しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

江戸名所絵図を中心に江戸の面影を訪ね歩く <駒込~白山>

2013-05-20 22:09:12 | Weblog

               江戸博友の会の見学会、今回出発は駒込駅、10人一組で
               順次出発でした。 

               江戸時代、駒込村は岩槻街道(日光お成り道)の宿場でした。
               日光街道は日本橋~宇都宮までは奥州街道と重複していて、
               大名行列などで込み合うため、将軍の日光東照宮参詣は専ら
               岩槻街道を利用したそうです。

 

                

                     富士神社   駒込は一富士二鷹三なすび

               

              駒込の「お富士さん」は江戸六富士の随一とされ有名であった。
              二鷹は、八代将軍吉宗が鷹狩りを復活し、鷹匠屋敷が駒込におかれた。
              駒込なすは良質で有名で、富士裏のなすとして神社裏が生産地だった。

 

               

                  拝殿は階段の上、横に緩やかな女階段もあります

  

               

                   天祖神社 (駒込神明宮)

                 本郷通りに戻り数分で左折すると神明宮の前に出した。
                                      (本駒込三丁目)

               

                   

        

                 江戸時代は「駒込の新宮様」と呼ばれ親しまれた

 

               

                     駒込名主屋敷は天祖神社のすぐ近くです

 

           

              高木家の先祖は、大阪城落城後、豊臣方の残党として関西から
              ここに亡命、駒込の開拓を許され、名主役を務めた。

                 

                      式台付き玄関

                  一般の町家では許されず、武家でも旗本以上の屋敷しか
                  許されない式台付き玄関がある。
                  町人からの訴えや争いの仲裁をこの玄関で行ったので、
                  ”名主様玄関の裁き”といわれた。  (都指定文化財史跡)

 

        

               山門は両袖に潜り戸をつけた四脚門

            明暦の大火(1657)で焼け、水道橋際から現在地に移転した。
            現在の中央線の吉祥寺はそのとき門前の人たちが移って新田開発に
            従った事から名づけられた。

 

     
                             「不許軍酒入山門」とかかれています
                                 (軍に草冠がつきますが、酔っ払いの事)

         曹洞宗の修業所であった、学寮、寮舎を備え、常時1千人以の学僧が修業し
         当時の官学の幕府・昌平坂学問所と並び称された。現在の駒澤大学の前身。

 

        左端中央が講堂  手前右と中ほどの屋根が続くところは学寮

 

                

                 お七吉三の比翼塚は、文学愛好者により建立された。

                井原西鶴が「好色五人女」で八百屋お七を書き、吉三との
                出会いを吉祥寺としたことによるが、白山の円乗寺が本当である。

        

               本堂に続く参道は新緑が美しい桜並木です

 

                

                       二宮尊徳の墓

 

                

                     経蔵

        

                各部の彫り物の意匠は素晴らしい

 

        

               

 

               

                     鐘楼も桜の木に囲まれています

 

             本郷通りに戻りしばらく行くと右手に赤目不動尊の門がありました。

 

        

              江戸五色不動尊のひとつです

        

               赤目不動尊   (南谷寺)

          江戸五色不動は、目白は(豊島区 金乗院)  目黄は(江戸川区 最勝寺)と
                                              (台東区 永久寺)
                      目青は(世田谷区 数学院)目黒は(目黒区 龍泉寺)です

                 

                

                   本郷通り沿い本駒込駅近くに「駒込土物店」跡

               神田、千住の青物市場と共に、江戸三大市場のひとつと言われた
               青物市場でした。

               土物店というのは、富士神社裏一帯は駒込なすの生産地として
               有名であり、大根・人参・ごぼうなどの土の付いたままの野菜(土物)が
               取引され、土物店ともいわれた。

               江戸城には大奥を始め多くの奉公人がおり、城中に詰める武士にも
               食事を出したので、大量の魚や野菜類を必要とし、ここも野菜を納める
               御用市場となった。

               野菜を大八車に積み、御用札を立てて街道を行くときは、大名行列も
               これをよけたといわれる。

 

                

                 メトロ南北線、本駒込駅から程近くにある高林寺は明暦の
                 大火で焼け、お茶の水からここに移転した。

             

                    緒方洪庵・岡麓(アララギ派歌人)の墓があります

 

                  

                    大観音   光源寺の大観音として有名であった
                    
                 元禄10年(1697)造営といわれる金色の十一面観音菩薩
                 木彫りで高さ約5m、台座からだと約8mもあり二階の窓から
                 顔を出していた。 絵は二人の男が驚いている様が描かれている。

 

        

                   現在の大観音も上の窓からお顔が見えます

              

                

                 覗きこんでみました、観音様の尊顔がよく拝めるようにと
                 窓を開け、観音開きにしたのはこの頃としては秀抜のもの。

                 7月9,10日の両日は多くの参拝者で賑わった。
                 戦災で堂内の一千体の観音像と共に焼け、平成5年に
                 堂と観音像が再興された。

                 ほうずき市に行ったことがあるお寺さんでした、
                 それにしてもこの辺りはお寺さんが多いです。

 

                

 

                

                    浄土宗 瑞泰寺  珍しい入り口の像の飾り

                    京都 知恩院の末寺と書かれていました。

                

                     東都六地蔵の一番のお寺さんでした

 

                本郷通りをそれて薬師坂に入ると次の訪問地は白山神社

 

              白山神社

 

                

                       旗桜

                 境内に旗桜と称する老樹があった。  永承六年(1051)
                 八幡太郎義家が奥州平定の途中この地を通った時、旗を
                 この木にかけ戦勝を祈願したという。

                

        

              文京あじさいまつりを何回か紹介したことがある神社ですが、
              菖蒲の奥のあじさいの蕾はまだこんなに小さかったです。

 

               

                 五大将軍綱吉の生母桂昌院の崇敬篤く、この辺りの
                 地名白山はこちらの神社があることから名づけられた。

   

               

                   円乗寺  八百屋お七の墓

 

     

        恋に身を焼いた悲恋のお七の事件は江戸の人々を驚かせ、同情を誘い、歌舞伎、
        浄瑠璃、草双紙に描かれ、実説、虚説、さまざまに脚色された。

        余話 
        お七を裁いた北町奉行所は、放火が小火であることからお七を助命しようと
        「お前は15であろうな」と問えば、付き添いの名主は奉行の心中を察し、
        「恐れながら15でございます」といったが、正直なお七は16ですと答えたため
        掟どおり処刑された。

        寺小姓吉三は僧となり、諸国を行脚し、後の目黒の大円寺の下の明王院に
        入り、お七の菩提を弔った。

        
        私の友人の実家、千葉県八千代市の「長妙寺」さんに八百屋お七のお墓があり、
        訪れたことがあります、そのことを話しましたが、どちらにもあるのではないかと
        いうことでした。

 

         

              円乗寺さんの六地蔵さんたちに見送られてこの日の見学会は
              白山駅で解散となりました。  所要時間は約3時間でした。