昨日の安倍元首相の国葬が、無事に執り行わ
れたことに心から安堵しています。
マスコミの偏向報道に気付くようになってか
ら、テレビのニュース番組をあまり見なくな
りました。
全く見ないというわけには行かないので、な
るべく偏向傾向の少ない番組を選んで見るよ
うにしています。
それでも、ん?と思う発言があれば、その時
点で見るのをやめます。
国葬が決まってからというもの、某テレビ局
を始めとした多くのメディアにおいて、あた
かも国葬反対が国民の民意であるかのように
連日必要以上に尺をとって報道し続け、国民
の印象操作を行なって来ました。
もちろん、安倍さんは支持するけれど、国葬
は反対という人も多くいるでしょう。
それは理解できます。
しかしながら、難しい舵取りが必要な時代、
長きに渡り、体を張って、日本と日本国民を
守り続けてくださった人に対し、マスコミは
なぜこんなにも礼節を欠いた仕打ちができる
のか、どうにも理解できません。
そんなにも日本を貶めたいと思っている人が
マスコミにはたくさんいるのでしょうか。
マスコミと戦い続けた安倍さんが、死して
尚マスコミと戦い続けなければならない悲し
い現実。
安倍さんは国葬なんてしなくていいんだよと
空の上から思っていたかもしれません。
私も、故人の功績をこれ以上貶めることにな
るのであれば、国葬などむしろしなくてもい
いのではと思い始めていました。
でも、昨日、国葬当日を迎えると、一転、わ
かりやすく目に見える形で、真実が明るみに
なりました。
サイレントマジョリティ、静かなる多数派。
大声を張り上げて派手なパフォーマンスを繰
り返す少数派と、声は上げないけれど、印象
操作に惑わされることなく、日本のために尽
くしてくださった故人に感謝と敬意を表する
多数派。
私は今回献花に行けませんでしたが、増上寺
での葬儀の際には献花にうかがいました。
正直信じられないくらい多くの方が、暑い中
何時間もの間、行列に並んでいましたが、見
渡す限り誰一人不満を口にせず、静かに歩を
進めていました。
これこそ、マスコミが世界に発信すべき本当
の日本人の姿だと思います。
献花に行けない人たちのために、20代、30代
の方が中心となって作成したデジタル献花と
いう素敵な試みもあります。
私はこちらで献花しました。
まだ受け付けているので、良かったらぜひ。
菅義偉前首相による友人代表の弔辞があまりにも
素晴らしく、心震えるものでしたので、ここに全文
を載せて残したいと思います。
長いですが、ぜひ読んでいただきたいなと思いま
す。
まるで恋人に宛てた手紙のようにも感じます。
心の底から安倍元首相を信頼し、尊敬し、敬愛して
いたことががひしひしと伝わる、心のこもった美し
い弔辞です。
友人代表弔辞7月の8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。その一心で現地に向かい、そして、あなたならではのあたたかなほほえみに、最後の一瞬、接することができました。あの運命の日から80日が経ってしまいました。あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつの間にか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。悔しくてなりません。哀しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。しかし、安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。20代、30代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。総理、あなたは今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。――これが、あなたの口癖でした。次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて経済も成長するのだと。いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と電話をかけてくれました。「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として揺らがなかったことであります。総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。私はこのことを菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思い出すであろうと思います。総理が官邸にいるときは、欠かさず一日に一度、気兼ねのない話をしました。今でもふと1人になると、そうした日々の様子がまざまざとよみがえってまいります。TPP交渉に入るのを、私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。一歩後退すると勢いを失う。前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案をすべて成立させることができました。どのひとつを欠いても、我が国の安全は確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものです。国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。衆議院第一議員会館、1212号室のあなたの机には、読みかけの本が1冊ありました。岡義武著『山県有明』です。ここまで読んだ、という最後のページは、端を折ってありました。そしてそのぺージには、マーカーペンで線を引いたところがありました。しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。総理、いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむかたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。令和四年九月二十七日 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉