@「郷土」には武家に生まれ、死ぬときは男も女も同じように身を挺する(自害)事とある。「7歳にして自害の仕方を学ぶ」武家・武士は見苦しい死に様を見せない事とし、数百年経った平和な江戸末期の田舎でも「武家」としての魂が生き続けていた。「7歳にして覚悟」は現代ではどの様なことになるのだろうか。自立できる年頃だと悟ってもいいのだろうか。現代ではとてもとてもできそうにない。生きていく為の社会が甘くなっている所為だろうか。
・「頬」
「船入れず」と言う入江の場所を良い漁場にすべく若い夫婦が3年費やしたが、できずじまいで諦めていた。ところが妻は10年、15年かけてやれば必ず良い漁場になると決意を込めて打ち込んできた。そこに忍びで道に迷った殿様と連れが一晩世話になった。殿の問いに夫は「察しの由」として2艘の船とその周りの土地5町歩を永代無年貢として差し出した。
・「横笛」
弟子と密偵との会談中、妻は下手な笛を吹いていた。客人には多少煩わしいほどの出来で、ある日妻に上手くなるように学びにでも行けと指示した。その後主家からお呼びがかかり3-4日家には帰らないと報告があると、夫はすぐに捕縛され謹慎に身になった。家を心配して聞いたが何の悪い沙汰も聞かず、弟子が妻の所為で助かったと言う。それは妻としての気遣いから何かあったときには部屋にある密書などを焼き払っておいたこと、また会談のたびに笛を吹いていたのは会談の話が外に漏れないようにしていた事を後から夫は気がついた事だった。
『山本周五郎作品集25』山本周五郎
・「郷土」
幕末の東北秋田へ征討鎮撫使の軍が迫ったとき、村人は立ち退きするよう指示が出た。だがある家、郷士の祖母が数百年続く先祖代々の家と土地を守る為留まると言い出す。「侍」の家族として育った祖母は7歳から切腹を侍としての礼儀を知っており、それを守るのが務めとし残る事にした。その事で村全体が立ち退きを拒み征討鎮撫使の軍は退散していった。
祖母の言葉「武家に生まれたものは男も女も7歳で自害の仕方を教えられる。いざと言うときに見苦しい死に様をしない為、戦いに挑んで狼狽えぬ覚悟を決めるために」
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