続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮 Ⅱ-1-1自分自身が目前の空間を測るための模型③

2019-11-13 06:50:45 | 美術ノート

 目前の空間を測る・・・自分自身は下半身を地中に埋めている。地表に立っているのではなく、半身は地中にある。学習されたデータの記憶と共に目前の空間を測ることを試みている。

 地表に立つ自分自身に対し、高い場所(林・森・山岳など)は並べて平らである、これは地球儀などを見るに近い凝縮である。
 自身の反対側のへこみは湾(海岸線)を暗示しているのかもしれない。とすれば、見えない地中の深さにも納得がいく。

 目前の範疇は現実的あるいは物理的に見える風景としての空間ではなく、感覚的な想念を形に留めたものである。当然あるべき起伏は、空の彼方から眺め下したような視線によりフラットに抑えている。
 この空間測定法は自分自身を基点としているが、自分自身の位置や大きさ(想念)については収縮自在である。重力圏内の空間ではあるが、存在者としての体感はあくまで目前であって、宇宙的な観点の視野ではない。

 空(空間)があって地(地球のほんの表面である地殻)がある。その狭間の存在である自分自身のデータの集積による観念的な、集約された測定である。


 写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館


『忘れえぬ人々』32.

2019-11-13 06:30:12 | 国木田独歩

戸外は風雨の声いかにも凄まじく、雨戸が絶えず鳴っていた。

 戸外はコ・ガイと読んで、己・我意。
 風雨はフ・ウと読んで、普・迂。
 声はショウと読んで、章。
 凄まじくはセイと読んで、成。
 雨戸はウ・コと読んで、有・拠。
 絶えずはゼツと読んで、絶。
 鳴ってはメイと読んで、冥。


☆己(わたくし)の我意は普く迂(遠回り)の章(文章)で成っている。
 有(存在)の拠(よりどころ)は絶(遠い)冥(死後の世界)である。


『城』3301。

2019-11-13 06:12:41 | カフカ覚書

彼は、そのドアを放棄したようなふりをして、相手にいわばその沈黙の力をつかい尽させ、ほかのドアのところへ行き、しばらくするとまたもどってきて、もうひとりの従僕を呼びつける。すべて、これ見よがしの大きな音をたててやるのである。


☆彼は、その企てを見捨てたように見えた。相手は殆ど沈黙の力を使い果たし、ほかの企てを考え、他の従僕を呼び、死を目立たせると同時に人目を引くように大声を出した。