

 

              

                    桜花図  明治12-3年(1879-80)

             桶の木目から削られた板と汚れ、かけ替えられたタガと跡まで克明に描き
             物の質感表現に優れている油絵の特質を生かした作品。

      

            

                   鴨図  明治11年ごろ

             食肉用の鴨がぐったりと置かれ、手前にはフキノトウ、食材も多く描いた

 

             

                   甲冑図 (武具配列図)  明治10年

               作品中最大の大きさの「甲冑図」西南戦争直後に描かれた甲冑図は
               武士の世の終わりを象徴するようです。

 

             

                      鮭   

             由一のトレードマーク「鮭」新巻鮭 実寸は120cmほどある巨大な鮭、
             明治10年ごろ描かれて、最も充実した時期に描かれた代表作。
             その質感表現は「写真みたい」というより「触ってみたくなる」迫真性がある。
              
               

 

 

                  

                 上の紙に書かれた作品を真ん中に左に麻布に描かれた鮭、
                 そして右は板に描かれた鮭、板目をそのままそこに鮭が
                 実在するかのようです。 荷札に「日本橋中洲町」とある。

                 黒い麻布に描かれた鮭は、由一が明治20年東北旅行の折
                 滞在した山形県北村山郡楯岡の旅館に伝わるものです。

                 <それぞれに描かれた鮭の質感を見比べるのも楽しい>

                 由一には絵が好きで画家になりましたといった甘さは微塵もなく、
                 洋画を日本に普及するのが自分の果たすべき使命という自負に
                 溢れていました。
                 

                 「天絵楼」という画塾を開き、展覧会を開催したり、「臥遊席珍」
                 という日本初の美術雑誌を創刊したり、「螺旋展画図」に描かれて
                 いるユニークな美術館を考案したがこれは実現しませんでしたが、
                 まさに近代洋画の開拓者でした。


           

 

          


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2 コメント

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Unknown (雲母舟)
2012-06-24 13:23:16
しなこじさんも行かれたのですね!
花魁の写実的な描写には
どきっとしました。
大きな鮭が圧巻でしたね。
TBさせてください。
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Unknown (しなこじ)
2012-06-25 15:59:37
雲母舟さん
お蔭様で行ってきました。
鮭の大きさに驚きました、日本一有名な鮭ですよね、
本当に圧巻でした。
うわさの花魁、あれでは泣いて怒るのは当然と思いました。
鼈甲のかんざしの透け感には見入りました。
TBありがとうございます。
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