月のたび

日々の日記

埋み火

2007-11-18 19:54:20 | しみじみ(滋)
久しぶりの投稿です。

最近は仕事が忙しくなってきました。というか、職場の環境に慣れるほど、仕事についていけない自分が明らかになり始め、それではイカンと自分なりに上達に資すると思われることをしている。

わたしのような未経験者が、新しい職場でいかに自分を適用さしていくか、これは、もう自分について回る運命みたいな辛苦の時間を、持ちこたえにゃならんのだ。

で、そんな自分が最近惹かれて読み始めた本が大西巨人『神聖喜劇』です。仕事でのウスノロぶりの我が身が、この本で何か癒されるんです。

60年以上前の話なのに、今強烈に共感するのは、生きている環境が基本的に変わらないからでしょうね。東堂二等兵の物の捉え方がすごくいい。危険なのに惹かれる視線。

私の職場でも絶対的服従が要求され、基本的なことを質問するのも、口答えや反抗と受け止められてしまう。だからといって自分の仕事だからイヤに思わないよう努めている。時の回りが悪いくらいに信じ、慣れるのをじっと待つだけだ。

おそらく、そういうものだろう。人にはイヤでも絶対的服従が必要なときがあるのであって、今の時代はそれが必要な訳を人に納得させるためのコンセンサスがないんだろう。

思えば、家庭内だって同じだ。父親になれば、家庭の中で威張っていられる。絶対的服従をさせるように立ち回って、そのくせ親切めいた言葉をかけて一見キレイに繕っておればOKだろう。だから私みたいのは、イヤだけど我慢する。

内田樹さんが言ってたけど、人間関係ってややこしいから、家族内の人間関係でさえ煩わしくて、この我慢ってのが必要になってしまっているのが今の時代だなと強く共感する。

久しぶりの投稿でした。次回もよろしく