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武士の死は次世への門出とした生き様『戦国武将の生死観』

2024-07-31 07:40:03 | 歴史から学ぶ
「死生学」戦国時代の武士の死は次世への門出で大切な場としていた事、「現世は短く、来世は長し」の概念を持った武将、家族など死に対する恐怖は感じさせない。だが、哀れなのは夫の敗戦から妻と家族は悲惨だったことだ。ただ、夫に務めるだけではない心がけを持ったお市の方、築山どのなどは、「小豆袋の結び目」を兄信長に知らせ、「武田側との内通」織田を攻略する計略など、嫁いでも実家の内命「家族の血」を繋ぐためのスパイ行動は絶やさなかった、と言う。
『戦国武将の生死観』篠田那達明
「概要」人生五十年の時代、戦国武将たちには謡曲『敦盛』の一節の如く「この世は夢幻の間」であり、生きている短い間よりも死後の長い時間を強く意識していた。武士の臨終は人生の終わりではなく、そこから始まる長い来世へのとば口。死に際はその門出を飾る大切な場だったのだ…彼らの信念、死にざまと関わりの深い疾病について、現代医学と照応しつつ実態を探る
ー戦国時代に生きた武将の死因と病状、遺言などを医師であり作家が描く小説だ。
ー信長・秀吉・家康の死に様と死生観    
信長:注意欠陥・多動性障害を思わせる性格は仕事中毒で動脈硬化から脳卒中発生 49歳切腹
    性格はせっかちで癇癪持ち、他人の意見には耳を貸さず、だが決断力もある。
    信仰が厚く神仏の籠を信じていた「死のふは一定、忍草には何をしよぞ」「是非に及ばず」
秀吉:貧血症、胃痛に悩まされ消化器病、認知症による大脳萎縮症、消化器がん 62歳
    6歳の幼い秀頼を守るための5大老へのお願い(秀頼の保護と後継人の嘆願)
    「露と落ち 露と消えし我が身かな 浪速のことも 夢も夢のまた夢」
家康:医療に関心をもっち自分で薬を作る、鯛の天ぷら、死因は胃がん 75歳 
    戦術:人名はかけがえのない物だから戦場でも慎重に行動し無駄死にすることのないように戒めた
    「厭離穢土・欣求浄土」(仏法浄土への往生を悦んで求める)
ー病苦に喘いだ英雄たち
上杉謙信:大酒飲みで脳出血、高血圧、糖尿病、脳卒中 49歳
    「塩の道」武田に塩を贈る温情があり信玄死後も責めることはしなかった
    12年に5回のライバル対決(謙信vs信玄)
    (昔の酒はアルコール度が低い濁酒)
    「49年一睡夢 一期栄華一盃酒」(人生の儚さを嘆じた)
武田信玄:むくみ覆水による消化器がん(横隔膜近辺)53歳
    病駕を抑えて出陣甲府へ帰陣する途中で死す
    「3年間、我が死にたることを隠せ」(謙信を大切に、信長・家康には要注意だ)
毛利元就:腹痛を繰り返す消化器がん、悪性腫瘍説による大腸がん 75歳
    「毛利に教養など必要ない」(三枝の矢)
    大事なのは武略、計略、調略だえkだと教養や娯楽は必要としない性格を通した
・高山右近:マニラでアメーバー赤痢 64歳
    南蛮トライの武器、洋式戦法に影響し外国に夢、摂津高槻城主となる
    デウスに祈りキリシタン大名として活躍(大友宗麟・有馬晴信・小西行長らが入信)
    「死ねばお迎えが来てあの世にゆく」(武士を捨て篤実な信仰者)
蒲生氏郷:肝障害からのウイルス性肝炎肝臓がん(名医からも見放される症状)40歳
    秀吉から会津黒川42万石の城主に、さらに若松を加え92万石の太守になる
    「限りあれば吹かねど花は散るものを心短き春の山風」
    氏郷の死を期に関ヶ原の戦いが勃発
    (江戸時代の名医は回復基調のない病人は診ない、としていた:医者は名声を大事にした)
伊達政宗:幼少の頃痘瘡で右目を失明。歯槽膿漏 食道胃がん70歳没
    酒豪で晩年まで酒を飲み続けた頭蓋骨から身長159.4cm、骨太のがっしりした体格
    「馬上少年過ぐ」「畳の上で死ねるとは思わなかった」
ー未練を残した武将たち
・前田利家:大腸がん 62歳没
    「儂の胸には憤りがある」(家康の勢力の台頭を抑えれなかった)
・大谷吉継:ハンセン病 自決 42歳没(関ヶ原)
    小早川秀秋の謀反を抑えきれなかった、友人の石田三成の友情と信義を重んじた
    「首は土中に深く埋めよ」(晒し者になりたくない)
・石田三成:脱水症状のまま処刑 晒し者になる 40歳没
    「汝に二心あるものを気づかなかったこと己が愚かだった」(秀秋に対する怨念)
ー下剋上の梟雄
明智光秀:叛逆者として秀吉に裁かれる(土民たちになぶり殺される)55歳
    「心知らぬ人は何ともいはばいへ身をも惜しまじ名をも惜しまじ」
・斎藤道三:親子で骨肉の争い・さらし首に 63歳
    冷血狡猾な「美濃の蝮」が長男の義龍に裏切られ追放、その後家臣に首を刎ねられる
・松永久秀:自刃・切腹 68歳没(信長に降伏)
    信長に叛旗、将軍を暗殺大仏殿を消滅
ー切腹して果てた武将たちの執念
浅井長政:信長との反撃に降伏小谷城で切腹 29歳没 父久政も切腹
    信長の朝倉との約束を破ったことで浅井が激怒
    「七顛八倒四十年中他無自無四大本空」生涯永久不変の境地
・武田勝頼: 19歳の妻子供と共に切腹 37歳
    父信玄の遺言をおろそかにして果てる(領土拡大を急いだため一国だけになる)
    「黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき 思ひに消ゆる 露の玉の緒」(北条の娘・妻の句)
ー老衰死した武将たちの高齢期
・真田昌幸:幽閉地(高野山)で老衰 65歳没
    関ヶ原の戦いに敗れ捕虜、高野山に追放
・宇喜多秀家:八丈島で老衰 58歳没
    関ヶ原の戦いで家族で島流
・武田信虎:長男に追放され衰弱 老衰 81歳没
    長男信玄の仕組んだクーデターで追放、放浪の民となる
直江兼続:上杉家の丞相として活躍 60歳没
    「儂より先に死ぬとは」と城主景勝
    家康を倒す絶好のチャンスを逃したことが心残りだった
ー戦国女性の覚悟
お市の方: 自害 37歳
    浅井長政の妻、その後柴田勝家の妻 秀吉の攻撃で勝家と共に自刃
    3人の娘(茶々、お初、お江与)を残し、織田家の血を守った
・築山どの: 殺害 38歳
    家康の正室、徳姫の密書で信長から長男含め処罰を受ける
・ガラシア夫人: 自殺 38歳
    明智光秀の娘(玉子)三成の人質に抗議して自刃
・なか:暑気当たり 80歳
    秀吉の母、大政所 74歳で家康の人質に 
    秀吉の妻おねは庶民に人気があり
・淀どの: うつ病 秀頼と共位に自刃
    秀吉の側女で2子産む、
・千姫: 老衰 70歳
    秀頼の妻となる秀忠の娘 大阪城より巣下されるが江戸で天樹院として過ごす



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