@池波正太郎の人生、「筋を通す」生き方、「人生の楽しみ方・楽しくするために面白くする」からあらためて人生というものを考えさせられた。食を楽しみ、出会いを楽しみ、何かを探し出し、そこから生き甲斐を生み出しすことが人生なのかと。できる時にできるだけやる事に生き甲斐を感じる事だと。
『池波正太郎 男の世界』中村嘉人
「概要」池波正太郎1923年1月東京下谷生まれ、1988年36回菊池賞を受賞「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛け人・藤枝梅安」 「闇は知っている」シリーズでの殺し屋と鍼医者梅安
ー「起り」依頼人が「起り」に依頼する仕掛けやを作り出す
殺しの美学:筋を通す・生かしておいてはためにならねやつ
ー女性読者の支持を受けた理由
梅安のストイシズムとニヒリズムが交差した続々するような台詞・筋を通した生き方
梅安の強い自制心、畢竟、ダンディズムに痺れた
平凡な暮らしを楽しみ、恩着せがましい言葉は一言も吐かない、実にさっぱりしたもの
ー池波正太郎の食べ物
「人生、もう一つのこだわり」それは「食」食事・料理名など細かく日記にも残した
「食は人に生きる勇気を与える」(巣の中には家族がいなくてはならない)
人一倍好奇心旺盛(ヨーロッパ取材など見聞を高めた)
「こう言う楽しみ方」「こう言う味わい方」を人生の手引きに
ー徳山五兵衛の世界
・善のみの人間などおるはずがない・悪を知らぬものは善をも行い難い
・面白きこともなきよを面白く・秘密がなければ世の中つまらない
「男の秘図」での五兵衛の女との出会いと交わりを秘図に描き続けた
矛盾する性・人間等いう生き物の持つおかしみ、かなしみ(人間解釈)
「人にとって誠に大切なるは天下の大事ではのうて、我が家の小事なのじゃ」
ー池波正太郎の少年時代
母の口癖「小学校を出たらしっかり働くんだよ」株仲介屋を望んでいた
本人は画家になりたいと思ったが株やの小僧で大儲け
15歳で仲間と3年吉原へ通い、戦争が始まる前にすっからかんとなる
戦争で工場働き、1944年に召集、三浦半島海兵団に入隊、入院、敗戦後作家へ
長谷川伸「作家というものは、苦労の激しさが肉体を損なうし、精神も傷つく恐れが大きいが、男のやる仕事しては、やりがいのある仕事だ」25歳で作家志望
ー1990年5月3日享年67歳で逝去
「知的生活は、自立でこそできるもので、他律ではできるものじゃない。勉強なんかみなそうだもんな。押し付けられたからってやれるもんじゃない」「人生を楽しむコツ、より充実して生きる技術を授けれくれた」
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